第37話 真一の実家へ
京都駅に着くと特急雷鳥で一路越前へ目指す。いつもは新快速に乗り、敦賀駅で普通列車に乗り換えて九頭竜川に行くが、今日は福井まで特急列車の指定席で向かった。やっぱり特急列車は、車内の雰囲気が落ち着いて、生活感が漂ってこない。割増料金だけはあるから、と余計な感心をしている。隣の渚さんに至っては落ち着いたもんだ。こんな時には普段の貧乏垂れていたものが滲み出ると、つくづく世間慣れしていない我が身を嘆く。しかし渚はそんな無頓着な彼を知っても、更に驚かない処か、親しみさえ覚える。まさかアメリカへ留学する、そんな家庭の彼女の弟が、そんなに貧乏垂れてるはずは無かろう。
京都を離れて近江に入ると、車窓の雪は本格的に降り出している。しかし乗り降りの少ないこの特急列車は、新快速より窓の雪景色を愛でる余裕も出来るから、車内の雰囲気が違う。
なんせ乗客もそんなに
そうねーと彼女は想い出を巡り始める。とにかく子供の頃はよく喧嘩をした。しかし小学校の後半頃から腕力では叶わなくなり、お喋りで対抗した。お陰で話し上手になったけれど、弟はあたし以外ではだんまり屋さんだ。その口喧嘩に代わった頃かしら、お互いの心を覗くようになったのは。
「あたしが中学生になった頃かなあ、弟はまだ小学生だけどもうあたしと背は変わらないのその時にこいつどう負かしてやろうって思うようになったの」
要するに理屈っぽくなって、こうだああだと云ってる内にある時に「姉ちゃんこう言う考えもあるよ」って云われて感心させられた。
「それはいつ」
「あの子も中学生になっていたから十五前後かしら」
それかららしい渚が弟に一目置くようになったのは。とにかく何をやらしても満足のいく物は出来ない、本当に不器用な人間だった。父もこれじゃ社会では通用する人間になれるかとため息ばかり吐いていた。それが一念発起してアメリカへ行ってから、噂だとクラスの人気者らしいけれど。その前の弟しか知らないから、そこがあなたと共通する処かしら。でもお父さんが帰ってからあなたは、恋人と名乗れ無かったんですね、と少し淋しい笑いを浮かべられた。それは弟に似ているだけに予期していたらしい。
なるほどと合点がいく。それはこの前の観光で、お父さんと京都案内を共にして、あなたも似たようなものと気付かされた。しかしあの父に淘汰される謂れはない。この世に不必要なものはない。互いに相手を認め合って、ともに生きる道を探すのが人の姿だ。それを良しとしない世知辛い世の中には染まりたくない。おそらく渚さんは弟の中にそれを見つけたのだろうか。
「まあ子供の頃はお父さんによく小言ばかり云われていたのよ『男のくせに渚に負かされて』って、そのときはちょっぴり可哀想になったけど手抜きはしなかったの」
と可愛く笑う処に弟への慈しみを感じとる。それはシアトルでのうのうと学生気分を味わう弟が可愛いらしい。
そこで彼女はシアトルに行った弟の話を始めた。もうアメリカに行って三年になる。その間にも手紙は良くくれたが会えなかった。そこへ偶然あなたと出会った。もちろん顔かたちは似ても弟では無い。でも立ち居振る舞いがそっくりなので驚いた。しかし隣の真辺にはいい顔をされないからと思ったら、気さくなおじさんが乗って来て雰囲気は一新した。それであなたと縁が結べたわけ。
「そうは言ってもまだ見ぬ人をどう評価して良いか解らない」
ただ自由に好き勝手に生きている人だから何も評価して欲しくない。要するにありのままに見て欲しいらしい。
列車は湖北に入ると、雪は凄い勢いで積もり始めている。彼女は心配そうに車窓から激しく降り続く雪を見る。
「大丈夫かしら」
「大丈夫だろう年末に帰省した時もこれぐらい降っていたからね」
となんせ九州生まれの彼女の不安を払拭させるのに苦労する。
