第17話 隠したい夢
いつもの様に、講演会会場の入り口で名前の記入を終えると、肩を軽く叩かれた。
「夏樹君」
春音が、恥ずかしさを隠しながら夏樹に声を掛けた。
キスをした夜から、お互い顔を合わせていない春音は、会場に入って来る夏樹の姿を捉えた時、声を掛けようか、隠れようか迷っていたのだ。
「高城さん。お仕事ですか?」
「あ、いえ。今日は、プライベートです。凄い教授のお話、逃すわけには、いきませんよね」
「そうですよね。会社の方と一緒ですか?」
「一人です。皆は、週末に来るようなんですけど、私は週末仕事なので。あ、でも週末に用事が無くても、私は初日に来てました。ヘヘ。夏樹君も、お仕事忙しいでしょうに、来れて良かったですね」
「はい。今日は本当にラッキーです」
【先日のキスが頭を過る】
少し頬に熱を持った二人は、お互いに悟られないよう、時々目を合わせながら会話を進めた。
「高城さんもお一人なら、ご一緒しても良いですか?」
「勿論です」
春音の笑顔に、夏樹の心臓の鼓動が早くなった。
夏樹は、春音と共に会場に入ると肩を並べて座る。
そして二人共無言になると、入口で貰ったパンフレットに記載されてある、講演者である教授の紹介文に目を通した。
【アメリカ】
以前の夏樹なら、自身のアメリカ行きを、喜びで胸を躍らせていただろう。しかし、何故か夏樹は決断に対して複雑な気分だった。そして、隣に座る春音にも伝えるつもりは無く、逆に知られたくないと考えた。
【どうして?】
講演内容は、興味深く春音も夏樹も、必死にメモを取った。
医者や専門家以外に対しても、とても分かり易くまとめており、当然通訳を通じてだが、会場の誰もが教授の講演に魅了されていた。
夏樹は、こんなに素晴らしい教授の元で勉強が出来る未来と、話を付けてくれた万次郎に感謝しながも、隣に座る春音を感じる度に、湧き上がる否定的な感情を打ち消していた。
【俺の念願だろ? 望みが叶うんだろ? すげえ教授の元で勉強出来るんだぜ。何で俺、嬉しくないんだ】
【冬也さんに許してもらわないと】
「あ― 素晴らしい講演でしたね」
春音の言葉に同調しながらも、夏樹の頭の中は、相対する考えがグルグルと回っていた。
「やっぱり、海外は凄いな。つくづく日本って遅れてるなって思っちゃいますね、
・・・・夏樹君?」
「あ、うん、本当に、日本は、まだまだですね」
出口に集まる参加者達の中で、二人は未だ着席したままであった。
「夏樹君って、臓器移植外科になりたいって言ってたよね? 海外で勉強しようって思わないの?」
【ドキン】
夏樹の心臓が飛び出しそうになった。
【知られたくない】
【俺、本当にどうしちまったんだ】
「夏樹君? 大丈夫?」
「あ、ごめん。マッケンジーの言葉や映像が、まだ脳裏に焼き付いていて」
「本当に凄かったもんね」
「高城さん、そろそろ行きましょうか?」
「あ、うん」
海外での研修について尋ねられた事を、聞かなかったフリにした。
「高城さんは、この後真っすぐ家に帰られます?」
「あ、うん。そのつもり」
二人は席を立つと、既に人が疎らになった出口を通り抜けた。
「加瀬先生! ・・・・え? 春音?」
名前を呼んだ主の方を、春音と夏樹が同時に振り向くと、看護師の上原が苦い顔をして立っていた。
「あ、上原君。君も来ていたんだ」
「はい。アメリカから有名な教授が講演されるなんて、滅多にないですから。それにきっと、加瀬先生が来られていると思っていたので。仕事で遅くなってしまったので、後ろの方に座っていました。春音とご一緒だったんですか?」
「あ、まぁ、会場で偶然会ってね」
