第10話 置いてきた笑顔

 診療時間が終了し、薄暗く閑散とした病院を、一人普段着で歩く神木に、小走りで近づきながら女性が声を掛けた。

「神木君」

 後ろを振り返ると、そこには一見内科医には見えない程に、綺麗に装った女性が、少し息を上げながら立って居た。

「小島、お疲れ」

「お疲れ、神木君。あれ? 今日はもう上がり? じゃあ今晩行けるんだ!」

「今日って何かあったっけ?」

 一旦止めた足を再び進めると、会話をしながら夜間通用口に向った。

「え~ 同期で集まろうって、メール来たでしょ?」

「あれって今日だっけ? 絶対無理って思ってたから、覚えてないや」

「今帰りなんでしょ? だったら行こうよ」

 小島にそう問われた神木は、春音に確認してみるか、と頭に浮かんだが、彼女が、今朝から一泊で出張だった事を思い出した。

「そう、、、、だな。久し振りに皆の顔も見たいしな。誰が来るん?」

「確か、小児科の柳君以外は来れそうな感じだったけど、まぁ急患とか出たらね、ドタキャンあるかな? 逆に神木君の参加は、きっとサプライズだわ」

 小島佐紀は嬉しそうに顔を赤らめながら、神木に微笑んだ。


「そうそう、神木君の知り合いの人、来週退院するんだって?」

「ああ。残念ながら、もう何もしてあげられないからな」

「そっか、、、、わざわざ転院されたのに、辛いね」

「俺達と一緒に暮らすのが理想だけど、本人が家に帰りたいって言うしな。ここじゃ他の家族や友達が居ないし、気持ちは分かるよ」

「確か、胃だけじゃなくて、心臓もだったよね。いつ発作とか起きるか分かんないし、心配よね」

「ああ。3時間位の距離とは言え、やっぱ遠いよな。手術とか無理でも、せめて傍で看ていてあげたいんだけどな」

「彼女のお母さんだっけ?」

「そう」

 何故か、実の母でない事は伏せた。


 同期会は、個室のある普通の居酒屋で行われた。

 神木と小島が到着した時には、皮膚科の本田貴子ほんだたかこと整形外科の中村大洋なかむらたいようが待っており、遅れて消化器内科の加賀美律かがみりつもやって来た。

 不参加だと告げていた小児科の柳真斗やなぎなまとも会の終了間際に現れたのだった。

 皆、医者であるが、様々な医療以外の話題で同期会は盛り上がったが、次の日も仕事があるため、週末にもかかわらず、早目のお開きとなった。

「それじゃ。また同期会しような」

「病院でも会うけどさ、やっぱこうやって集まるのっていいよな」

「初めてじゃない、皆が参加出来たの」

「だよな。小島、忙しいだろうに、いつも幹事サンキューな」

 加賀美の言葉に皆納得し、小島に礼を告げ、それぞれの家路に向った。


「神木君って、明日仕事?」

「まぁな、でも夜勤。小島は?」

 小島の家は、神木と同じ路線であるため、会場だった居酒屋から一緒に最寄り駅へ歩いていた。

「私は、久し振りのお休み~。だからもう一杯付き合って」

「終電まで時間あるし、一杯だけならいいよ」

「でも、お店じゃなくてもいい? ほら、そこの公園。ブランコを見たら急に乗りたくなっちゃって。コンビニでお酒買おう」

「ははは、内科医のくせに随分と安上がりだな。いいよ」

「コンビニって結構お酒の種類揃えてて美味しいのよ。それにさ、いつも病院と家の往復で、太陽や月の光って浴びないでしょ。見てよ、ほら、お月様。綺麗じゃない? 外で飲みたいなぁって」

