第22話 再会
投函された手紙には、三日に帰って来ると書かれていた。三日の朝は早目に起きて待機すると、新幹線車両の中から電話を掛けて来る。彼女は京都駅の到着時間を知らせてきた。それは一日でも早く会いたいと云う彼女のメッセージだと受け取った。彼は待ちきれずに心躍らせて勇んで出掛けた。駅には早めに着き、彼は入場券でホームまで行くことにした。
待合室で待って五分前には到着ホームに立ったが、何号車が分からないから出入り口の階段付近で待機した。
熊本六時始発の新幹線で博多からのぞみに乗り換えて、彼女は十時に京都駅に着く。ホームに降りた乗客の一団が出入り口に向かってやって来る。そこにキャスターバッグを引っ張る彼女を見つけて駆け寄った。彼女には旅の疲れはない。それどころか歩み寄ってくる彼女には一息付ける悦びがあった。この正月を悶々とした日々を過ごした真一も、この時は共鳴するものが出来て気を落ち着かせる。彼女は真っ先にお正月はどうでしたかと聞かれて、福井の実家に年末に帰って二日に戻った、と告げた。
せっかく自分の家に帰ったのに、すぐに出てくるなんて、と言われたが、君も似たようなもんだと云うと「あーあそうか」とお互いに笑ってしまった。
そこで無言で見詰め合ってから、足取りも軽く一緒に改札口に向かって歩く。
「年末はいつ帰ったんだ」
「朝一番の電車だけど社長がわざわざ見送りに来てくれたの」
階段の手前で一瞬の驚きを丁度隠せるように立ち止まれた。そこで彼女が引っ張るキャスターバッグの重さにも気付いた。さりげなく出した手に、彼女は心の重みから逃れるようにバッグを預ける。
階段を下りた処で、
「だけど発車のベルが鳴っても降りてくれなくて・・・」
「エッ」
と階段を降りきった足を思い切り地面に打ち付けてしまった。御免ね荷物代わるわ、と言ってまた彼女はバッグを引きずり始めて、上がりはエスカレーターを探しましょう、と微笑む顔が一抹の不安を払ってくれて次の言葉に繋げられた。
「それでどうしたッ」
「それで熊本まで付いてきたのよ」
さっきの階段を降りきった以上の衝撃を今度は心に感じた。
「エッ! それでどうなったッ」
彼女からはいつもの眩しさが消えかかる。それが更に不安を助長させる。
「内の家に挨拶に来られたの」
ここで決定的に浮かび上がれないほど沈みきってしまった。
「どうしてそこまで連れて行ったの」
そこで実に姑息な説明をされたらしい。
社長として特に会社の経理を任せるんだから、謂わば会社の全財産を預けるその社員の家庭が、どんな物か知られちゃまずいのかい、って言われれば仕方が無いでしょう。
彼女の足取りは引きずるバッグ以上の重みを真一に伝えている。
「でも実家に着いて、お父さんに紹介するまでは社長と事務員だったのが、そこからが大変な事になったの」
ここまで来ると真一はただ固唾を呑んで訊かざるを得なかった。それを察してか彼女は簡略した説明をする。
真辺は口にこそ出さなかったけれど、まるであたしのフィアンセのように振る舞うから、お父さんも(母は亡くなっているが再婚するようです)そのように感じてもてなしたようだ。もうあたしは曖昧に逸らそうとしても、彼がそれらしく云うからあたしは否定も肯定も出来ず、結局は中途半端に振る舞わされて大変だった。だって父の前で実に慇懃に話す会社の社長の頬を張り倒せないからもう最悪でした。しかもあたしが熊本城を案内したい、と言うと「君のお母さんは信念を曲げずに無念の死を遂げた。そのお母さんの精神を大事にしたいから」と母の墓参りを希望した。これでもうお父さんは参ってしまった。そう謂う所は巧く取り入って、父の気持ちを掴んで来るのよあの男は……。
「それで、まさか、いつまでも居たの、真辺は」
真一はもうすっかり意気喪失している。
