第11話 加瀬家

 春音の母が退院し、彼女を病院で見掛ける事が無くなった夏樹は、家路に着くと冷蔵庫から缶ビールを取り出していた。

「はぁ~」

 まるで全身から空気を吐き出すような、大きな溜息がキッチンに漏れた。

 ビールを片手に書斎に入ると、久し振りに自身のパソコンを開く。

 報告書やレポート等の作成は、全て仕事の合間に病院のパソコンを利用しているためだ。

「さすがにこれだけパソコン使っていなかったら、アップデートが多いな」

 アプリの更新中にメールを確認すると、臓器移植のサポート団体からメールが届いていた。

 講演会の案内等を時折受信していたが、それらは週末に行われる事が多く、夏樹はなかなか参加する事が出来ないでいた。


「あれ? これなら行けるかも? しかもアメリカからドクターを招いてって凄いじゃん」

 臓器移植においては、日本より遥かに進んでいるアメリカから、この分野では有名な大学教授を招いての講演会の案内であり、日程には平日の夜の講演も含まれていた。

「シフト確認してみよう」

 

 いても立っても居られなくなった夏樹は、自身のスケジュールを確認した。

 もう直ぐ27歳になる夏樹だが、スケジュール表には、病院での勤務しか記載されておらず、仕事が入っていなければ、特に用事もないのだ。ただ、明日だけは、「休」に加え「父誕生日」と記載されていた。


「え―と、六月八日と、、、、お! この日は、日勤だ。しかも宿直に夜勤明けだから、絶対に過酷な残業にはならないだろう」

 勤務シフトを確認すると、講演会への参加申し込みを済ませた。

【あの人も来るかな~】

 椅子の背もたれに体重を掛けると、天井を見上げた。


 夏樹は久し振りに自分の車を運転し、実家に帰っていた。

 玄関のドアを開けるや否や、勢いよく尻尾を振る母、亮子の愛犬二頭に出迎えられた。 

「タロー、ジロー、元気だったかぁ 相変わらずフサフサだなぁ~」

 しっかりと躾されたハスキー犬二頭は、夏樹の足元でお座りをすると、嬉しそうに頭を撫でられる。

 タローとジローは、母の愛犬ではあるが、夏樹が幼少期に飼われていたハクのひ孫である。

 病弱だった夏樹にとって、常に寄り添ってくれたハクは、心の支えであっただけでなく、いつの間にか夏樹の心臓発作を、誰よりも早く察知する能力を身に付け、幾度に渡って彼を助けた名犬だった。夏樹が14歳の時に心臓を移植した後、まるで役目を果たしたかの様に、この世を去ったのだ。


「タローとジローが玄関に行ったと思ったら、夏樹君の到着でしたかぁ」

「拓にぃ、久し振り~!」

 三男の拓三たくみは、夏樹に歩み寄ると、ガッシリと抱き合った。

「拓にぃ」

 拓三は、いつもこうやって、夏樹を抱きしめてくれる。未だに夏樹が生きている実感が欲しいのだ。

「あれ? 夏樹ちょっと痩せた?」

「そう?」

「今日はシッカリ食えよ。母さんと美津子さん、馬鹿ほど料理を用意しているみたいだからさ。父さん用のケーキなんて、ウェディングケーキかぁって大きさだ」

「まじっ! でも今日って家族だけじゃなかった?」

「ああ、でも結局誰か誘うんじゃないか? あんなの俺等だけで食べきれない。ケータリングも注文しているみたいだしな」

【どんだけ~】


 田村美津子は、通いで来てもらっている、お手伝いさんの様な人だ。彼女が若い頃は、夏樹達四兄弟の面倒をみるために、毎日働いて貰っていたが、今では週に一度簡単な雑用に来て貰う程度で、すっかり母の茶飲み友達だ。


