第29話 寂光院

 社長から一報を受けた早瀬は会社へ戻ったが、その前にやはりお父さんとの同行を拒む掛川を説得するように頼まれた。久谷さんの話では社長とお父さんは昼食を摂った店でそのまま待機して居る。娘の掛川は殆ど話もせずに久谷と一緒に会社へ戻って来た。そこで事務所に居る掛川さんを説得すると、渚さんは友達と一緒なら同行するそうだ。社長もあのクリスマスパーティーで同席した苅野谷響子さんだと云って早瀬は了解を得た。

 これからその店に行き早瀬は社長と入れ替わる。早瀬と掛川親子で観光案内をするようにタクシーを借り切って、お父さんの行きたい所へ行くように指示される。社長は友達も入れて四人だから、小型車で良いだろうと言われた。しかしここは豪華に行きましょう、と早瀬は五人乗りの中型タクシーを予約する。

 早速に早瀬と掛川は予約したハイヤーで店に向かった。店に着くと早瀬が社長とお父さんを表に待たしたハイヤーまで案内する。二人を後ろに乗せて早瀬は前の席に着いた。矢っ張りタクシーは早瀬の言った中型の方がゆったりとして正解だなあ、と褒め言葉を貰って早瀬は社長と別れた。

 さっそく早瀬は空港バスで話した私の彼女も同行します、と告げて先ずタクシーは待ち合わせ場所に直行する。

 そのがお前の友達か、と父は娘に伺うと、彼女はそうよと答える。

「なんだ若いもん同士ならお前も気持ちが弾むと云うのか息子はアメリカに行って女房が亡くなってから家を出たかったのはつまりはわしと一緒の生活から来る気疲れか、わしの目の届かない所で自由にやりたいそれで真辺さんのような人に目を掛けて貰って良かったじゃないか」

 この車内は殆どお父さんの独演場になっている。運転手も口を挟まず黙々とハンドル操作をして、そろそろ指定された場所ですが、と早瀬に声を掛けて来る。運転手は早瀬の指示通り細い道を上手く抜けてゆくと。二人はさっき昼食を摂った店の前に立っている。早瀬はあの店の前で車を止めさせた。

 目の前に黒塗りの中型車が止まると、二人は邪魔な車ねぇと避けるように通りを眺めている。慌てて早瀬が車から降りて二人に手を振った。

「何なのこの車は」

「だからタクシーで迎えに行くと云ったでしょう」

「でも屋根には普通の車と一緒でなんにもついてないわよ」

 だから中型の貸し切りタクシーは看板をみんな取り外してあるから、と早瀬は急いで二人を乗せた。

 後ろの奥がお父さんで、真ん中が渚さんで隣が響子さんになった。早瀬と真一は前の席に座った。早瀬が拘った中型車の座席はこれで丁度が埋まる。

 車が走り出すと早瀬が直ぐに響子さんと従兄弟いとこの刈谷さんを紹介する。

「早瀬君、ひょっとして今朝の空港バスで聞いた人が響子さんなのか」

「まあそう言うことです」

 と早瀬は話を詰まらせる。

「ちょっと早瀬さんそれって何の話」

 今度は響子さんが口を尖らせる。

「いやあー、中々、渚の友達としては良いお嬢さんだ」

 初見のお父さんに褒められて響子さんは矛を収める。これで車内が寛いだ雰囲気になった所で、運転手がすかさず行き先を伺う。早瀬はさっそくお父さんに希望を聞く。

「運転手さん、寂光院へ一度行きたくてねぇどうだろう遠いんですか」

「市内から外れますけれどよろしいですか」

 と父の希望に運転手は、早瀬に回る個所が少なくなる、と確認してから向かう。その道中で早瀬は、響子さんから寺の謂れを聞かれる。

 滅びた平家一門の中で、一人生き残った平清盛の娘で、天皇の后である建礼門院徳子が余生を送った寺院です、と透かさず運転手が早瀬に代わって説明する。

「お父さんはどうしてそんな所へ行くの?」

 と娘に聞かれて、とも子が一度行きたがっていたのだと告げられて、

「お母さんがどうしてまた……」

 妻は最期を悟った時に手にしたのが平家物語だ。まあ読む人によって様々だが妻は死にゆく美学をそこに存在した敦盛あつもりに求めたらしい。

 一ノ谷で敗れて沖の軍船へ落ち延びようとする敦盛は、卑怯者呼ばわりされて引き返して討ち死にする。体裁の悪いみっともない生き方はしたくない、綺麗に生きたいから引き返した。その生き方に、あたしの生き方は間違っていなかったと、同じ潔い死を選んだ平敦盛に妻は共鳴した。即ち敦盛の生き方が、妻には心の安らぎを得たようだ。だからわしは妻の死に目に会わなくても悔いはなかった。

