第28話 早瀬の受けた印象
刈谷真一は、早瀬から渚さんのお父さんが来ている、と連絡を受けて一人で抜けるには気が引ける。それに早瀬の魂胆も解っていたから、響子さんを誘うことにする。このときは工場を任されている加納さんと機械の点検中だった。
加納さんには経理に関する講習に誘われたと申告すると、響子さんと相談しろ、と言われて真一は事務所に駆け込んだ。
彼女のお父さんに会ってどうすんの、と先ずは響子さんが発した言葉に、なんと冷たいひと言だと思った。
正月に真辺と一緒に実家を訪ねたのもショックだった。そのお父さんが熊本からやって来るとなると、もうあの時のショックを通り越し、人生の挫折感を漂わせるほどの恐怖だ。それを事細かく響子さんに説明する。あのクリスマスパーティーでの一気飲みの一件からも、なるほどと伺ってくれるが、至って冷静に聞き終えると「解ったわあたしが一緒なら内のお父さんも行かせてくれるから」と講習受講の口実で抜け出せた。
彼女は従業員と云うより、ボランティアのような者だから、その点は楽に抜け出せる。問題の真一は、菅原さんから経理に関する講習が有るからと、参加を促された事にして二人は会社を抜け出る。伯父さんも娘の言葉には納得したようだ。
響子さんには真辺の印象は余り残っていない。それほど岡野とか云うケーキを二人分運んだ年下の若い社員からの、ウンザリするほどの猛アピールに合っているからだ。
「でも解らないわね嫌なら嫌とあの人ならハッキリ言えるはずなのに」
と響子さんは渚さんの成り行き任せが不可解のようだ。
「そこが真辺のしたたかな処なんだよ渚さんを怒らせる直前で恋人から社長に戻るんだから遣りにくいよね」
そう言う事かと響子さんも向こうが、役者が一枚上手なのを思案してくれる。
「でもあたしと一緒に向こうのお父さんと会っても大丈夫なの、誤解されるわよ」
「それは心配ないよ
「また何で仲介があの人なの」
「なんか不満ですか」
「そうじゃないけどこの前の初詣と云いなんかこれって偶然なのかしら」
と響子が不審に思ったのも無理もなかった。真一はこれを否定する必要に迫られる。
「偶然でしょうだってお父さんのお迎えを彼は真辺から頼まれたんだから」
そう言うことかと響子さんはすんなり納得する。
会社の前から直ぐにタクシーに乗った。これは結構料金が嵩むと思いきや、阪急の駅までだった。河原町駅から乗り、西京極駅で降りれば歩いてそこから十分以内だ。流石は細かい、伊達に経理を任されていない。
会社が見えてくると響子さんからそろそろ呼び出しなさい、と催促されて連絡する。電話すると無愛想な早瀬も、響子さんと一緒だと知ると、急に愛想良くなる。早瀬は良く昼食に使っている一番感じの良い軽喫茶を指定した。早瀬は二人と鉢合わせするように店から駅に向かって歩く。直ぐに響子さんを見つけると軽い足取りで指定した軽喫茶に入った。殺風景な場所には不似合いな感じの良い店だった。
「早瀬さんっていつもこんな良いお店でお昼を済ませているなんて良いわねぇ」
と云われて早瀬は出来るだけ馴染み客を装った。三人はここで昼食を摂る。
「掛川さんのお父さんは丁度今頃は内の会社を見学されて昼食も兼ねて社長と久谷さんを交えて会社の将来像つまりビジョンを長々と渚さんも交えて話されているところですよ」
どうもそれが終われば、おそらく私にお父さんの京都見学とお見送りを頼まれて、その時に友人と云う形で紹介するらしい。
「じゃあ彼女はどうするの」
「多分、今日の仕事は良いから一緒に行くように勧めるけれど本人はそう乗り気じゃあないようなんです、その説得役も社長から任されているんです」
「早瀬さん、それは凄いんじゃないのそこまで社長さんから見込まれてるなんて」