「それに北陸地方に入ればもっと雪は深くなるよ」
「あなたはそこで育ったのね」
「まあ生まれ故郷だからねえ」
「こんな雪深い世界に慣れるかしら」
「外国じゃないんだから心配ない」
「それもそうね」
と彼女はやっと気持ちを落ち着ける。
列車は湖北を抜けて、敦賀から降り止まぬ雪の中を越前平野に入ると、一面真っ白の大地を突っ走る。この雪景色に南国育ちの渚さんも、これには度肝を抜かれたようだ。
「酷いときは一日中雪掻きと雪下ろしでクタクタになってしまってその日は何も出来ない日も有るからねえ」
「一日中なの」
と屋根にも地面にも隔てなく積もる雪が雪国は悩みの種なんだ。
「雪が降り止まなければそうなるねほっとけばまた一メートルも積もる事も稀に有るからねそれが今日かと思うと手が止められないからね」
列車は福井駅に着くと、ここから平永寺へ向かうえちぜん鉄道に乗り換える。ブルーと白で上下に色分けされた二両編成のこの電車は、降り積もる雪を背景にして灰色の駅構内にその爽やかな姿を映している。今までの特急雷鳥に比べると、いかにもコンパクトで質素な車両に慈しみが沸いてくる。
「この電車に乗るのね」
これがあなたとあたしを繋ぐ架け橋になる乗り物なのかしら、と彼女は期待を膨らまして電車に乗り込んだ。季節がら車内は空いていて、四人がけのボックス席を二人が向かい合って座った。
「ここから遠いの」
「二十分ほどだけどでも駅から結構あるんだ前回は凄い吹雪で危なかった。猛吹雪で数メートル先が見えなくなったんだ」
これにはエッと彼女は驚いた。
「それでどうしたのッ」
と彼女に不安そうに覗き込まれた。
「吹雪は長く続かなかったそれで命拾いした」
「それって北海道でよく起こる白い闇、ホワイトアウトって言うんじゃないの」
「北海道では長時間起こるけれどこの辺りでも稀だけど起こるんだよ、ただほんの数分だけど、だから動かなければいいんだ」
いつの間にか電車はホームを離れて、十分もすれば田園風景が広がる郊外で、そこはもう何もない銀世界で、雪も絶え間なく降り続いている。彼女は白一色に染まり、境目のない景色を、暫く心に刻み込むように眺める。
「永平寺ってそこから遠いの」
「遠くは無いけどどうして」
「この電車に揺られていると急にそう思ったの。だってこれは勝山、永平寺行きの電車でしょう」
「あそこは修行の寺だから更に永平寺の冬は三メートルの雪に囲まれるほどの豪雪地帯だけれど下手すれば四、五メートル積もる世界でもあるんだ」
「じゃあ尚更行ってみたい」
急な彼女の申し入れに何の意味があるのか、探ってみても答えは出ない。
「渚さんはその寺が禅宗の厳しい修行僧の寺だと知ってるの」
「ううーん、今初めて聞かされた」
「だから雪深い山中を選んで建てられた寺なんだよ」
彼女は気負いなく淡々と聞いている、そこが不気味すぎる。
「そんなことはどうでも良いの、ただ俗世間から今は逃れたいのこの雪が全ての醜い世界を覆い隠してくれるように三メートルも積もる世界なんて素敵じゃない」
と彼女は笑いながら喋るから、何かにつままれたように、キョトンとして見惚れてしまった。こんな渚さんを初めて見た。
ちょうど電車は実家の有る駅を過ぎてしまい、広い扇状地から山が両側から迫る狭い峡谷に入る。その谷を一筋の川が流れている。
「この谷に入った頃からこの川の直ぐ側を電車が走るのね」
「これが九頭竜川さ、でも次の駅で降りるから」
と二人は渚の希望を入れて実家の先、峡谷の入り口にある、永平寺口駅で電車を降りた。そこからバスで十五分、終点から徒歩五分だが、この冬は例年になく凄い雪だった。
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