 平家物語は祇園精舎の鐘の声で始まり、寂光院の鐘の声で終わる。この二つの鐘の声が鳴り渡る世界が、諸行無常の響きなんだと平家物語は語っている。清盛によって一族の栄華をもたらした平家は、建礼門院一人を残して滅亡する。生き残った彼女は寂光院で一族の弔いをして余生を送った。

「まさに実に長い諸行無常の鐘の響きだろう、妻もこの響きを心の中で聴いて安らかに逝った、と確信している。だから行ってみたいんだよ寂光院へ」


 車は都会の喧騒を離れて残雪の中に杉木立が林立する国道を北に向かって走る。やがて三千院道と分かれて細い道に入り、寂光院前の駐車場に着いた。

 流石に真冬だけ有って観光客は皆無で、ひっそりとした佇まいが侘しさを感じさせる。この頃には運転手も木下と名前で呼ばれるほどに信頼を得ている。人が居なくても狭い道で六人が一列には行けず三人ずつ二列になる。案内役の木下には渚と真一が並び、その後ろには父と響子さんと早瀬が並んで山門を潜った。

「市内は昼までに溶けてしまうのにここはまだ雪が残ってる、天皇の后に成られた人がどうしてこんな処で余生を送るなんて不敏ですね木下さん」

「院宣が出されたと云うことは平家は朝廷に弓引く賊軍になりますから一族が滅びた以上はその汚名を晴らせる勢力もありませんから」

 と渚さんの質問に、追討の院宣を受けた以上は、許されないと都に簡単には戻れないと木下が答える。

「本当に天涯孤独孤立無援ならいっそう壇ノ浦で死にたかったんでしょうね自分を拾い上げた源氏を恨んだんでしょうか」

「清盛の三男宗盛も拾い上げられましたが彼は鎌倉で処刑されましたからこの対比から彼女は恵まれていたんでしょう」

「美しく生きたいと願っていればそれはどうでしょう」

 渚のこの問いに木下は、車内で妻に共鳴したお父さんの意に背くが、命あっての物種と云いたかった。

「お客さんの安全を第一に考える木下さんは流石にプロのドライバーだね」

 後ろから父が擁護するように声を掛けて来る。いやあー生きていりゃ良いこと有りますよ、と謙遜するように木下は答える。

「でも頼まれて生まれた訳じゃないけれど五体満足に生んでくれた母には感謝して生きて欲しい、でも障害を抱えてしまえば他人の人生までも犠牲にして生きるのは考えもんでしょう」

 渚さんは尊厳死を言っている。それでも同じようにユーモアも忘れずに愛する人を尊敬したい。

「そうでしょう響子さん」

 と狭い小道が続く境内で渚は後ろに居る響子と肩を並べた。自然と真一は早瀬と並び、運転手は父と並んでこの三組で境内を巡りだした。

「早瀬さんはあなたのことを気にしてるわよ」

 と響子の耳元で渚は囁く。

「でもそれ以上にあなたは真一さんを気にしてるんでしょう」

「ええ、あなた以上に」

可怪おかしな事を言わないでよ」  

「でもいつも一緒に居るんでしよう」

「家族がらみの付き合いでしかも従兄弟でしようが無いでしょう」

「早瀬さんの話じゃ今のお母さんとは親戚でも亡くなられたお母さんと真一さんとは縁続きじゃないそうなのね」

「何が言いたいの」

「あたしは九頭竜川に居る彼の両親に会おうと思ってるの、いかしら?」

「勝手にすれば」

 一行が寂光院の本堂に差し掛かると、木下が声を張り上げて説明を始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る