第31話 真辺の企て

 真辺のマンショは五階に有る。そこから眼下には広い五条通が見える。ここから直ぐ東側の大きな通りには、昔は市電が走っていた。市電はこの街をぐるりと取り囲むように走っていた。その一番西側の通り西大路通りと五条通りが交差する。この街では俗に云う西大路五条の交差点をひとつ西に入った通りが、春日通りで、ここは五条春日と言えば直ぐに判る。真辺の住むマンションはそこにある。

 目の前の五条通りは日本海へ繋がる昔の山陰道の起点でも有る。だからこの街の景気をこの目で確かめられるほど、交通量が多いところだからここを選んだ。

 会社はここから更に南西の方へ三キロほど行った、花屋町通りと葛野大路が交差する場所だ。会社は阪急の駅には近いが、五条通りからはバスしか行けない。そこへ滋賀の湖西地方から出てきた真辺は、起業家としてやっと基礎の土台を築いた。

 三十歳を前にして真辺は、今年は一念発起して身を固め、会社に精進して発展させたい。その家庭を任せる妻も娶りたい。その思いを描いてその対象となる女を半年以上も見続けて居る。彼女の父とは九州の実家では意気投合した。今日の昼食でも少なくとも、そんな感触を掴んだ。

 真辺は年始から出勤して、五日になってようやく正月の休みを取る。それからは普通に会社に出ている。

 ある日、熊本に居る掛川の父から、この前の訪問に対するお礼を兼ねた、高級品が届けられた。余りにも度外視した品物に、先方の真意を汲み取り、それ以上の品物を贈った。それに応えるように掛川の父はやって来た。

 直ぐに早瀬に粗略に扱うな、と厳命して彼に接待を任せる。その早瀬が空港まで送った帰りに、真辺のマンションへ報告に立ち寄った。真辺はねぎらいの言葉と共に彼から成果を聞かされた。先ず気になるのはお父さんの動向だ。それを察して早瀬はその辺りから話を始める。

 掛川の父は帰りがけに、刈谷さんの事をこう批評していました。それはシアトルに居るバカッタレの息子と、性格が似ているね、と云っていました。ああいう息子は二人も要らないとも漏らしていたらしい。それは何処までが本音か、早瀬自身も判断に迷ったからだ。しかし工場見学から見えたあの真剣な眼差しから、お父さんは交際相手としての真辺には、かなりの熱の入れようだと感じ取れる。

「そうか、で、早瀬は空港まで送ったらしいなあ」

 そこで早瀬は今日の接待費用の子細を報告する。

 経理の領収には貸し切り代金と、メーター料金の二つがあったから内訳を彼は説明した。

「運転手によると貸し切りは区域限定で他府県は設定外ですが今回のみ運転手の一存で特別に空港まで時間貸しで行きますよと言われたがお父さんの手前別料金に分けたんです」

「どう違うんだ」

「空港まで一時間ですがそれをメーター料金だと一万円を超えますが貸し切り料金だと半分以下に成ります」

 元々貸し切りは特定の地域内を観光とか得意先回りで、駐車が多いのを想定した料金で、ずっと走りっぱなしだと同じ時間でも大きく違ってくるそうです。

「それでお父さんはどうだった」

「ここぞと思った所には惜しみなく使うなあ、とえらく感心してました」

「そうか、お父さんはここぞと思ったのか、ならば一気に行くか」

 お前を接待係にしたのは成功だったなあと云う顔をされた。

「それで掛川のお母さんは敦盛あつもりの生き方に共鳴したそうだなあ。それは掛川自身も人から卑怯者呼ばわりされずとも後ろ指を指されるような事を極端に気にすると知ればそれを逆手に取ってその話を利用すればいいようになるかもしれん。要は綺麗に生きたいと云う彼女に悪い噂を立てれば良いんだろう」

 それでこの先、社長はどうするか聞くと、狙ったものは逃さないと、お前は経理の帳簿から合わない収支を作れと言われる。

「社長、それは冗談がきついですよ。それに彼女以外に今の経理を扱える者は居ませんからそれに応えられる者はいませんよ」

「じゃあお前は種や肥料を納めている納品業者から代金が未納だと云って貰えば良いだろう」

「金を貰ったのに貰ってないと言わせるのですか」

「嗚呼そうだ、お前の裁量で口裏を合わせて経理を誤魔化せる業者を探してこい」

「それは難しい話ですよ商品を卸した業者ではどうでしょう、彼らは品物が売れなければ資金は出来ないんですから」

「それは久谷の担当だろうあいつはかたすぎる要は払ったが受け取ってないと騒がれれば良いんだ後は俺が収束させる。上手く行けば今度の滋賀県に作る会社の責任者にはお前を任せる」

「新しい滋賀の工場は久谷さんじゃないんですか」

「あいつは営業しか任せないから心配するな、何も完璧にこなせなくても良いんだ未遂でも良いんだ彼女が敦盛のようにこっちへ引き返してくれば良いんだ」

 社長の平敦盛たいらのあつもりの解釈には少し歪なようになっている。どっちか云うと出遅れて手柄を立てて出世を万全にしたいと、必死になって引き留めようと振る舞う様は、源氏の武将に似ているが、そこにはモラルがあるのか。今の社長には倫理観があるのかと問いたい。

「早瀬、正邪の判断は己の生き方によって様々なんだ、だからそんなものは普遍的なものなんだ」

 それは無いだろう。それじゃあ正邪は常に勝利者の頭上に輝くのか、それでは敗者の正邪は惨めなものになるなんて屁理屈だ。とにかく俺の将来を暗くするより明るい未来を望むには、過去の教訓は敗者の者を道連にするのを避けてきたようにここは妥協するしかないのか。

「ではどうすれば良いんです」

「今まで代金済みでそのまま通った決算書を未収金扱いに作製されれば彼女の責任に成るだろう、なんせ受け取り済みで処理していたのだからなあ」

「でも掛川さんならそれは見つけますよ、そしたら指摘され追求されるでしょう」

「お前はそんな心配をしなくて良いお前は入金済みの業者でこれに同調する人物を捜せば後はその入金分を抜き取れば決算上は誰が誤魔化したか解るようになるだろう」

「今から改ざんするんですかそれを申告しても大丈夫でしょうか、それに掛川さんでも久谷さんでも見分けられない決算書は菅原さんに作成して貰うしかありませんが正義感の強いあの人は乗って来ませんよ」

「正義感かそんな二者択一なるものが有るから起業家には挫折感も漂うんだ。他に誰か知ってる税理士でも計理士にでも内の書類を持って行って偽造して貰え」

「そこまでして彼女を何とかしたいと考えてるんですかそれは正しくないでしょう正義をゆがめるのはよくありません」

「早瀬、良く聞け、向こうにも正義が有ればこっちにも正義はある。だが歴史が証明してきたのは力のある者が正義なんだと実証している限り力が無ければ何も残らない。歴史から抹消されずに残ったものが正義なんだ。違うか違えばどう違うが言えるか、歴史に残らないものをどう言い訳できるんだ」

 起業家として実践してきた社長の論理にも一理は有るのか、まあそれでも起ち上がってきた以上は有る一定の方向性は示していると云えるのか。

「彼女に災いが降りかかるのなら加担したくはないんですが」

「それは無い、それより愛は無力だ、人はカスミを喰って生きられ無い以上は良い暮らしの中で人は繁栄するだろう。俺は彼女を豊かにするのに今までお前が云った社会通念は通じると思うか、お前も好きな人を貧しい不幸のどん底に導きたくないだろうこれはお互いの幸せの為なんだ」

「それでも渚さんは社長になびくでしょうか」

「それをお前が今聞くのはおかしい。決めるのは彼女だ。全ては彼女が決めれば俺は従うしかし今のどっち付かずから脱却したいのは同じだ。だから何も心配するな」

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