 コンビニで数缶、酒を購入すると近くの公園に立ち寄った。

 小島は、希望通り暫くブランコで遊んだ後、公園のベンチに二人並んで腰を下ろす。


「そうだ、貴子と加賀美君、付き合ってるんだって」

「え? そうなん? 今日もぜんぜん、そんな素振り無かったけど」

「え―― あれで気付かないって、神木君、鈍感過ぎ」

「・・・・・・」

「そんなだから・・」

「ん? 何? まぁ、同期同士がくっ付くのって良くあるのかな? 職場恋愛だしな」

「ねぇ、、、、神木君、大丈夫?」

 小島が手に持った缶を見つめながら尋ねた。

「え? こんな酒の量じゃ酔わないよ。俺」

「そうじゃなくて、幸せ?」

「何だよ、それ。まぁ仕事めちゃくちゃ忙しいから、バテ気味だけど、充実した毎日かな」

「神木君てさ、時々凄く寂しそうな顔するよね。今夜の同期会でもそう、皆の笑顔と違う。心から笑っていないって言うか、笑っちゃダメみたいな。私、そんな神木君を見てるの辛くて」

「小島・・・・? 俺、そんなオーラ出してたなら、ごめん。でも大丈夫やで。辛い事とかない。ほら、患者さんを助けられなかった日とか、そんな時じゃないかな」

「私、神木君の事、誰よりも見てるの。大学の時からずっと」

「大学って? 小島って同じじゃないよな?」

「違うよ。でも神木君の事は知ってるの、ずっと前から」

「そう、、、、なんだ」

「確か、彼女って幼馴染で、長い付き合いなんでしょ。なのに神木君、彼女と居る時も幸せそうじゃない。言い過ぎたならごめんなさい」

「今はほら、彼女のお母さんが病気だから」

「彼女とは、腐れ縁で一緒に居るの?」 

「小島、お前酔ってるのか? 帰ろう、もうこの話は終わりだ」

 神木は立ち上がると、小島が持っていたカクテル缶を、彼女の手から取り上げた。

「私が本当の事を言ったから、動揺してるの?」

「違うよ。動揺なんかしていない。心配してくれるのは、有難いけど、俺と春音は腐れ縁とかじゃないし、俺、あいつの事、心から愛してる。一緒に居て幸せだから・・・・」

『幸せ』と言葉にした瞬間、冬也の声が耳に届いた気がした。



「愁ってさ、春の事好きなん?」

 中学校からの帰り道、神木は突然、冬也に春音の事を尋ねられた。自分の春音への気持ちは、誰にもバレないように、上手く振る舞って来たつもりだった。そのため、冬也の質問に即座に答えられなかった。

「え?」

「悪いけど、春は、誰にも渡せない。愁にもや。だって、春を幸せに出来んの、俺だけやし。俺を幸せに出来るんも、春だけやから。ごめんな。でも俺一生愁の事、大好きやで。お前は俺にとって、これからもずっとずっと最高の従兄や!」

 冬也がいつもの満面の笑顔を愁に向けた。

「知ってる・・・・」

 心の奥を針で刺されるような痛みを、冬也に感じ取られないように、微笑み返したのを思い出した。

 そして、その針は未だ抜けないままだ。


「神木君? 大丈夫?」

「あ、ごめん。何か急に昔の事を思い出した」

「ほら、また辛い顔してる」

 小島は悲しい顔で、そっと神木の頬に手を添えようとした。だが、彼女の手が届く前に神木が横を向くと、空いた缶を捨てるためにゴミ箱を探す振りをした。



 大学に入学した小島佐紀は、毎日に電車に揺られながら通学していた。彼女の乗車駅は、始発駅だったため、高い確率で座席を確保する事が出来た。そしていつも同じ車両の同じ席に、腰掛けるようになった。何故なら、時々乗り込んで来る男性に恋をしたからだ。必ず電車のドアに肩を預け外を眺めながら立つその姿に。

 何処の誰なのか知らない男性だが、彼の背中とドアの窓に映る寂し気な目と、時折見える横顔に強く惹かれていった。

 そんなある日、他の大学の医学生や留学生を交えての勉強会に参加した時、電車の男性に会ったのだ。

 彼の名は、神木愁、T大学の医学生で同い年だと知った。そして名前の様に時々表れる愁いな神木の顔が、小島佐紀の心に住み着いてしまう。



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