第34話 渡されたバトン

 夏樹は、自分を蔑む神木の姿にもどかしさを感じた。何故なら、夏樹にとって神木も尊敬に値する素晴らしい外科医であり人間だからだ。


「そんな事、ある訳ないじゃないですか!」

 夏樹は強い口調で神木に言い放った。

「神木先生が居たから、春音さんオペナースとか臓器移植コーディネーターとか、頑張れるんですよ!」

 神木は、噛みつかれそうな勢いで話す夏樹から、まるで説教を受けた気分になる。

「夏樹・・そうかな。そうだったら良いな。サンキュー」

「スミマセン。俺生意気な事を言って」

 夏樹は、強く握ってしまったビール缶を口元に持ち上げると、ゴクリと喉に通す。


「春は自殺未遂で入院した時から、冬也の死は自分のせいだ、自分が呪われているからだって、まるで呪文のように呟き始めた。最初は、瑠衣叔母さんも皆、春を諭していたけど、春の父親が翌年急死してさ、春の周りが彼女の言い続ける呪文に掛ったように、春の呪いを信じ始めたんだ」

「そんな! 呪いなわけがない。 ・・・・実はこの間、春音さんから聞きました。事故の前に春音さん冬也さんと肉体的な関係になったって。ダメだって言う冬也さんを襲ったんだって」

「・・・・襲った? アハハハ。そんな事があったんだ」

「だから、自分が犯した罪で冬也さんが呪いを受けたって」

「なるほどな」

「呪いなんてないのに」

 夏樹の呟きに神木も深く頷いた。


「だよな。俺も馬鹿らしいと思ったけど、結局瑠衣叔母さんは春を追い出して、春は東京で父方の祖父母と暮らし始めた。けど、その祖父母も立て続けに病を患って、高校入学と同時にその家も出た。瑠衣叔母さんは、春に彼女の父親の遺産はちゃんと渡してくれたから、春は一人暮らしを始めてね。俺も受験する大学を東京に変更して、こっそり春を見に行ったんだ。友達もつくらず、ただ一人で登下校する彼女を見たら守ってやりたい。冬也の代わりにならなければって思ったよ。でもさ、春は未だに冬也が死んだ時のままだ。俺には助けてやれない。俺は、春が冬也と居た頃の、あのキラキラと輝く彼女を知っているから、もうこれ以上は何もしてやれない。逆に俺と居る方が春を苦しめているかもって考えた。そんな時、夏樹の心臓の話を聞いたんだ」

 夏樹は、重く苦しい胸の内を語る神木を励ます相応しい言葉が見付からず、ただ静かに聞いていた。

 すると、下向きだった神木の目線が夏樹と交差する。

「春は、夏樹と居れば元の様に元気になる気がする」


【ドクン】


 思いがけない神木の言葉に心臓の鼓動が早くなる。

「そ、そんな、俺が春音さんを・・だなんて・・それは、俺が冬也さんの心臓を持っているからですか?」

「どうだろう・・」

「神木先生・・ごめんなさい」

 突然、頭を下げる夏樹に神木は驚いた顔を見せる。

「先日、俺、神木先生に黙って、春音さんに告白しました。俺、自分の気持ちに気付いた時、感情が抑えられなくなってしまって。初めてなんです。人を好きになるって。正直未だに心臓外科医として、ドキドキするのが恋からだってイマイチ分からないけれど、彼女を見ると不思議な想いが溢れ出て来るんです。だけど俺、神木先生から奪い取りたいとか、そんな事も思っていなくて。あれ? 俺、どうしたいんだろう・・・・とにかく、俺が冬也さんの心臓を持っているからって、冬也さんと重ねて引け目とか感じないで欲しい。俺は加瀬夏樹。この事は、春音さんにも伝えました」


 神木は、必死で自分の感情を伝える夏樹を微笑ましい面持で見つめる。

「ハハハ。夏樹、青春してるな。羨ましいよ」

「それ、佐野先輩にも言われました。俺、もう27なんですけど・・」

 夏樹は膨れっ面を見せる。

 そんな夏樹を穏やかな目で見つめながら神木は続けた。


「夏樹の言う通り、夏樹は冬也じゃない。でもさ・・夏樹の中に生きている冬也を見て、未だに敵わないって思った自分に驚いているのも事実。こんなに春の傍に居ても、俺はいつも不安なんだ。上手くやれているか? この言葉で良いのか? いつも冬也に見られている気がする」

 神木が天井を見上げた。その仕草に夏樹の胸が少し切なくなった。こんなに必死で春音さんを守って来たのに、自分でそれを認めていない神木が垣間見えたからだ。


「もし冬也が生きていたら、俺が春の手を握るなんて出来なかった。だから冬也が死んで俺の深い深い部分が、アイツの死を喜んでいる・・醜い俺をいつか春に見透かされるんじゃないかって、いつもビクビクしている」

 神木は、ここで大きく深呼吸をすると次の言葉を吐き出す。


「こんな俺が、春を幸せになんて出来るはずがない」

 夏樹と神木の間に流れる空気が一瞬止まった。


「神木先生・・神木先生は冬也さんの死を喜ぶような人じゃ無いって、俺知っています!」

 夏樹が、身体を前に突き出して訴えると、止まっていた空気が再び動き出した。そして、悲しさを奥に秘めた笑顔が神木から送られる。

「夏樹、サンキュー。でもさ、太陽みたいな夏樹だから、春の心を溶かせるはず。バトンタッチだな」

「・・・・俺にそんな大役・・務まる・・」

【のだろうか】


 神木の切なくて、それでいて春音への熱い想いに返す言葉が頭に浮かばなかった。

「ごめん、ごめん。何か辛気臭くなってしまったな。せっかく、こうやって夏樹と飲めるんだ、楽しもうや」


 神木は、その後、春音と冬也、そして自身の年少時代を面白可笑しく、夏樹に話して聞かせた。そして、夏樹も自身の幼少時代や家族について話した。

 楽しい時間が流れてはいたが、昔の事を思い出す神木が時折見せる寂し気な影が、夏樹の脳裏に焼き付いてしまう。

 

 夏樹と神木が懐かしくて少し苦い思い出話に耽っている時、携帯の通知音が二人の意識を現実の世界へと引き戻した。

「俺の携帯かな? 急患かぁ?」

 そう告げながら、神木は自身の携帯をソファに掛けたジャケットのポケットから取り出した。

「えっ ・・瑠衣叔母さんが危篤」

 通知は、新幹線に飛び乗った春音からだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る