第16話 不思議な気持ち

 夏樹は、手術の腕を上げる事だけに集中したかったが、病院で働くには、患者と向き合うだけでなく色々あるのだと、ぼんやりと考えていた。

「なっちゃん」

「うわ! 亮・・院長。びっくりさせるな。心臓に悪いだろうが」

「ごめんごめん。おや? それ、昼飯?」

 夏樹は、天気が良ければ、病院の中庭で一人読書をしながら、休憩するのが好きだったのだ。

 時刻は、14時を回っていたが、ランチは取っていない。

「おやつだよ」

「じゃあ、お昼何食べた?」

「・・・・・・」

「やっぱり、それ昼飯だ」

「煩いな。毎日こんなんじゃないよ」

「どうだか」

「何でここに居んの?」

「なっちゃん、ここで休憩するの好きだろう」

「ストーカーか」

「そうそう、万次郎がさぁ、例のドクターの講演会、どの日に行くのか知りたがってたよ。夏樹、電話出ないし、返事もないって怒ってた」

「げ! やべっ! 忘れてた。それ、もう明後日だよ。俺行けるの初日だけだから。返事しておくよ」

「そっか。確か、万次郎、今日から数日海外出張って言ってたから、あいつとは会えないかもな。ま、返事だけはしておいて」

「うん、分かった」

「夏樹の事は、ちゃんと伝えてくれるだろう。あいつシッカリ者だから」


 夏樹は、指先に持っていたサンドイッチの欠片を口に放り込んだ。

「そう言えばさぁ、さっき怖いMSに声を掛けられたよ。あの人、結構問題じゃね」

「ああ、それ壮太も言ってたな」

「そう、佐野先輩が要注意だって教えてくれたから、警戒出来た。院長とKTMの社長の弟だろぉって質問された。ただの研修医だって言ったのにさ」

「そうか」

「それに、接待とか物品贈与とかってダメなんだろ?」

「勿論。公正取引委員会が煩いって言うけど、正直小さい額だったら、取締り出来ていないと思うな」

「その営業さん、すっげえ珍しい苗字だったな・・」

「何て名?」

「五百蔵・・関わり合いたくない人だけど、覚えちゃうよな。何かムカつく」

「五百蔵? 珍しいね。待てよ、どっかで聞いた事あるような」

「え? まじで? 他にもそんな名前の人居るんだ。ま! 亮一郎先生は、人脈が果てしなく広いからな」

「何だそりゃ」


 夏樹は、買って来たアーモンドチョコの箱の封を開けた。

「また来るんだろうな。嫌だな。ああ言うタイプ、特に苦手だ~」

「なっちゃん、女性に免疫ないもんな。昔から好きでもない癖に、告白されたら付き合っちゃうし」

「大昔の話だろ。それに他人に関心を持てって、煩かったの誰だよぉ。何て言って断ったらいいかも思い浮かばなかったし」

「やっぱり、そんな理由で付き合ってたわけだ。だから『夏樹君、冷たいんです』って言われるんだよ」

「そうそう、まるで口裏を合わせた様に、どの彼女も別れの言葉は『夏樹君、冷たいから』だったよな。どっちがだ」

「でも、別れたくないって、家の玄関で立ってた子も、何人か居た気がするけど」

「別れようって言って来たのに、その後で俺が追いかけて来ない・・・・とか、訳わかんね。今は楽だ。忙し過ぎてそれどころじゃないし、しっかりした断る理由がある」

 自分で応えた言葉に疑問を抱いた。

【そうだよな。俺、女性とか興味ないはず】


「なっちゃん、どうした?」

「え? 寝不足かな? 大きい手術をしたから疲れてるのかも」

「そうか。あまり無理するなよ。ま、僕も結局、お見合いだから、恋のアドバイザーには適任じゃないな~」

「亮にぃと葉月さんって幼馴染だし、お見合いって言うのかなぁ~」

「万次郎は、恋愛を成就させての結婚だから、奴に聞いたら?」

「恋愛アドバイザーなんて必要ないよ。別に焦ってないし。万にぃと利沙さんは、恋愛かぁ」

「大学の時に知り合ったはず。利沙って、帰国子女だよ。万次郎の大学に編入して来て、確かサークルで出逢った。万次郎の一目惚れで色々と作戦練ってたな。懐かしい」