「いやあー、仕事に関しては響子さんの弟の伸也くんには及びませんよ」
「随分ご謙遜なさって内の伸也はあなたの会社の奈菜ちゃんに熱を上げて弟はそれどころじゃないわよ」
これには早瀬が気を良くする。彼女のこのひと言から早瀬は取らぬ皮算用を思い描く。そうかこれから彼女への逢い引きの手はずは刈谷でなく、未成熟の伸也の方が熱があって上手くいくかも知れないと考える、と真一にすれば気が気でない。
お父さんは何しにやって来るんだと真一は焦った。もはや一時の猶予も許されぬほど早く知りたいと思う。が早瀬の奴は一向に気にする様子が無い。全く苛つかせる奴だせっかく響子さんを連れて来てやったのにと恩着せがましく迫った。それで彼はこっちの想いに応えだしてお父さんとの遣り取りを語る。
早瀬によるとお父さんはいたってユーモアにも通じる処があるらしい。これは意外だ渚さんから聞かされたイメージと違うからだ。これだと会って交際を認めて貰えそうだと思い直し始めた。でも渚さんはどうして真一には会わせず警戒さすのか、その訳を知る必要も一方で考える。
早瀬の語る渚さんの父親像は、よくよく訊くと、そこにはハッキリとした人生のビジョンを持つ者には甘く、何もなく先の見通せない者には厳格に対応するらしい、と知らされた。それゆえ渚さんの将来の候補として今は名乗り上げても、むなしく拒絶されるどころか、その行く手を妨げかねない。
昼食を共にしながら聞く響子さんも、真一を思って真剣な眼差しを早瀬に寄せている。
「先ず一番気になるのはお父さんはシアトルに留学する息子さんを将来性のない馬鹿息子と貶してる、反対に彼女は弟を慈愛している、そしてあなたはその弟に似てる処に好感を持たれたのよね」
頷く真一に響子さんは、これは一筋縄では行かないわよ、と正攻法は諦めなさいと忠告でなくハッキリと警告された。もっともあなたに全てを捨てる覚悟が有れば別ですけれど、と付け加えるのも忘れなかった。今更そんな愚直な質問だと撥ね付けると、
「馬鹿ねこの場合、問題は相手の渚さんの気持ちでしょう。これはあなたより毎日会社で顔を合わせている早瀬さんの目から見てどうなんですか」
と損得勘定抜きで早瀬に訊いた。
「そうですねそれは有るでしょうけれどある意味では社長に対する嫌みも籠もってるかも知れませんからその分は差し引く必要が有るでしょう」
もう回りくどい。
「ハッキリ言いなさい、どうなの」
これに早瀬も慌てた。
「お父さんの前では同じ土俵で立ち会えるか聞いているのよ」
「差し引いても渚さんは刈谷さんに挙げるでしょう」
「なら何も慌てる必要はないでしょう向こうのお父さんは無視して二人で決めれば良いでしょう」
「まあそうだけど……」
「あなたは子供の時からそうだったけれど焦れったい人ねー」
今更ながら彼女に過去を突かれると、自尊心が崩れてしまう。でもそれで励ましてくれた過去も有った。
「だからあなたは彼女に振り回されてるのよ」
渚さんがお父さんの前でも真辺の前でも、決定打を欠いているのは、あなたのせいだと云わんばかりだ。
「まあ、あの一気飲みで入院したときの彼女は相当だったわよあたしが焼き餅焼くほどだから」
「そうなのか」
これはこの前に早瀬から聞いた渚さんの印象と一致する。
「刈谷さんにはあの時はどう言って彼女が一気飲みを引き留めたか云ったはずですよ」
「それは解ったけど響子さんの焼き餅が気になったんだ」
「ばっか、言葉の綾で色を添えただけよ」
「今さら
と今度は早瀬がいい顔をしない。そこへ社長から要件は済んだからお父さんの観光案内でお呼びが掛かった。
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