「二人って知合いだったんですね。いつの間に?」
上原は、春音に顔を向けると、少し不機嫌そうに尋ねた。
「ほら、母が心臓も患っていたでしょ。愁とも仕事で会う事が多いみたいでね。まぁ、そんなこんなで・・・・」
「へ―、それなら教えてくれても良かったのに」
「ごめん」
若干気まずい雰囲気になったため、夏樹は居心地が悪くなった。
「じゅあ、俺、帰るね」
実は、さっきまで夏樹の心の中には、春音を食事に誘いたい気持ちで一杯だったのだ。
以前、キスをしてしまった事を、謝るつもりは無かったが、それ以降話をしていないからだ。もし、食事が無理でも家が同じ方面であるため、もう少し時間を共に出来ると期待していた。
「え? 帰られるのですか? 一緒にご飯とか無理でしょうか?」
上原が、勇気を振り絞り夏樹を誘ったのだが、夏樹は不意を打たれ即答出来ず、沈黙が三人を包んだ。
「あ、有難う。でも俺、明日早いし、結構難しい手術が入ってるから、帰るよ」
全て事実だ。確かに春音と食事をしたいと考えた。だが、それが叶わないなら帰る選択しかない。
「そうですよね。誘って済みません。でも私・・・・」
「上原君とは病院で会えるから。じゃ今日はお疲れ」
夏樹は、その場から早く立ち去りたい気分に駆られた。それとなく、上原が再度誘ってくる気がしたため、春音の前で冷たい男を演じたくなかったのだ。
春音に軽く会釈をすると、夏樹は会場を後にし、駅に向かって足を進めた。
昼過ぎから降り出した雨が、会場を出ると止んでいた。
濡れた地面に街の灯りが反射して見える。久々に歩く夜の街に夏樹は、春音と一緒だったらと考えてしまう。
帰宅ラッシュを過ぎた車内は、閑散としていた。夏樹は長いシートに腰を下ろすと、先程受けたマッケンジーの講演内容を脳内で復唱していた。
【本当にすげえよな】
通過列車待ちの車内は空席が目立つにも関わらず、真横に誰かが座り、俯き加減だった夏樹が顔を上げた。
「夏樹君。お疲れ様です」
「春音さん」
驚いた夏樹は、思わず彼女を下の名前で呼んでしまう。
「あ、ごめん。高城さんも帰るの?」
「春音で良いですよ。夏樹君とは、ずっと前から知合いみたいな気がするので」
「え?」
「あ、多分、愁、あ、神木が、時々研修医さん達の話をするからかも」
「上原君と、食事に行かなかったの?」
「私も明日の早朝から仕事なので、って私は誘われなかった。夏樹君とだけ食事に行きたかったみたい」
初めて見せた春音の少し怒った顔に、まだ知らない彼女の一部を垣間見た気になる。
「アハハハ、それはショックだな。本当に友達なの?」
「私も少し疑問だわ・・ハハ」
「確か、大学が一緒だったとか?」
「そう。・・私ね、実は、オペナースなの。臓器移植コーディネーターの仕事と掛け持ち」
「え?」
「少しでも移植手術に携わりたかったから、臓器移植手術で有名な病院に勤めてるの。でも、患者さんは勿論だけど、家族へのケアも重要だなって考えた時に、コーディネーターの仕事を紹介されたの。だけど、看護師の仕事も辞めれなくてね。欲張りでしょ?」
「そうなんだ。聞いているだけで大変そう、凄いな」
「臓器移植外科を、目指している夏樹君に比べてたら全然よ」
「俺、まだ目指しているだけだから。実際になれるか分かんないし」
「大丈夫。夏樹君なら立派な臓器移植外科になれる!」
春音は、強く気持ちを込めて夏樹に語り掛けた。そして、時々夏樹に向けていた目線を、何処か遠くに移動させると、優しく呟いた。
「TK循環器研究センターの阪元先生みたいにね」
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