「一日たりとも空けられない会社だから、熊本空港からその日の最終便の飛行機で熊本空港午後七時過ぎに出て伊丹空港には夜の八時半頃に着く飛行機に乗って一時間十五分のフライトで帰った。それでスッカリ感化された父は、その日に帰ると知って、あの男を空港まで送りに来るのよ。そして見送った後に『いい人を見つけたなあ』と言われた時はゾッとしたのよ。その時には既に誘導路から滑走路で待つジェット便を、父は名残り惜しそうに眺めて居るのよ。あたしはどうしたらいいの真一さん、今のあなたはあたしのお父さんにはとて会わせられない、勝ち目が無い、あたしはどうすれば良いの?」
なんの心の準備の無いまま、切実と訴えられても、地位も何もない真一には無力だった。ただ一筋の想いだけでは、真辺に打ち勝てても彼女のお父さんの前では、この愛は無力に等しいかった。母を亡くした彼女にはどうしてもお父さんには認められたい想いが募るらしい。
経ったひと月で彼女は、恋に恋してるんじゃないだろうか、と云う想いが脳裏を幾筋も行き過ぎてゆく。彼女は真一を恋しているのか。それともただ遠くシアトルに居る弟に想いを馳せてるだけで、彼が帰って来れば一瞬にして膨らみすぎた風船のように弾けてしまわないか。
この世に全く同じ人が居るわけがない。彼女は弟に望みを似せて、ただ重ね合わせているだけに過ぎないのではないだろうか。いつか重なり合わないものに気付くその時には、彼は今度こそはあてのない荒野を彷徨う。今は想いを重ねる人があればこそ、辛い足取りにも力がみなぎるが、なければ踏み出す一歩さえ空しく
「今朝着いたばかりの長旅で歩き疲れたでしょう」
やっと真一は渚さんのつらい話に終止符を打たせようとした。彼女は我に返ったようにこの言葉に微笑んでくれた。
「そうねあたしから一方的に嫌な事ばかり喋って何か食べましょうか」
彼女は朝から余り食べてないと知っても、駅前では正月から開いている店は限れている。探しながら二人は暫く歩いたが、切ない話に食欲が削がれる。しかし足の方はもう音を上げたらしく、軽食のある喫茶店に足が
丁度良い具合に割と気の利いた店を見つけられたもんだと、二人はドッと倒れ込むように足を踏み入れた。二人は向かい合うテーブル席にメニューさえも見るのが面倒なように直ぐ目に付いたパスタを二人分頼んだ。
「お父さんは厳格な人だけにあれだけ慇懃に振る舞われると結構相手の手の内に乗せられてしまうのよ」
お母さんが生きていれば、きっと真辺の表面性には囚われずに素性を見つけ出してくれたかも知れない。まして空港までのこのこ着いて行ったりはしない。そうは云ってもお父さんも決して、軽はずみな人じゃないことだけは知っていて欲しい。
茹で上がったばかりのバスタ料理に、やっと食べる元気が出てきたらしく二人はフォークを絡めて食べ出した。
「お母さんで思い出したけど」
と真一は帰省した越前で苦労した雪の荒野で、あなたの母の面影を見た話をした。渚さんはまだ会っていない母を、そんな風に励みの対象にしてくれたことに感謝された。
「九頭竜川が作った大地ってそんな厳しい所なの」
「度々の水害に見舞われたけれどそれは肥沃な大地を育んでくれたけど冬はね吹雪くと目も開けられないんだよ」
「じゃあ九州では考えられないわねでもそんな何もかも真っ白な世界へ迷い込んだら大変ね」
「昔はね、でも最近は視界がそこまで遮られるのは稀で今は無かったなあと言うか殆ど観なくなったなあ、ちょっと我慢すれば直ぐに視界が開ける程度だからね」
「でもそれに近い雪の中であたしが言った母を思い出してくれるなんてあなたとは想い出を共通できる人だと思えて来て何だか嬉しい」
彼女の瞳が先ほどの憂いから、凜として輝いているように見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます