第36話 響子の想い2

 翌朝は快晴が続く真冬には珍しく、どんよりと曇った雪雲が、丹波山地を越えてやって来たらしい。その空模様の中を菅原は、書斎机の前で珈琲を飲んでいると、呼び出し音が鳴った。どうぞと応えると入ってきた響子さんに「まあこれは珍しい人がきゃはりましたなあ」と応接セットに招いた。

 刈谷さんはどうしてますかと尋ねると、真一さんは今日から三日ほど休みを取った。同じように渚さんも休みを取ったと早瀬から連絡があった。その理由を訊ねると、どうやら響子さんは真辺がやる企ての一部をあの二人に話したようだ。そこへユウちゃんが珈琲を配達して「ごゆっくり」と言って帰るから、事務所の人ですかと響子に聞かれる。

 とんでもないそんなもん雇う余裕はなく、下の喫茶店の子だと説明する。ここの事務員を雇う金で珈琲チケットが相当買えますからね、と菅原は笑って説明する。

 響子が珈琲を一口飲むとさっそく菅原は、あの二人が揃って休む具体的な訳を訊ねる。響子は、要するに今より強く真辺の気を引き留めておけば良いと提案したらしい。

 話すタイミングは任せたが、どうして二人にそんな提案をしたのか、それは時間稼ぎに過ぎない、と響子に問い質す。ひと月過ぎればどうするつもりだと、更に菅原は彼女を追求する。それとも刈谷さんに何か想いを寄せていれば話は別だが。

「響子さんは刈谷さんとは従兄弟いとこと云うより幼馴染みみたいな存在やと聞いたけどどうなんやろうね」

 意外と詳しいと響子は驚いても、正直な処は自分でも気持ちは解らない。

 響子さんの逆提案は単なる時間稼ぎに過ぎず、恋が成熟した二人に一ヶ月の期限は無いやろう、と菅原さんは笑っている。

「そもそも真辺が暴走したのは、真一さんが九州から来たお父さんへの対応に起因している。真一さんはもっと毅然としてお父さんに、なに不足の無い印象を、アピールしていれば真辺の暴走は起きなかったでしょう」

「そうは云っても人には人の器量がある。渚さんは刈谷さんの不器用な生き方を認めて付き合ってるんです。解りますか、その人に合った器を上手く使いこなせるか、響子さんは失礼ですがそれを見極めていますか」

「もちろん、でもあたしは渚さんとは違います」

「どう違うんですか」

「あたしは盲目の恋など否定する。あたしはあくまでも冷めた目で相手を観察して共に添い遂げられる人がいい」

「相手を好きになるのと相手を見極めるのとはちょっとちゃいますよ」

 ーーそれは恋とはちゃうんでしゃろなあ。響子さんは花屋にある花しか目に留まらないんでしょう。野辺に咲く花でも気に入れば目に留まる。恋も一緒ですよ。だから一切を排除した妥協の無い恋が、盲目的と云うより一筋の恋なんでしょう。

「妥協の無い恋ですか」

「そう、一途が一番怖いですよなんせ思い切った行動に出ますさかいなあ」

 そう言えばあの一気飲みの時に、渚さんは会って間もないのに何でそこまでするのか理解の限度を超えて不思議だった。

「ただ渚さんと云う人の突然すぎる思い入れですけれども、それは幼い時からずっと傍で喜怒哀楽を共にした弟への思い入れが強すぎたからなんでしょう」

「それじゃああの人を包んでいる弟さんと云うメッキが剥がれれば、その時は彼は不幸のどん底を見るわね」

「恋する前からそんなもん誰が思いますか。響子さんはだから踏み込めないんでしゃろう。恋に良いも悪いも無いんです全てを受け容れられるかです、それ以上は何を提案されても無駄ですよ。あなたは刈谷さんを値踏みされている、そこが違うんですよもう一度言いますが全てを受け容れるんですそれに添うように相手もあなたに添えてくれるでしょう」

