第27話 渚の父来る
陽が登りきる頃に銀色の翼に朝日を浴びて、一機のジェット便が伊丹空港に飛び込んで来た。この便の到着ゲートには社長の代わりに渚の父を迎えたのは早瀬だった。真辺の会社は社長も若いが早瀬は更に若い、なんせ大半が二十歳そこそこだ。普段は作業服の彼はリクルートスーツに身を固めて、到着ゲートを通過した掛川のお父さんに「荷物はこれだけですか」と、挨拶もそこそこに出迎えた。その足で早瀬は空港バスターミナルへ案内して、二人は京都駅へ向かう空港バスに乗った。
渚さんが両親の話は余りしないのは、聴かせたくないらしい。と云うより本当に気の合う人にしか身内の話はしない。だから渚さんから父は厳格な人だとしか聴けず、全くイメージが掴めず、一度だけ会った社長に伺った。それによると、がっしりした体格で役員らしい気取った男を捜せ、と言われたが中々詩人的な要素もあると言われた。しかし眼前の男にはその片鱗も見受けられなかった。
「今日の最終便でトンボ返りするからまあそれは出張は慣れているからなんともないがそれより君の会社は少ない社員でやってるんだから何もここまで迎えに来なくて良いだろう」
空港バスに乗るとさっそく穏やかに云われて、早瀬は何処が厳格なんだと親しみを覚えて、彼も張り切って応えた。
「いえ内の会社は出来たばかりですから何事も初心忘れず、で関係者のお世話を務めさせて貰ってます」
「それだけ社長が気にしてくれるのは嬉しいが彼が大事にするのは私で無く会社だと云いたいが、まあまだ若すぎるからそこまで気が回らないのが難点だからそれを忠告するためにもやって来た甲斐があったと云うもんだ」
「そうですね気にして欲しいですね、会社が有っての社員ですから社長には伝えときます」
「まあいいやそんな愚痴を言うためにわざわざ九州から飛んで来たんじゃないからなあ、まあ来て早々まだ知らない会社の堅苦しい話より世間話に花を咲かせたいもんだよ」
此のひと言で社長から大役を任された早瀬は、高速道路を走る空港バス内でひと息付けた。
「あんたとこの社長とは年の瀬の忙しない中で会ったが中々先見性が有るようだね、まあ起業家はそうでなけりゃあやれないが、まあ会って直ぐに身内の話をするより先ずは会社の将来性を伺いたいね」
と娘さんより会社の内情を聞くと直ぐに「早瀬くんか君は彼女は居るのか」とおもむろに訊いて来た。
早瀬は余りにも唐突すぎて、ハア? とひと呼吸置いたが、その気さくさに釣られた。
「もっか気に留めてる人は居ますが」
「ホオー、それは楽しみな事だなあ」
「いやもっか苦しいです」
「恋の始まりは誰でもそうだ好きな相手に最初から一方的に惚れられたら別だがこう言っちゃ何だが俺も君もそれは有り得ないだろう」
社長から粗略に扱うな最上のおもてなしをしろ、と言明されている早瀬にすれば、ここは思い切り愛想笑いで応えた。
「だからわしも最初は君と同じほろ苦さを味わったよ、しかしそれで剥きにならずに彼女の下部として彼女に尽くして大事に扱ったのが良かったんだよ」
「どう良かったのですか」
「お陰で彼女が失恋の折りには痛手を癒やして上げられたんだからね、それで彼女はコロッと僕に参ってしまったんだよ、だから君も焦らず地道に今の彼女と接していれば結果はともかく悔いは無いと思えるようにするんだねえ」
そこから亡くなった妻との想い出を早瀬に語り出した。
実は妻の名は塘子と云いましてね。塘と書いて熊本ではともって読むんですよ。意味は堤(つつみ)、水害から田畑を守る堤防ですよ。熊本は阿蘇からの湧き水の伏流水が実に豊富なんで、溢れた水をこうして各所に干拓して塘(とも)を作っているんです。どうやら妻の両親は熊本では大切な
「それは娘さんもご存じ何ですか」
妻が亡くなる前に傍に居たのは、愛を交わした私でなく、その愛を受け継いだ娘の渚だった処が私には悔やまれる。それこそ死に別れる最愛の妻には、それに
「お言葉ですが娘さんの話に依るとシアトルの息子さんの帰国を止めたのはその奥さんのとも子さんらしいですよ」
「なにいー!」
掛川は茫然として言葉を失ったらしく暫く無言だった。そしてそうだったのか、と静かにその沈黙を破った。そして息子とは断絶かとポツリと呟くと、急に早瀬に、君の両親はどうしているかと訊ずねられた。真面目に答えるべきか早瀬は迷った。おそらくお父さんは身内の死に目にどう対処すべきか訊かれたと思い込んだ。
「両親でしたら駆けつけますが妻となると今は解りません」
掛川は笑った。
「そりゃあそうだ要らんことを訊いてしまったなあ」
二人はバスから降りて駅からタクシーで真辺の会社へ向かった。遠いんかと云う掛川さんの父の言葉に、四キロと距離が有りますし、電車とバスを乗り継がないと行けませんから利便性がないと答えた。
「駅は阪急の方が近くてJRだとその倍でかなり歩きますからそれにタクシーチケットを社長から貰っていますから……」
「なるほど確か経理は内の娘が任されているようだがもっと細かく見ていかないといかんなあ」
「いやあ渚さんは結構経理はシビアですよ正当な理由がない領収書は殆ど却下されてますから戦々恐々ですよ」
「じゃあ娘に会ったらちょっとは緩めて貰うかその分は君らが稼げば良いだけだかなあ」
「その方が余計に堪えますね」
とこの場を笑い飛ばしていた。
「会社は右京区で桂川の手前の葛野大路七条を下がった所です。その数百メートル先の七条大橋を渡ったところには桂離宮が有りますから善い所なんですが、敷地一杯使ってますから本格的にやれば土地不足だから滋賀へ新たな工場を探す予定なんですよ」
「新たに設備投資するのかそれは良かった。それじゃあ真辺さんは益々気になる人になって来るなあ」
「気になりますか」
「将来を見据えるとなあ、なんせ息子は留学生だが真面目に勉強してるかどう解らんのに金ばかり掛かってあの役立たずが、それに比べれば真辺さんの起業会社には発展する未来が保証されていると云っても過言じゃないだろうか」
社長の事業はまだ未知な処がある。それをよく確かめずにこの人は買い被り過ぎている、と早瀬は危惧しても不思議は無かった。だがそれは社長には言えず久谷さんに相談するしか無いとも思っている。社員はいいが投資した者にはリスクもあるから社長への過信は禁物だ。
会社に着くと早瀬は、先ず事務所にいる娘さんに会わそうとしたが、本人は真辺が先だと社長室に案内された。そのあとに早瀬は事務所に寄った。
「掛川さん、お父さんを連れて来たのですが社長に会いたいと言われて先に向こうへ案内しました」
「いいのよ別に何とも思ってないからでも内のお父さんをここまで連れて来るのも気を遣って大変だったでしょう」
「いやー、それが掛川さんから聞いたイメージと違うから戸惑いましたよ」
「あらどう戸惑ったのかしら」
「良いお父さんじゃないですか」
「もうー、あなたも感化されたのね」
「いやー、まあ、そう云う事も無いですけれど」
「けれどどうなの」
「お父さんは凄く肩入れされてるんですよ」
「可笑しな事を言うのね、一体誰に、何に肩入れしてるの父は」
いやなんでも無いです、と早瀬は足早に事務所を出た。
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