第34話 揺れる真相

 真一は仕事帰りに連絡して菅原さんの事務所に寄った。菅原さんは何の用かと云いながらも、店は閉めたから下の喫茶店で用件を聞こう、と二人は下の店に入った。小さいテーブル席に着くと、さっそくユウちゃんが注文を聞きに来る。菅原さんはいつもの珈琲を頼むと言っただけで、ユウちゃんは紙のおしぼりと水を置いて厨房へ戻った。

「あれで通じるんですか」

「そうや便利やろう君もそう云う人がいればええ実業家になれるとわしは思っとる」

「それが渚さんなんですか」

 ウ〜ンと菅原さんは戸惑った。これには真一も不審に思う。

「渚さんでは何か思惑でもあるんですか」

 と尋ねる。

「いやそれはないがあの人は感情に左右されやすいそれをあんたが何処までコントロール操作出来るかまあ尻に敷かれないようにすれば問題は起こらん要は渚さんを上手く扱えるかなんや」

「その心配は無いです彼女は私に靡いて大丈夫ですから」

「それが一番の癖モンなんや歳を重ねればおのずと見えて来るだろうまあそれよりなんの用やあ」

 絶大な思いを寄せる真一としては彼女のことでそこまで言われると困り果てる。そのタイミングでユウちゃんが、注文の珈琲を持ってくると一息付けた。

 菅原はどうや空いた時間内でバイトしないか、と彼女を誘うが。いつも留守の時は内で電話を取り次いでいるから暇がないらしい。菅原は電話の取り次ぎ代わりにここの経理も見ている。

「お陰でマスターは年度末の青色申告出来てこんな楽なことはないと言ってたわよ」

「そうかしかし面と向かって言ってくれればありがたみが増すと言うのに」

 と厨房で新聞を読むマスターを覗き見る。そこに向かってユウちゃんも引き上げてゆく。

「どや、考えまとまったか」

 確かに女としては魅力はあるが、家庭には収まり切れんやろう。真辺さんがいくら手綱さばきを駆使したところで、彼女は思いを遂げたい人と自由奔放に生きたいのとちゃうんか、と彼女の本心を突いてくる。

「だから君を選んだとわしは睨んでる、そこが弟さんのように振る舞うあんたに寄せる心の重みなんやろう」

 菅原さんはそんな情報を何処で仕入れるのか。確かに多くの人とは事務関係で繋がっているが。まあ初対面のあの気さくな接客からは、必要以上の情報を仕入れていても不思議でない。この人は人とのコミュニケーションを取るのが嫌いじゃないようだ。

「話は今の渚さんの会社何ですけどまだ年度末には日があるのに急に社長から決算を急かされたんですが今ごろ何処に提出するんですか」

「まだそう言う時期やないことは確かやから公的なもので無く私的なものに流用するんちゃうやろうか」

「会社の経理内容を税務申告以外に使うとすれば銀行とかの融資に使うんですか」

「それは資金繰りにもよるが新しい工場を検討していれば今の経営状態を把握しておく必要はあるやろう、それで申告時に負債額が多ければ税務署も徴収処か公的融資機関の紹介もあり得るそれを狙ってるのかもしれん」

 菅原は何処までも真辺の真意を知りながら、今は真一の問いに答えられないもどかしさがある。それを察した訳でもないが、真一はこれを急かしいるのが社長で無く早瀬なのが腑に落ちないらしい。

「さあそれは解らんがお父さんの接待でお迎えからお見送りまでお世話を任されたのが彼だからお父さんと一番接したと云うだけやけど……」

 菅原は暗に何かを悟れ、と言わんばかりにそれ以上は言葉を濁した。

「それより早瀬君と響子さんは上手く行ってるんじゃないのか」

「彼女は中々本性を見せぬ女性だから早瀬は流石に気を揉んでいるでしょう」

「そうか、だがソロソロ結果が出るだろうそのときは刈谷さんはどうする」

「どうすると言われても」

「何を考えてはんのか知りまへんが渚さんの事でっせ」

 嗚呼、そうかと一緒に行くと慌てて返答する。

「何処へ」

「九頭竜川へ」

「実家へ連れて行かれるのでっか、いつごろ」

「彼女のお父さんの再婚が現実味を帯びれば」

 そこへ会社の決算書を持ってやって来る早瀬に、どうしたと菅原が声を掛けた。

 二階の事務所が既に閉まっていたので、階段からから通りへ出ようとして、この店に居るのが解ってやって来た。その早瀬は二人しか座れずに、小さなテーブル席の前に立っている。