「でも調子に乗って好き勝手に動かれては困ります」

「自分に見る目が無かったと諦めるしかないでしょう、でもそれは多くの人に寄り添わないと磨かれませんよ」

 ーー早い話があんたは早瀬をまだ冷めた目で見ている。彼を針の穴を通すように長所を探して短所を埋める努力をすれば一筋の道が見えます、後は突き進めば良い。

 響子にはなぜか菅原の恋の話に着いて行けそうも無かった。

「ここへ伺ったのはあたしで無く渚さんの話です。二人は今日から恐らく一緒にどこかへ出掛けています」

「連絡はないですか」

「具合悪いから三日ほど休みますって言っただけです」

「それであなたは早瀬君から掛川さんが三日ほど休むらしいって聞いたんでっしゃろう。だったら間違いなく二人は一緒に行動していて間違いないなあ」

「何処へ行くんでしょう」

「灯台もと暗しでんな、それは彼の実家の九頭竜川でしょう」

「でもあそこは今は凄い雪でしょう」

 と窓の外に思い出したように舞い散る雪に目を留める。

「天気予報どおりにパラついて来てますがここは降り続きはせんやろう」

 ここはそうでも向こうは別世界ですから、と言いかけて早瀬が持ってきた書類について問い質した。

「あれはまだ手を付けてませんのやあ」

「今日中に仕上げるつもりですか」

「そうでんなあ、しかし渡す前に社長には何に使うか問い質します」

「直接持って行かれるのですか? 早瀬さんは匿名で発注して彼が社長に渡すと云ってましたけれど……」

「それやがな、それでここはわしの出番なんやろう」

 ーー真辺にすれば彼女の母親譲りの性格からして、彼女に悪い噂さえ流れればいいんや。仮に渚さんが会社を辞めてからでもそう言う噂は流せる。要は彼女が悪女だと謂うレッテルを貼ればいいんやから。それが嫌なら社長の良いなりになるしかないやろう。それを止めるのがわしの仕事なんや。

 これには響子は驚いた。

「何でそこまでするんです」

「まあ付き合いはあんたの方が詳しいから不思議に思うでしょうが、これは詮なきことですが社長のすることは理不尽でんがなあ、理屈に合わんことをする人をわしは色んな会社の経営から見てきました。そして起業家としての真辺さんはなかなかの人と思うとりますがここまで芯の強い渚さんに返って真辺さんは振り回された挙げ句が会社をだめにしかねない。わしとしては仕事は減らしたくないさかい延々と説得します」

「聞き入れるでしょうか」

「さっきも云ったようにあの人の起業家としての価値を認めた上での話でっさかい必ず折り合いは付けると確信している」

「そしたら何で今更暴走するんやろう」

 真辺さんは渚さんを人としてでなく貴重な品物として見てはる。それは恋と違うんや彼女は置物には成られへん人やとこんこんと云うつもりだ。要は真辺にはそれを受け入れる素材が備わってるとわしは思ってる。だから意見出来ると菅原は言い切った。


 翌朝には約束通りに渚さんは、二階から階下の真一の部屋へやって来る。そこで二人は時折雪が舞う中を一緒にワンルームマンションを出た。二人はバスで駅へ向かう。

 二人の話題は昨夜の響子さんの、真辺を焦らし続ければ問題は起きない、と云われたことだ。

 今更そんな行動は取れない、と響子さんが帰った後に、真っ先に渚さんに真一が掛けた言葉だ。

「一体何を考えてるんだろう彼女は」

 と真一はまだ不快に思っている。しかし渚さんに言わすと。

「それであたし以外の人たちが何事も無く過ごせる。だから響子さんが云うにはそれなりの説得力がある。第一に菅原さんの云う正義に報いるのが、最大の功績でしょうね。なんせ全く関係の無い人ですから。ただ人の道を貫き通したいその一念で、利益処か損害を真っ先に被る人だ。その他にもいるけれど、それがあたしの行動一つで納められる。響子さんとすれば他に得策は見つけられなかったのでしょう」

「そこが可怪おかしいって言いたい」

「でもあなたの事も随分と気にしているのは確かよ」

「そんなはずが無いいつも適当にあしらわれている」

「そうかしらあの一気飲みであなたがぶっ倒れて二人で看病したけれど彼女はあたしが気になるぐらい心配してたわよ」

 そう言えば響子さんがあそこまで気にするのが解らなかった。

 

 

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