「へぇ~。万にぃもやるね。拓にぃは? 俺達の中では一番男前じゃん。今でもモテモテだけど、昔ってもっと凄かったんだろうな」

「あれは、ダメだ」

「え? 何で? 遊び人過ぎて、もしかして隠し子が一杯とか・・ア、ハ、ハハ」

「逆逆、真面目君。プラチナ級の3Kなのにな。勿体ない。壮太も同類。偽チャラ男だね。だって二人等未だに・・・・」

「うわっ!」

 亮一郎の話を真剣に聞いていた夏樹の横に、突然スーツ姿の男性が現れた。


「あ、院長。やっぱりこんな所に、いらしたんですね。牧田様が来られます。夏樹さん、驚かせてすみません。お元気でしたか?」

「もうそんな時間。はぁ~ 会議ばっかり、僕も手術したいな~」

恒川つねかわさん、こんにちは。兄がお世話になっています。はいはい、院長、お仕事お仕事」

 恒川仁志つねかわさとしは、院長である亮一郎の秘書だ。父の代から引き継いでいて、加瀬総合病院に関しては、彼以上に事情を知っている者は少ない。

 亮一郎は、夏樹をギュッと抱きしめ、アーモンドチョコを一つ口に入れると、重い腰を上げた。


「じゅあな、なっちゃん、くれぐれも無理はするなよ」

 ウィンクをして、そう告げると、常川と共に立ち去った。


 兄三人は、未だ夏樹の身体を常に気遣ってくれる。彼等の身体に染みついた、夏樹へのアラート音は消えずにいるのだ。



 春音は、クライアントと会うため、久し振りに加瀬総合病院を訪れていた。

「本日は、お話が出来て良かったです。どうも有難うございました。またお伺いさせて頂きます。お身体お大事にしてくださいね。失礼します」

「高城さん、この度はお世話になりました。有難うございました」

 春音は、クライアントの家族に見送られ、病室を後にすると、近くの長椅子に座り、手にしていた書類を鞄に詰めていた。

 すると近くを知人の上原理利が横切ったため、声を掛けようと立ち上がる。

 春音が彼女の名前を呼ぶ前に、上原の瞳が夏樹を捉えた。


「加瀬先生」

 病室前で、カルテを確認していた夏樹は、自身の名前を呼ぶ声の主を見付けた。

「上原君。この間は有難うな」

「いえいえ、加瀬先生のお役に立てて嬉しいです」

 微笑ましい二人の姿に春音は後退りをすると、同じ長椅子に腰を下ろし、暫く物思いに耽った。


 高校の制服に身を包んだ冬也が、同じ学校の女性徒と並んで歩いてる姿が、脳裏を過る。

【嫌な思い出】

 春音は、目をギュッと瞑る。


「春? どうしたの? 仕事?」

 自分の名前が耳に届き顔を上げると、神木が立っていた。

「愁・・・・うん、そう。クライアントに面会してきたの」

 春音は、少し疲れた笑顔を神木に向ける。

「どうした? 大丈夫? もう、会社戻るの?」

「もう一人、ここの近くで会う事になっていて、何処かで時間をつぶしながら、書類に目を通そうかと思ってたとこ。愁は?」

「今日の外来で、急に入院する事になった患者さんを診て来た帰り。今からランチ」

「そっかぁ」

「春どうした? 疲れた顔してる。一緒に弁当食うか?」

「あれ? そう? 大丈夫よ。今日はね、外回りだし、お天気悪いから自分の分は作ってないの。ほら、短い休憩時間終わっちゃうぞ。私の事は気にしないで、お弁当食べてきて」

 神木にそう告げると、春音は立ち上がり、神木と共にエレベーターホールに向って歩き出した。


 病室から出て来た夏樹の遠目に、廊下を歩く神木と春音の姿が映った。

 優しい微笑みを神木におくる春音を見た夏樹は、例えようのない感情に戸惑い、握っていたペンが手に食い込んだ。


【どうして俺、こんなにイライラするんだろう】

 その場に一人、取り残された気分になった。

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