第35話 響子の想い
「その前に真辺がどうしたと云うんだ」
早瀬が伝えたのは、真辺は渚さんのお父さんからバカ息子は二人と要らない、と云う言葉だった。それを自分は掛川家にとって価値ある身内になり得ると、真辺は確信して行動に移した。
「今はそれだけしか解らないのよ」
と悟られないように無愛想に応える。
「それじゃあ真辺の妄想か」
「妄想、それはそうかも知れへんね」
彼女が真一の言葉に妥協したのが妙に引っかかった。
「じゃあ妄想じゃ無いのか、それじゃあそれが現実なのか」
その現実は何を伴ってやろうとしているのか、と更に問い詰めてみる。そこでハッとして彼女を直視した。
「まさかさっき早瀬が持って来た書類は決算書かそれじゃあそれを使って何かを
それを受け取った菅原さんが、それに手を染めるわけもないが、首を傾げながらもボツリと云い足した。これには響子さんはやけに怯んだ。
「いつもの響子さんらしくないどうしたんですか何か気になることでもあるんですか」
何でも無いと否定する響子さんだが。あれほど動じない人だけにこうなると、疑心暗鬼にも成らざるを得ない。渚さんへの仕事が増えたのが疑問点だ。
実際にあたしの会社でも工場が暇でもあたしの仕事が増える事はある。それは会社が関わっている品物に依って工場と事務の関係は一律じゃ無いと響子は強調する。特に彼女の会社は農産物をしかも季節に拘らず扱っているから、いつ注文が来て出荷していも不思議でない。だから渚さんの経理と工場の状態が合わなくても疑問に思わなくても良いと響子さんは云うが、何処かいつもの覇気が感じられない。そこで何か隠していませんか、と真一につけ込まれた。
すると急に、子供頃のお盆には、九頭竜川で良く一緒に泳いだ時に、脚を吊って溺れかけた。その時に川からあたしが引き揚げたと引き合いに出される。それを言われると何も言えないが、それでも渚さんが気になり頼み込んだ。
「早瀬が菅原さんに渡した書類は一体何なのです」
「今はまだ言えない」
「どうして」
「それは今、菅原さんが作業しているから」
「菅原さんが何をやってるんです」
真一の問いに響子さんは、真剣な眼差しを投げ付けてくる。
「真一さんは慌てもんな処があるから早合点してもらうと困る、そこで早瀬は菅原さんに片棒を担ぐ振りをしてもらうと言ってるのよ」
厳密にゆうと真辺がレッドラインを超えるギリギリの線で、様子を見る。それで思い留まれば、真一さんに何も知らせないけれど、感づかれちゃったか、と要点を逸らされる。
「何を企んでるのか解らないが真辺は実行を躊躇う男じゃあ無い、それで菅原さんに何を頼んだんです」
そこで既に外堀を埋め終わった真辺は、いよいよ本丸攻撃を開始した。具体的には改ざんした書類で渚さんを追い込んで、落城させるつもりらしい。しかし菅原さんはこの落とし所を探っているから、暫くはなりを潜めるように真一に言い聞かせる。
「決算書の改ざん! ですか」
「それを真辺に見せて菅原さんは諫めるつもりらしい」
「そんなことをすればあの人は仕事をひとつ減らしてしまうし悪い評判を立てられれば喰い詰めかねないだろう」
「それがあの人の正義だと早瀬は云っている」
それは真辺が言う正義とは真逆の正義らしい。
「じゃあとにかくこれから渚さんに会って説明する」
「彼女の住まいは知ってるの?」
「住まいは知ってるけど来て貰う」
これには響子さんは驚愕している。何でなのと云う理由は後回しにして真一は自宅に向かった。響子さんも間違いが無いように一緒に来ると云うから止めなかった。
「何処へ行くの」
「僕のワンルームマンション」
「そこへ渚さんが来るの?」
そうだと頷くや、彼女は直ぐにタクシーを拾って真一の自宅に直行する。
「ここって真一さんの新しいアパートでしょう彼女はこの近くなの」