 いらしゃいませ、と云うユウちゃんに、この人は書類を届けに来ただけで直ぐ帰るさかいと制した。

 もうここを事務所の受付代わりにしないで下さいね ! とユウちゃんはカウンターの奥へ引っ込んだ。すかさず早瀬がA4の封筒を菅原に渡すと、出来たかどれどれと確かめる。

「これから指摘された通り(改ざんした)書類を作ればいいんか解った」

「いつ出来ます」

「明日中には出来るから」

 と返事を聞いた早瀬に、一緒にそこまで行こうと誘った。

 この二人の短い遣り取りに、真一は会社でとてつもないものが起こると思った。これは急いで知らせないととんでもないことをしでかす人が居るから焦った。それを察した菅原は、これ以上は早瀬との遣り取りを避ける。

「今聞いたとおりこれから忙しくなるから」

 と菅原はくれぐれもこれは金融機関への融資のために作るもんやさかい心配する必要は無いと云う。直ぐに三人は思惑が一致して席を立った。表に出ると刈谷さんには申し訳ない、と断って早瀬と菅原は去って行った。二人の後ろ姿を見送ると、真一も渚さんが退社して帰宅中だと悟り急いで踵を返す。

「どや刈谷さんは」

 と寒さが増す中を振り返った早瀬は、足早に遠ざかる真一を確認した。

「何処へ行くんでしょう」

「渚さんと云いたいが先ずは響子さんの所だろう」

「何でですか? あれでいいんですか」

 と早瀬は疑問に思いながらも菅原に訊ねる

 あれでいい、彼は響子さんの所へ行くはずだ、と訳も云わず菅原は繰り返した。菅原から説明がないのは、自分で考えろと暗に早瀬に云ってるようなものだ。それで早瀬もそのまま踵を返す。


 真一は家に行くのももどかしく響子さんを呼び出した。これには何なのと中々応じてくれなかったが、早瀬が会社の経理らしいものを菅原に届けたと聞いて直ぐ出向いてくれた。

 上賀茂神社近くの喫茶店を指定して落ち合う。自宅に近い響子さんが先に着いて待っている。テーブル席に向かい合って座る響子さんは、やけに待ちきれない様子なのが珍しい。それだけ響子さんにすれば、どうしても早く話を聞く必要があるらしい。それはバスでやって来た真一を、家の近くを指定しておいて、どうしてもっと早く来られないの、と響子さんから勝手に文句を云われる。それが余りにも滑稽を通り越して、なんか大事な事を隠していると真一は勘ぐった。が彼女も直ぐに平静を装って、仕事が終わってご苦労さん、と取って付けたように労う処が妙に引っかかった。しかし、ここは相変わらず夜は冷え込むなあ、と気を持たすと。

「で何の用なの」

 といつもなら鷹揚に構えてくれる彼女らしくなく、用件を早く言えとばかりの剣幕だ。こんな彼女を見たのは初めてで、事の重大さが自ずとずっしりと伝わって来る。すると早瀬が持って来た書類が気になる。

 真一は急に渚さんが経理の仕事が増えたことを不審に思い、菅原さんと相談中にやって来た早瀬の書類を受け取ると、あの二人は直ぐに話を切り上げて引き揚げた。その二人の真意を確かめにやって来た。

「要件は解ったけどなんであたしなの」

「それは届けに来たのが早瀬だからさ、響子さんなら知ってると思って来たんだよ」

 彼女は頷きながら黙って聞くと、渚さんはどうしてるかと聞き返される。

「やっぱり渚さんなのか……」

 彼女はテーブルの紅茶をスプーンでゆっくりかき回し始める。

「もしそうだとしたらどうするの」

 と秘めた決意を促された。 


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