第12話 夢


「夏樹、本当に臓器移植外科を目指すのか?」

 父の誕生日会での食事を終え、ケーキを突いていた夏樹は、父に改めて問われた。

「うん。そのつもり」

「そうか、まぁ身体も大丈夫のようだし、心配する事は無いかな」

「え? 何が?」

 いつも反対される話題だが、今日は前向きな家族の姿勢に少し心が躍る。


「実はな、なっちゃんは、カナダって言ってたけど、アメリカの大学で研修してみるか?」

「え? 万にぃどう言う事?」

「お爺様の昔のコネを、ちょちょいと利用してな、臓器移植では権威のあるアメリカの先生を紹介して貰った」

「え? まじで?」

「近々来日されて講演会を開かれるらしい」

「もしかして、ドクターマッケンジー?」

「彼の講演会に行くのか?」

「そう、昨日申し込んだとこだけど」

「そうか、今回の来日はスケジュールが、かなり埋まっているようでな、なっちゃんに顔合わせが出来るか分からないが、政府が臓器移植会との会合の場を設けているようだから、もしなっちゃにその気があるのなら、改めて僕の方からお願いしておこうと思っている。どうだ?」

「万にぃ! 俺、勉強したい、、、、」

 意欲満々の夏樹の脳裏に突如、春音の顔が浮かんだ。日本を離れる事になるからだ。

「どうした?」


 亮一郎が夏樹の微妙な表情の変化を掴み取った。

「あ、いや。病院の方は大丈夫なのかなって。行けるとしたら、いつアメリカに?」

「今年は、ドクターマッケンジーの研究所の拡大工事をするらしい。だから、早くて来年の始め頃だな。日本の入れ替えが春だから、それに合わせても良いと言ってくれている。亮一郎の病院だって、なっちゃんが今年抜けるのは大変だろ?」

 万次郎は、夏樹に集中させていた視線を、隣に座る亮一郎に向ける。


「なっちゃんは、既に加瀬病院には、欠かせない存在になっているからね~」

「亮にぃ・・・・ うん、万にぃ。俺、行きたい。本場でしっかりと学びたい」

 春音への不思議な感情は、一瞬夏樹の決心を揺さぶったが、素晴らしいチャンスを逃したくない自分と向き合う努力をした。


「なんかさぁ~ なっちゃん、ちょっと大人顔になったね」

 組んだ足の膝上に手を置き、可笑しな笑みを浮かべた亮一郎に尋ねられた。

「え? 大人顔って何だよ。俺もう直ぐ、27だぜ。当り前じゃん」

「誰か良い人と出逢った?」

 夏樹は亮一郎からの不意打ちの質問に顔が赤くなったのだ。

「あれ~ 夏樹の顔が赤いなんて、熱出した時以外見た事ないなぁ」

「マジか?」

 三人の兄に指摘されると、益々顔が熱を帯びる。


「え? やだ~! 本当になっちゃんの顔赤い」

 加勢家の女性グループと美津子は、ここまでは、それとなくしか興味を示さなかった男達の会話に、突然聞き耳を立てて来た。

「なっちゃん、どんな人?」

「もう、そんな人が居てもいいわよね」

「夏樹、早く紹介しなさい。私、何を着ようかしら」

 夏樹は、焦り顔でテーブルを叩くと立ち上がった。

「ちょちょちょっと待った。そんな人居ないから! 亮にぃ変な事を言うな!」

 夏樹の放った言葉など誰も聞いていない。皆は勝手に恋バナで盛り上がり、夏樹はヘナヘナと席から離した尻をもう一度下した。

 そして、矛先は三男の拓三にも向けられていた。


「拓っ君もどうなの? もうこの際、結婚とか妊娠とか、順番気にしないから」

「早く、拓三ジュニアが見てみたいわ~ 間違いなくハンサムよ」

「姉さん達! おい、夏樹のせいだぞ! 俺は一生独身です。兄貴二人が落ち着いてんだから、いいだろ残りの息子二人が好きにしてもよ!」

「ねぇ~、最近同性同士の恋とかあるみたいだけど、貴方もしかして、やだ!」

「母さん、昼ドラの見過ぎ。そんなの興味ねえ。全くぅ」

 拓三の見合い話まで飛び出し、女性陣の盛り上がりは、留まるところを知らなかった。

 拓三は、呆れ顔で手を頭の後ろに組むと、天井を見上げた。

「もう、惚れるとか勘弁してくれ・・・・」

 ポツリと言葉を溢すと暗い影を落とした。

 拓三の小さな独り言に、気付いた亮一郎と万次郎は、鼻で小さな溜息を付いた。



「アメリカかぁ~」

 仕事の帰り道、夏樹は、自転車をこぎながら呟いた。

 念願が叶う喜びとは裏腹に、何故か時々フイに春音の事を探す自分がいた。

 春音の母が退院して以降、姿を見ていないからか、胸の奥から何かが抉り出る様な、奇妙な感覚に時折襲われるのだ。

 もし日本を離れる事になるなら、このまま会えない方が良いかもしれない。


【それを心臓の冬也さんが、許してくれるのならな】


 頭で勝手に自問自答を繰り返していると、目の前に夜道を歩く身に覚えのある人影が見えた。


「高城さん、、、、?」

 彼女の後ろ姿は、いつもどこか寂し気なのだ。それは後ろ姿だけでない、時折見せる彼女の仕草が辛そうで、守ってあげたくなるのだ。

 夏樹は、自転車を春音の横に停めると、挨拶をした。

「こんばんは。今帰りですか?」

 以前、別れ際に夏樹が春音を抱き寄せたため、少し緊張した再会だったが、夏樹は平然を装った。

「加瀬先生。お久振りですね」

 春音は、若干嬉し気に応え、暗がりでも頬がピンク色に染まって見える。

 夏樹は、自転車を押しながら、春音の歩調に合わせて、春風の暖かい空気の中を歩き出した。


「その後、お母さんはどうですか?」

「やはり、自分の家が良かったようですね。のんびりと過ごしているみたいです。気に掛けて頂いて有難うございます」

「それは良かった。でも傍に居ないと心配でしょ?」

「そうですね。でも、母の姉妹が近くに居るので、頻繁に訪ねて来るみたいです」

「なら、少し安心ですね」

「ええ」

「そうだ。高城さんも神木先生も、蟹とか海鮮類好きですか?」

「え? あ、はぁ」

「先日、両親が北海道を旅行したみたいで、お土産を大量に送って来たんですよ。俺だけじゃ食べ切れないし、少し貰ってもらえませんか?」

 夏樹は、満杯の冷蔵庫を思い出しながら懇願した。


「あ、うん。有難うございます。北海道のお土産って美味しそう」

「美味しいんですけど、ここんとこ毎日で、そろそろ肉が食べたい」

「アハハハ。そうなるかもね」

「じゃあ、後で持って行きます」

「え? そんなの悪いので、加瀬先生さえ良ければ、今からお宅に伺います」

「大丈夫ですか? 重いかも」

「そんなに大量に頂かなくても、、、、持てるくらいで十分だから、アハハハ」

「じゃあ、俺の家、もうそこなんで」

 二人が会話をしていると、夜空から雨が降り出した。



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