「まあとりあえずさっき電話したから直ぐ来ると思う」
と部屋に案内する。部屋は引っ越しを手伝ったときと殆ど変わっていない。
「何も増えてないから自炊はしてないのか」
と彼女は部屋を見回す。
「トースターしか買ってないのね、これで朝だけはここで食べてるのか。夕食はあたしの家で殆ど食べてるからこれでいいのか」
と二人とも炬燵に入った。
「渚さんになんて言うつもりなの」
「それより改ざんした書類は明日中に出来るのだろうか」
それを待ってからだとどうなるんだろう。それは響子さんも解らないらしい。とにかくそこは菅原さん任せで提出しながら、真辺に意見するんじゃないかなあと踏んでるようだ。そこへピンポーンと呼び出し音が鳴った。これにはいやに近くなのねと響子さんは不審がる。
玄関で彼女を迎えると誰か来ているの、と半開きのドアから奥を覗かれる。なんせここはワンルームマンション、直ぐに響子の顔を認める。
「何で一緒に来るの?」
「ちょっと複雑な話になってどうしても彼女の説明がいるので来てもらった」
フ〜ンと渚は云いながらも、パンプスを脱ぎながら真一に続いて部屋へ入った。
「珍しい人が来ているのね」
と云う渚の挨拶に、響子は急なお仕事でお疲れ様、とちょっと意味ありげに応える。あ〜あ、やはりこの二人は一筋縄では行かん相手なのか、と真一は溜め息を吐いて炬燵に招く。
渚は響子と対面する真向かいに陣取る。真一はその間に座り込む。取りあえず用意できるのは紅茶しか無かった。これには渚さんが代わって煎れてくれる。煎れ終わるとどうぞと差し出されて響子さんはちょっと眉を寄せて受け取る。
「わざわざ夜中に来るなんて余程の要件なんでしょうね」
「あなたの暴走を阻止する意味合いも兼ねていますから」
「何のことかしら?」
と渚は真一に目を留める。
「
「急に言われてもそれに何のことか解らないわよ、第一どうしてこの人まで引っ張り込んで来たのよその訳を云いなさい」
「この人よりあたしの方が詳しいからわたしから云います」
先ずは渚が今日までに仕上げた決算書について説明する。
それはあなたの落ち度がないか調べるためです。もちろんあなたのことですから完璧なのは誰もが承知しています。それで真辺は恐らく書類を専門の業者に委託して落ち度があるように作り替えようとしています。その新たな書類を元にして、あなたの盲点を指摘して追求してくる。そこには帳簿と合わない業者との金銭授受が指摘出来るように直して有りますからと説明する。
「書き換えなどしても無駄でしょう」
「いえそれだけで無く指摘された業者とも口裏を合わせるようにしてますから嫌疑が晴れるにはかなりの時間を要しますから訴訟されれば更に困難になるでしょう」
「なぜそんなことをするの?」
「これであなたのお父さんも確実に味方に引き込んで説得させる。そうなるとお父さんの再婚に合わせて認めて貰うのも無理でしょう。でもまだ書類が出来ていませんから止める方法があります、もしも出来ても発表するかしないかは真辺の胸三寸に納められますから」
「響子さん、なんてことを急に言い出すんです話が違うでしょう」
「あたしが云いたいのはこれを逆手に取れば良いでしょう。今からでも真辺の気を惹くようにすれば思い留まらなくても決行を日延べさせるでしょう、あと一月もすれば年度末ですからそこで閉めて申告すれば良いでしょう。もし申告漏れが有れば今度は会社に税務調査が入りますからそれは営業に差し支えるから何としても避けたいでしょうから。事が穏便に進めば渚さんが記載した帳簿に基づいて正しく申告するしか無いんです。要は一月、
と響子は二人に言い聞かせるように逆に提案した。
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