第4話 過去の記憶
日暮れ時に病院の通用口を通ると、神木が前を歩いていた。
「神木先生」
「あ、夏樹。宿直?」
「今日は夜勤です。神木先生もですか?」
「そう」
「宜しくお願いします」
「何か、今日は忙しくなる気がする」
「え?」
「ハハハ、そんな気がするだけ。でもたま~に俺の否な予感当るから。そうなったら、ごめんなぁ~」
「俺は、沢山色んな経験をしたいので、全然構いません」
「頼もしいな。今日の夜勤、夏樹と一緒で良かった」
「俺もです」
神木は、男の俺から見てもハンサムで、まだ28歳だが、その外科医としての手腕は、素晴らしい。
その上、他の医師や患者に対して、分け隔てなく接するので、ここの病院では、かなりの人気者だ。
関西出身らしく、時折口から漏れる関西弁により、女子力が高いのも頷けるのだ。
ふと、先日の女性の姿を思い出した。
「神木先生が、この間、女性と居るの見ちゃいました」
「春音の事かな? 彼女のお母さん、入院してるから。そっか、夏樹には、まだ紹介してなかったかぁ。また見掛けたら、こそっと見てないで声掛けてや。ハハハ」
【やっぱり、彼女なのかな】
原因不明のモヤモヤが、胃の辺りに感じられ手で摩る。
突然、夏樹達は、ナースセンターに集合させられると、近くのスクラブ交差点で、大型トラックが左折の際に横転し、歩行者に被害が出たのだと告げられた。
神木の予感が的中し、今晩は忙しくなりそうだ。
確保出来る病床の数や、被害者の状態などを確認していると、突然、神木の脳裏に、昔の記憶が蘇った。
「愁、
「春、、」
十六歳になったばかりの神木は、救急病院の手術室前に大急ぎで駆けつけたのだ。
彼の胸に飛び込み、泣きじゃくる春音に、神木は掛ける言葉が見当たらず、ただ彼女の頭を優しく撫でるしかなかった。
「私のせい 私のせい 神様、罰なら私が受けます。どうか冬也だけは。 私のせい 私のせい 私が冬也を 私のせい」
神木の腕の中で、何度も同じ言葉を繰り返す、春音がそこに居た。
「神木先生、五床は確実に大丈夫だそうです。。。。神木先生?」
「あ、上原君。今、五って言った?」
「はい、大丈夫ですか?」
外科医である神木の元に、事故の通知は日常茶飯事だ。なのに、何故か今日に限って、昔の記憶が脳裏を駆け巡ったのだ。
それは、神木にとって忘れてしまいたい、悲しい記憶だった。
「ごめんごめん。どうやって対応しようか考えてた。了解。有難う」
「加瀬先生、今日はどうぞ宜しくお願いします」
被害状況を聞いていた夏樹に、一人の看護師が挨拶をした。
「君は、この間の」
「夏樹、上原君知ってるの?」
「講演会に行った時に、受付をされてたんです」
「講演会? ああ、先日のかな? 彼女、出来るナースだから。頼りにしてるで」
神木は、そう告げると、上原の片を優しく二度叩いた。
「はい、頑張ります」
そう返事をすると、上原は急患を受け入れる準備に戻った。
「多くの歩行者が、事故に巻き込まれたようだが、幸い転倒しただけの、軽症者が大半のようです。脳損傷以外の、重症者は、恐らくこっちに運ばれると思う。皆よろしく」
「分かりました」
神木の報告に、全員気合いを入れて応答すると、一斉に持ち場に戻った。
「夏樹、変な予想してごめんな。搬入口に行くぞ」
神木が両手を合わせて、申し訳ない素振りをすると、救急患者の搬入口に向かって早足に駆けた。
俺は、そんな神木の後を追うと、救急車のサイレン音が遠くから近づいて来たのだ。
「神木」
搬入口には、白衣を着た中年男性が、数人の看護師と共に待機していた。
「
「よろしくな。七人搬入されるようだ。恐らく二名オペ要」
「了解です。今日は、こいつと一緒なんで、ダブルラッキ―です」
神木は、夏樹の肩に手を回すと、守屋に告げた。
「神木先生、、俺、頑張ります」
神木に期待されているのが嬉しかった夏樹は、自分自身にも言い聞かせるように応えた。
「来たぞ」
守屋が告げた通り、二人の患者を神木と共に、一晩掛けて手術をする事になった。
最初の患者は、内視鏡で診るよりも、実際の状態はかなり酷く、夏樹は一瞬狼狽えそうになったが、神木の抜群の判断力と腕前、そして先導力により、どちらの手術も無事に成功した。
術後の容態も安定していて、日勤シフトに引き継ぎを終えると、夏樹はロッカールームに備えられている、ソファーに倒れ込んだ。
「疲れたぁ~」
着替える気力も体力もなく、ただただ横になりたかった。
暫くすると、仰向けになった夏樹の額に温かい物を感じた。
「お疲れ」
目を開けると神木が立っており、夏樹に缶コーヒーを手渡した。
夏樹は慌てて起き上がり、缶コーヒーを受けとると、神木が夏樹の隣に腰を下ろす。
「あ、有難うございます。お疲れ様です」
「着替える気力もないか? 一晩十立ち仕事だもな。確かに疲れたなぁ」
「でも俺、本当に良い勉強になりました。あの症状から、臓器を全摘しないでって、神木先生は、本当に凄いです」
「いや~ そんなに褒められると照れるなぁ。外科医は、患者の人生も考えないとさ。全部切っちゃえば命は助かるし、手術も簡単だろうけど、これから先、生きていくのは患者さんだしね。あの人、二十二歳位だっただろ? 人生まだまだこれからやん。出来るだけ楽しく生きて行って欲しいからね。今回は、止血も体液の漏出を防ぐのも上手くいったからなぁ。でもあの患者って、絶対に3次救急のレベルやで」
「そうですよね。神木先生が居たから良かったけど、かなりヤバかったですよね」
「ま、それだけ救急の受け入れ先が無いって事だよな。大丈夫かいな、日本。とにかく上手くいって良かった良かった。な、夏樹先生」
そう言うと、神木は夏樹の肩をバンバンと叩いた。
「アハハハ」
疲労しきっている夏樹の身体が、神木の激励により倒れそうになり、ソファの背もたれに寄り掛かる。
「じゃ、俺帰るわ。夏樹も早く帰って寝ろよ」
神木は立ち上がり、白衣とジャケットを入れ替え荷物を抱えると、ロッカールームを出て行った。
「まじで、かっこいいよな~」
夏樹は、改めて神木の手術を忘れないよう、脳に焼き付けた。
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