第15話 企み

 午前の診察から戻り、夏樹が医局に入ろうとした時、若くて綺麗な女性が出て来た。

「それでは、佐野先生、どうぞ宜しくお願いいたします」

「はいはい、考えておきます」

 医局の外で待つ夏樹に、出て来た女性がぶつかりそうになる。

「あ、済みません」

 綺麗な女性が夏樹に気付き詫びを入れた。

「いえ」

「佐野先生、こちらは? 研修医の方ですか?」

「まぁそんな感じ。じゃあ、今日はお疲れ様」

 佐野は、すっと夏樹と女性の間に入ると、まるで女性を追い遣るような態度を示す。

 佐野は、夏樹の胸にあるネームプレートを隠したのだ。


「はい、では失礼いたします」

 スーツに身を包んだ女性が、遠ざかるのと同時に医局に入った夏樹は、机の上に積まれている菓子箱やワインが目に入った。

「誰かの差し入れですか?」

「あ――さっきのほら、美人さん」

「新しいMS *医薬品卸売会社の営業担当 ですか?」

「ああ。今時、色気で迫るって古いよね」

「こういうのって受け取っていいんですか?」

「普通はNG、下心見え見え。でもしつこいんだよな。あ――面倒癖ぇ」

 女には優しい佐野にしては珍しく、露骨に嫌な顔をした。

「綺麗な女性なのに、佐野先輩に嫌われるとは、よっぽどですね」

「夏樹もあの女には気を付けろよ。ここの御曹司なんてバレるの時間の問題だからな。泣かれようと、縋られようと、相手するなよ」

「え? そんな攻撃の仕方? 亮にぃの方が心配ですけど」

「だよな~ まぁ営業が直で院長に行く事はないでしょう」

 佐野と医局の入り口で話をしていると、後ろから声を掛けられた。


「お疲れ様です」

 振り返ると、神木が立って居たのだ。

 夏樹は、先日の夜の事を思い出し、意識し過ぎて苦い顔をしてしまい、挨拶する振りをして下を向いた。


【あれは冬也さんが望んだ事。なら神木先生は理解してくれるかな】


「夏樹、沢山のお土産有難うな。ガラガラの冷蔵庫が久し振りに色取り取りだわ」

 気軽に声を掛けて来る神木に、失礼のない様に頭を上げた。

「そんなぁ、食べて貰えて助かります。まだ冷凍庫に入っているんで、いつでも言ってください」

「どんなけ送って貰ったんだぁ、凄いな」

「あ、はは・・は」

 夏樹は、作り笑いがバレない様に努める一方で、尊敬する神木に対して心が少し苦しくなった。


「あ~ 神木も貰ったんだ、北海道のお土産。旬の毛蟹とホタテ旨かった~」

「佐野先輩も?」

「ああ。でも、一人で蟹を突くの寂しいからさ、久し振りに拓っ君とこ行って来た。そうだ、理事長の誕生日会で、散々虐められたってボヤいてた。はぁ~愉快愉快」

【愉快って、佐野先輩が落ち着けば、拓にぃだって】


「夏樹、僕が結婚したら拓にぃも~ とか思ってる? それ、無いから。あの人、僕より婚期遠そう。持つべき友はバチェラーだわ」

「あのね~」

「じゃ、神木始めようか」

「あ、はい。宜しくお願いします」

「神木先輩と一緒って?」

 佐野は手にしていた、先程の女性に渡されたパンフレットで、夏樹の頭を軽く叩いた。

「ひえっ」

 夏樹は驚いて肩を上げる。

「今日の手術、どんなだっけ?」

 怪訝な顔をした佐野に問われる。


「あ! 消化器と合同でした。急性虫垂炎でしたよね?」

 若干自信なく夏樹が答えると、再びパンフレットで頭を叩かれた。

「はぁ~ 夏樹しっかりしてくれよ」

「は、はい!」

【気を引き締めないと】

 夏樹は、手術に臨む外科医に気持ちを入れ替えるため、頬をパンと叩いた。



 夏樹はICU(集中治療室)で、先程手術を受けた患者のために、心臓のエコー検査などの準備をしていた。

「お疲れ」

 面会を終えた患者の家族を、見送って来た佐野に声を掛けられた。

 心臓の手術を終えた患者は、通常ICUに送られ麻酔が覚めるまでの間に、エコー検査やモニター観察が頻繁に行われる。

「お疲れ様です」

 佐野と一緒にモニターを確認していると、神木に背後から声を掛けられ、看護師の上原を連れていた。

「手術、お疲れ様でした」

 上原は、愛嬌のある笑顔で佐野と夏樹に挨拶をした。


「今のところ心臓の方は順調で、脈も正常」

 夏樹は、カルテに患者の状態を記入している上原に報告した。

「そうですか。有難うございます」

「じゃ夏樹、僕、酒井さん診て来る。覚醒する前に戻ってくるから」

「佐野先輩、了解です」

 酒井とは、数日前に手術をした患者だが、不整脈を起こし容態が芳しくないのだ。


