第32話 生まれた時から

 神木は、エレベーターで偶然同乗した小島佐紀と並んで夜間通用口に向っていた。

「この間、貴子がね、最近変な虫に嚙まれた急患が多いって言ってた」

「へぇ~ 温暖化の影響ってやつかな?」

「私達みたいに室内で働く人間には無害だけどね。最近山とか行ってないなぁ~。あ、でもそんな変な虫に嚙まれたくないけど」

「だな~」

「ねぇ~ 神木君、今日この後・・・・」

 小島が、神木を誘おうとした時、通用口を出て行く夏樹の後ろ姿が神木の目に飛び込んだ。

「あ、夏樹!」

「え? ナツキ? あ、ちょっと!」

「小島、俺行くわ。お疲れ~」

「え、えええ!」

 小島の横から走り去っていく神木の背中を見送りながら、小島は呆然と立ち尽くした。


「佐紀ぃ~ お疲れ」

 未だ動けずにいる小島に、彼女の同期である皮膚科所属の本田貴子が声を掛けて来た。

「何見てるの?」

「貴子ぉ~ 私ってそんなに魅力ない?」

「何言ってるの?」

「神木君を飲みに誘おうと思ったのに、男に奪われたぁ~!」

「あらあら・・・・じゃあ私が付き合うよ」

「・・・・いいの?」

「うん、愚痴を聞いてあげましょう」

「た~かこぉ~ ありがとう・・・・グスン。あっでも、加賀美君の惚気は無しよ。私傷心者なんだからぁ」

「分かった、分かった。ハハハ」

 小島と本田は、立ち止まっていた歩を進めると夜の街に消えて行った。


 今朝、雨が降っていたため自転車で出勤しなかった夏樹は、徒歩で家路に向っていた。

「雨上がったんだ。やっぱり無理してでも自転車で来るべきだったかな~」

 そんな事を呟いていると、突然背後から自身よりも長身の誰かに抱きしめられた。

「うおっ! 誰ですか・・・・え? 神木先生?」

 夏樹の肩辺りに項垂れた男性の顔が目に入る。

「春から聞いた心臓の事。ごめん、夏樹、暫くこのままでいいか?」

 いつもよりも更に深い神木の声で尋ねられる。


『愁、じゃあな』

 夏樹を抱きしめる神木の脳裏に、冬也が最後に残した笑顔と声が蘇る。


「・・神木先生」

 抱き合う男二人に見知らぬ通行人の怪しげな視線が送られる。


「初めて見ちゃった生ボーイズラブ!」

「イケメンだったらアリだね」

「写真撮っておけば良かったぁ・・♡」


 夏樹と神木の横を通り過ぎた女子高生の黄色い声が二人に届くと、我に返った神木が夏樹から離れた。

「ごめん・・夏樹。変な風に見られた・・・・」

「あ、いえ、俺は大丈夫です」

 この後、夏樹は神木を家に誘う。積る話があると思ったからだ。


「さっきの女子に、俺が夏樹の家に連れ込まれる所まで見られたら言い訳出来ないな。 アハハハ」

「ですねぇ。腐女子って呼ばれるらしいです」

「へぇ~ まじで男同士で好きになるってあるんだなぁ。ま、でも夏樹ならイケそうだわ」

「げ! あ、でも俺も神木先生ならアリかなぁって」

 二人はお互いの目線を合わせる。

「ないない! アハハハ」

 マンションの廊下に二人の笑い声が響いた。


「うっわっ! すっげ―豪華マンション。やっぱり夏樹ってお坊ちゃんだなぁ」

 神木は目を輝かせながら、夏樹の室内を見渡した。

「神木先生だって、お父さん大手商社に勤めてて海外駐在員のエリートだと聞きましたよ」

「何でそんな個人情報が院内で広がるんだろうね」

「すみません。院長がお喋りなんで・・・・アハ」

「なるほど」

 神木は、家に誘って貰ったため、途中スーパーでビールや摘まみ等を購入していた。それらをソファ前にあるテーブルに並べ始め、夏樹は冷蔵庫に直ぐに飲まない分のビールを入れていた。


「神木先生ってキャビア食べます?」

「うわっ! キャビアって、御曹司の冷蔵庫内は違うね~ うん、食べる食べる。ここ何年もキャビアなんて食べてないなぁ」

「先週、俺、実家で毎年恒例の誕生日を祝って貰って。その時の残り物です」

「そっか、夏樹は夏生まれか。冬也とは真逆だな」

 一通り摘まみ等を準備すると、二人はソファに深く座る。

「こうやって、神木先生と二人で飲むのって、考えてみたら初めてかも」

「そう・・だな」

 そう告げた神木は、何気に天井を見上げた。

「夏樹、アリガトウな。こうして冬也とも飲んでみたかったから、夢が叶った気がする」


【春音も同じセリフを言った】


 夏樹は、ソファに深く座り愛おしい表情を隠さずにいる神木に話掛ける。

「あの、神木先生から見て冬也さんってどんな人だったんですか? 春音さんが、神木先生の方が良く知ってるって言ってました」

 上を見ていた神木は、夏樹にそう問われ視線を落とす。


「そう・・だな。俺達一緒に育ったようなもんだからな。冬也の父親は、アイツが生まれる前に死んでさ、瑠衣叔母さん、あ、冬也の母親な、入院してた」

「あ、はい」

「看護師してて仕事が大変な人だったから、冬也達は瑠衣叔母さんの実家で祖父母と一緒に暮らしてたんだ」

「お爺さんが空手道場をしてたって」

「そうそう、俺の母親が瑠衣叔母さんの姉でさ。俺の両親も仕事人間で、姉貴とは年も離れてたから、俺も母親の実家に預けられる事が多くて、二人で爺ちゃんの空手道場に入り浸ってたよ」

「だから、生まれた時から一緒」

「うん。同じ歳だしな」

 多くの意味を持つ言葉を吐き出しながら、神木の視線は何処か遠くに向けられていた。


「冬也は、強くてかっこいい男だったよ。アイツの心臓の前で話すのは照れるけどな。ハハハ」

「神木先生・・」

「俺は冬也が大好きだった。俺よりも少し後に生まれたけど、アイツは大人びていて、俺の憧れだった」

 神木の目線が窓の外に移る。


【これほどまでに、二人に愛された冬也さん】

 夏樹は、複雑な気持ちになると、寂し気な面持ちの神木から目が離せずにいた。


「冬也も医者を目指してた。春の父親も、夏樹の病院ほど大きくは無いが、病院を経営しててさ、父親の後を継ぐって言ってた。そしたら、春との事を認めてくれるからって・・・・冬也の世界は春に出逢ってから彼女中心に回ってた。冬也は・・春を心底愛していた・・よ」

 春音が時折見せる哀愁を帯びた同じ面影が神木にも垣間見え、夏樹の心の深い部分が締め付けられた。

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