第14話 操り人形

 夏樹の胸元に手を添えた春音の目元から、涙が溢れ出す。

「高城さん・・・・」

 夏樹は、添えられた手を握ると、自身の胸元に強く押し付けた。

「ここに冬也が居るのね」

 ポツリと小さく漏れる言葉に夏樹の鼓動が早まった。


【俺がこの人に惹かれるは、冬也さんが求めているからだ。そしてきっとこの人も、冬也さんを忘れられないのだ】

【大切な人を失う辛さ】


 ふと、夏樹の脳裏に昔の思い出が過る。


 真夜中に、救急車が家前に停まる音で目を覚ました夏樹は、心臓に負担が掛からぬようにベッドから下りていた。すると、三人の兄が満面の笑みで夏樹の部屋のドアを開ける。

「今から病院に行くぞ」

 亮一郎は夏樹に声を掛け、万次郎は夏樹のジャケットを手にし、拓三は適当に着替えを鞄に詰めていた。救急で頻繁に病院に担ぎ込まれる夏樹だが、今回は何故か皆嬉しそうだったのだ。

 発作以外で用意された救急車に、不思議な気持ちで乗り込むと、両親が既に中で待機していた。

 病院へ向かう車内は、歓喜に満ち溢れ、母が夏樹の手を強く握っていた。

『良かった。良かった』

 何度も繰り返し口する両親の姿と、母の手の温もりを覚えている。



 夏樹は、その時、自分達とは真逆で、悲しみに打ちひしがれた別の家族が存在した事を、春音の涙から改めて思い知らされたのだ。


「俺、ごめんなさい。俺、冬也さんの命を奪ってしまって。俺は、冬也さんと違って、とっくに死ぬ覚悟が出来ていたのに」

 そう語る夏樹の言葉は、春音の耳には届いていないのか、ただ夏樹の胸元を焦点の合わない目が張り付いていた。

 夏樹は、来ていたシャツの前ボタンを開け始め、心臓部位の手術痕を春音に見せた。

 春音が、縫い目を愛しそうに右手で触れた瞬間、彼女の脳裏に、臓器摘出手術を終えた、冬也の亡骸に付いた痛々しい手術痕が蘇る。


「冬也、ずっと・・・・逢いたかった」

 そう告げると夏樹の手術痕に口付けた。

「俺を冬也さんだと思って・・春」

 名前を呼ばれた春音が、嬉しそうに見上げたその唇に、夏樹は優しく彼の唇を重ねた。

 春音は、左手を伸ばし夏樹の頬に触れ、今度は自分からキスを求めた。


【冬也さんが、彼女を求めている】

 夏樹は、冬也の想いに応えようと考えた。


 しかし次の瞬間、春音の意識に、病院から帰宅し、布団の上に寝かされた冬也の遺体が駆け巡る。

 春音は、彼女の唇を夏樹から離すと、ふと下を向いた。


「有難う、夏樹君。でも貴方は冬也じゃないから。冬也はもう居ない」

 夏樹の胸元に添えていた手を離そうとした春音を、再度引き寄せる。

「でも、俺、こんな気持ちに、なったのは、初めて、で。 どうしたらいいのか分からない。きっと俺の中で生きる冬也さんが、貴方を求めているから」

「違う!」

 春音は強い口調で、夏樹の言葉に重なるように応えたが、優しく言い換えた。

「違うのよ。冬也はね、私の事を・・・・」


『春の事は大切にしたい、だから、やっぱり俺、出来ない』

 冬也の優しい言葉が、春音の中に住み続けている罪の意識を刺激する。


 そして、口から零れそうになった言葉を飲み込むと、夏樹の胸元で目を閉じ唇を噛み締めた。


「春・・音、さん?」

 名前を呼ばれてハッとした春音は、俯いたまま夏樹からゆっくりと離れる。

「今日は有難う。とっても美味しかったわ。私もう帰ります」

 キッチンから出ようとした彼女の腕を夏樹は掴むと、何かを言い掛けた。だが、思い留まり少し静かな時が流れる。

「忘れないで冷蔵庫の蟹、持って帰ってくださいね」

 掴んでいた腕を離すと、外を眺めた。

「雨止んだかなぁ」

 その言葉に春音も、床にあった視線を窓の外に移した。


 夏樹は、春音を家の近くまで送り届けた。無言の空気に耐え難い春音は、家までの道中お喋りになっていた。そんな春音に相槌を打ちながらも、夏樹は胸のざわめきが、何処から来るのかを考えていたのだ。

 夏樹は、帰宅するや否やソファに崩れ落ち、天井を見上げると、そっと唇を人差し指でなぞった。

 自分の大胆な行為を思い出すと、今更ながら顔が燃えるように熱くなった。


【俺があんな事をするなんて・・・・どうかしてる】


 さっきまで降り続いていた雨が、まるで自分の中に移動したのか、どんよりと分厚い雲が覆い被さる気分に襲われた。



 生まれ付き身体の弱かった夏樹は、家族以外の他人と関わる事を避けて来た。

 心臓発作を繰り返す夏樹には、数分後の生死すら保障が出来ないからだ。

 幼稚園や小学校に通うようになると、その思いは一段と強くなり、下校時に他の子供達が告げる

「また明日ね」

 誰もが当り前に口にする

『未来を約束する言葉』

 を誰にも伝えた事がなかった。

 それは心臓の移植手術が成功した後でさえ数年も続き、両親や兄達とは真逆で、社交的とは言い難い青年へと成長して行く。

 夏樹の周囲には、いつも家族と犬達しか居なかったが、孤独を一度も抱かない子供だった。

 そして、他者と関わりを持たずに済む学業だけに集中した。

 健康な身体を手に入れても、他人との距離はさほど縮まらず、自分が造った壁の中に居るのが心地良かった。

 家族の心配をよそに、学生時代においても、友人は片手ほども居らず、合コンや集まりは、勿論、クラブにもサークルにも加わらなかったのだ。

 

 そんな夏樹が、誰かに関わりを持とうとしている。春音に対しては、自分で壁を壊そうとしているのだ。


【冬也ってどんな人だったのだろう】

 女性の手を自分で掴む、ましてやキスをするなど、夏樹自身が起こした行動だとは考え難い。

 夏樹は、まるで冬也に操られている気がしたのだ。



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