 上原は佐野が去った後、改めて点滴や体温などを確認していた。

「神木先生もお疲れ様でした」

「こっちは、虫垂炎だから大きな手術じゃなかったけど、やっぱ心臓って大変だなぁって実感したよ」

「いやいや、どの臓器も大変ですよ。今回、神木先生の手術を見れなかったのが残念です。気付いたら終わってるし」


「神木先生、容態安定しています」

「あ、上原君有難う」

 夏樹と神木が会話している間に、上原は脈拍や尿などの確認を終えていた。

「上原君は仕事早いね」

「え? あ、有難うございます」

 夏樹に褒められた上原は、頬を少し赤く染め照れながら応えた。


「上原君、俺、佐伯さん診て行くよ」

「あ、分かりました」

「夏樹、俺も麻酔が覚めた頃、もっかい来るわ」

「あ、はい」

「加瀬先生、失礼します」

 神木も佐野と同様に、ICUに居る別の患者の容態を診るため、夏樹の元を離れると、上原が後に続いた。

「上原君、顔赤いで。もっと夏樹と一緒に居たかった?」

「え? 神木先生、揶揄わないで下さい」

「アハハハ」

 神木は、白衣のポケットに両手を入れると、愉快気に歩みを進めた。


 午後の回診も終え、少し休憩を取ろうと、病院内のコンビニに入った夏樹の視界に、以前佐野の元に訪れていたMSの姿が飛び込んだ。

【げ! バレないように退散しないと】

 だが、夏樹が逃げるよりも先に、彼女の方が気付き声を掛けて来た。


「先日、佐野先生の所でお会いしましたよね」

「・・・・」

 目を合わせず、知らない振りをしたが、バレバレである。

「佐野先生からは、研修医の方だとお伺いしましたが、院長の弟さんだったんですね」

【げ!】

 夏樹は何と対応していいのか困り、黙り込むと遠くを見た。

「少しお時間良いですか?」

「何のために?」

 夏樹はまだ目を反らしたままだ。

「ここの院長の弟さんって事は、KTMの社長の弟さんでもあるんですよね?」

【この人、怖い】

 夏樹は、この手の女性に免疫がない。否、女性だけでなく、社会人になっても未だに、人付きあいが下手で、強引な相手には尚更なのだ。

【俺、拉致られるよ】


「加瀬先生」

 夏樹が、コンビニの入口で、女性の対応に困っていると、頭上から自身の名前が聞こえた。

 上を見上げると、コンビニ前に設置してあるエスカレーターから、上原が声を掛けて来たのだ。

「あ、上原君」

 エスカレーターを降りると、小走りに夏樹の元に来た上原は、満面の笑みで会釈をした。

「お疲れ様です。先生も休憩ですか? あ、こちらは」

「そうだ、上原君、兆度良かった。今朝手術した小野さんの事で、話たい事があったんだ」

「え? 小野さんですか? あ、そうでした。私も確認したかったんです」

 勘の良い上原は、夏樹のSOSに気付き、助け船を出したのだ。

「じゃあ、俺、行かないといけませんので、失礼します」

「そうですか。分かりました。じゃあ、私、メディカルシーの五百蔵彩乃ごもくらあやのと申します。宜しくお願いいたします」

 そう述べると、五百蔵ごもくらと名乗った営業者は、夏樹に名刺を差し出した。

 名刺を受けとるのを若干躊躇したが、夏樹は渋々手に取る。

「加瀬先生、コンビニにはもう行かれました?」

 上原がタイミング良く夏樹に問い掛けた。

「否、まだなんだ」

「お忙しいでしょう。早く行きましょう」

 上原は、五百蔵に一礼すると、夏樹の腕を掴みコンビニに入店させた。


「上原君、有難う」

 夏樹に呼び掛けられ、慌てて掴んでいた腕を離した上原は、耳まで真っ赤にして俯いた。

「出過ぎた真似をして、すみません」

「否、助かったよ。ああいうタイプ苦手で」

「そうなんですか? 良かった。あの営業さん、他のドクターには結構気に入られているようなので、加瀬先生に話掛けようか迷ったんです。お邪魔だったら悪いと思って。でも、加瀬先生、凄く迷惑そうな顔をしていたので」

「顔に出てた? あの人って他の科では、人気なんだ? へぇ」

「ええ。食事に行ったりするドクターが居るって聞きました」

「へぇ」

「随分、珍しい苗字の方ですよね」

 上原にそう言われ、夏樹は渡された名刺を目にした。

「五百蔵彩乃・・確かに。とにかく助かったよ。有難う。じゃあ」

「あ・・はい」

 上原は、以前よりも少し長く夏樹と会話出来た事に、胸を躍らせながら笑顔でコンビニの奥に去って行く夏樹を見送った。

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