「あ、なっちゃんだぁ~」

「なっちゃんだぁ~」

「なっちゃん」

 一番上の兄、亮一郎の双子の娘と、二男、万次郎の長女が居間から出て来た。

「おお、かえで紅葉もみじ結渚ゆな三人とも大きくなったな~ お母さんに似て美人になってきたじゃん。あと、なっちゃんじゃなくて、夏にぃだからね・・・・」

 夏樹は、綺麗に磨かれた檜の床に両膝を付けると、鞄から三つ可愛いピンク色の包袋を取り出した。

「はい、楓、紅葉。はい、結渚」

「プレゼント?」

「わーい」

「ありがとう」

 楓と紅葉は夏樹の両頬にキスをし、結渚は、夏樹に抱き付くと、嬉しそうに包を抱えながら走り去った。

 微笑ましい姪達の後に続き、夏樹と拓三も居間に入った。


「夏樹! 来たか。元気そうだな」

「父さん、お誕生日おめでとう」

「ああ、もう祝って貰う歳でもないんだがな」

「何でだよ。これからは一年長生き出来たって祝いだろうが。よ、なっちゃん、久し振りだな」

「これはこれは、国会議員殿ぉ 万にぃと会うのは、何時振りだぁ?」

 次男の万次郎はソファに座りながら、父と長男の亮一郎と共に、既にシャンパンで祝い酒を始めていた。

「暫く、出張ばかりで、ここに来れなかったからな。元気そうじゃん? 亮にぃに病院で扱かれているみたいだな」

「そんな人聞きの悪い事を、、、、なっちゃんが仕事したいしたいって懇願するから」

「そうそう、宿直に夜勤、休日出勤なんのそのだぁ――」

「若いって良いよな――」


【元気になって本当に良かった】

 三人の兄の頭に言葉が浮かび、口元を緩ませた。


「あっ夏叔父だぁ~」

「夏叔父ぃ」

 二人の男の子が、庭から声を掛けた。

「お前等、叔父さんじゃないって言ってんだろうが。夏にぃと呼べ」

「倍以上も年が離れてて、それ絶対に無いから」

「無理無理」

「おいコラッ! 小童ども💢」

 亮一郎の長男、ひいらぎと万次郎の長男、湘真しょうまが、拓三から貰ったフリスビーで遊んでいた手を止めた。

「夏にぃって呼ばないなら、さっき買って来てやった、今日発売の月刊ジャピンと少年マンガやらねぇぞ、、、、ガハハハッ」

「うお~ まじで、もう買ってくれたの」

「大人気ないなぁ、、、、夏にぃって呼ぶよぉ」

 仁王立ちで立つ夏樹叔父を、甥っ子達は下から見上げた。


「あらあら、なっちゃん、いつも有難うね」

「あ、葉月さん。お久振りです」

 亮一郎の妻、葉月が台所から酒の摘まみを乗せた皿を持って現れた。

 彼女と共に、姪三人が、夏樹に貰った髪飾りを付けて、澄ました顔で戻って来た。

 夏樹は、姪達に似合っていると声を掛けると、葉月と共にキッチンに出向いた。

 夏樹の予想した通り、台所では母、亮子を囲んで、小さな飲み会がここでも始まっていたのだ。

「母さん、元気そうだな」

「あら、夏樹。ごめんね、出迎えに行こうかと思ったけど、貴方がこっちに来るのを待つ事にしたの」

 息子の出迎えは面倒だと顔に書いてある。

「いいよ母さん。美津子さん、利沙りささん、こんにちは」

 利沙は、二男万次郎の嫁だ。

 母、亮子の天然キャラの故か、加瀬家では嫁姑の問題は無く、頻繁に女四人で出掛けている様だ。

「なっちゃん、また子供達がプレゼント貰ったみたで、いつも気を使ってくれて有難う」

「とっても素敵な叔父様ばかりでしょう、、、、オホホホ」

「母さん、何時から飲んでるの? もう出来上がってんじゃん」

「海外では、シャンパンブレックファーストってあるのよ」

「クルーズ船かぁ」

「クルーズ、良いわねぇ~ 行ってみたいわ。お父さん、早く隠居すれば良いのにぃ」

「ここ熱くないのかよ? オーブンフル活用じゃん」

「女は、キッチンドリンクが好きなの。ねぇ、お母さん」

「ははは、葉月さんまで」

 こうして、父、加瀬一郎の69回目のバースデーパーティーが盛大に行われたのであった。


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