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【覚醒から34日目()】


幼少の時分、夜更かしをすれば悪霊に呪い殺されると謂われていたが、自由に生きる我らに恐怖など無かった。

怪物もこの世には存在せず、猪や熊でさえ食料でしかない。


思ゑば老いや死とは無縁の、無謀と無邪気で溢れた世界だった。



だが悪霊はいる。


生前にも1度たりとて見た事はなかったが、幼少の時分に聞かされた話は頭の片隅に纏わりついて離れず、そして今は――



――壁に佇み、こちらを見ている。




【覚醒から34日目 - 追記()】


幾分か気分も落ち着いた。

やはり書き物をしている時がもっとも冷静になれる。



念の為に武器を抜く準備もしていたが、悪霊は一向に近付いてこない。

やがて部屋の角に居着いた“それ”は青く灯り、幼児程の大きさに膨れ上がると仄かに動き出した。

傍目には前も後ろも区別がつかず、また人の形を保っているわけでもない。


しばらく眺めると“それ”は唐突に消えたが、また現れる可能性もある。

周囲の警戒を当分は強めるべきだろう。




【覚醒から35日目()】


また悪霊が現れた。


塩苔を頬張っていると壁の隅に青い靄が立ち昇り、思わず硬直すれば靄の上部が僅かに傾く。



――くすくすっ



ふいに笑い声が聞こえ、持っていた苔を落としてしまった。


また“首”が反対側へ傾き、こちらに興味を示しているのか。

それとも塩苔を狙っているのか。


先日は霞みが如く消えたが、何もしなければ恐らくまた消滅するはず。

ただその時を辛抱強く待つも、悪霊は一向に動かず、部屋の隅に佇み続けた。


――くすくすっ


また笑った…かと思うも束の間。靄が身震いするや、ゆっくりと。

まるで赤子が這う速度でゆらゆら近付いてきた。



やはり塩苔が狙いなのか。

興味を示すのは理解できるが、食べるには値しないものだ。


そう伝えようにも喉や口はなく、仮にあった所で言葉が届くとも分からない。


やがて間近に迫った“それ”を、気付けば武器で薙ぎ払っていた。

長きに渡る戦士の勘が、咄嗟に身体を動かしたと謂ふべきか。

直後に脳を破壊しかねない断末魔が轟き、災厄の魔女が最期に上げた悲鳴を彷彿させた。


あまりの衝撃に筆を取るまで時間を要したが、代償に3つの確信を得るに至った。



1つ、仮に悪霊であろうと物理的に除霊が可能である事。

1つ、あれは女児の悲鳴だった。



ゆえに辿り着く3つ目の結論として、“あれ”は覇屡母尼愛はるもにあ昏漸璃ぐれざりぃの亡霊では断じてない。




【覚醒から36日目()】


一通り目につく邪教徒を葬ったのち、また別の信者の個室に身を寄せた。

奇襲に備えて通路に割った壺の破片を敷き詰めるも、鳴子として役立つにはまだ心許ない。

道中で入手した虎挟とらばさみを設置したが、徘徊する邪教徒への対策ではない。

あの忌々しい女児の亡霊のために、わざわざ入手してきた物だ。


剣で薙ぎ払った際は手応えこそ感じなかったが、その場から消滅させる事はできた。

物理攻撃が効くのであれば、罠にも必ず掛かるだろう。



なお虎挟とらばさみを寝床の傍に仕掛けたのは、決して寝起きに真横で佇んでいた場合を想定していたわけではない。

そんな恐ろしい事があってはならないのだ。




【覚醒から36日目() - 追記】


警戒網は敷いた。

これからは自由時間である。



割らずに残した壺を濾過した毒水で満たし、苔や新たに入手した斬りたての革靴(要乾燥済み)。

さらに壁の隙間から生えていたきのこ2つも放り込む。

地下奥深くとはいえ、植物が自生するまでの年季が外界では経過したのかもしれない。


これからの収穫に。

そして塩胡椒の壺漬けの出来に、多少の期待が持てる。




【覚醒から37日目()】


寝床からいざ発とうとするや、部屋の入り口に再び亡霊が佇んでいた。


それも顔を覗かせるように上部だけが見え、素早く武器が掴めれば、斬り捨てる事も容易かったろう。


だが咄嗟の出来事に身体が硬直し、反射的に取ったつもりの行動も緩慢になったからか。

ようやく動き出した足で駆け付けるも時すでに遅く、亡霊は忽然と姿を消していた。

通路に撒いた壺の破片も砕けておらず、どうやら瞬間移動のすべを身に着けているらしい。

次回より罠は出現位置を予測して設置する事にする。



気分転換に武具の整備を始めたが、破損した鎧箇所が知らぬ間に復元されていた。

肉体のように傷が癒える便利とも思ゑる力に感心する一方で、我が身ながら薄気味悪さは拭えない。


残念ながら愛刀は刃毀れしたまま、いくら眺めても直る事は終ぞ無かった。




【覚醒から38日目()】


もはや日課となった哨戒と殲滅業務だが、今日の敵は一筋縄ではいかなかった。

いままでの軟弱な戦士や術者たちとは異なり、大斧を振り回す巨体の戦士と交えた一戦では、周囲の邪教徒ごと巻き込む重い一撃に苦戦。

薙いだ後の隙を狙って頭部を一突きすれば、勝負は一瞬で着いた。


だが回収した大斧は、重みと切れ味が釣り合わない鉄屑そのもの。

戦士と邪教徒の屍ともども貯蔵庫で燃やしたが、薪の如く崩れる巨体の戦士に違和感を覚えた。


あのような者と生前に遭遇した記憶もなければ、他の隊が接触した報告もされていない。

混戦により伝令が届かなかったのか。

あるいは報告のし忘れか。


当時は次々と蘇る同胞たちが我らを襲い、戦線が混乱したがために仕方もなかったろう。

明らかな致命傷にも関わらず平然と立ち上がる様に、まさか地獄の淵より生還したのかと誰もが…――。



少々気がかりな点ができた。

貯蔵庫を閉め、後は燃えるままに任せてその場を離れる事にする。


予想が外れると良いのだが。

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