第18話 帰郷

 真一は早瀬と別れて、北陸線の木ノ本駅から再び福井行きの列車に乗った。もちろん彼は早瀬の交換条件も聞いている。それは実に簡単な事だ。響子さんと会える段取りを取り付けることだ。それで最初は三人で会い、気心が相手に伝わったら、その後は早瀬自身で誘う。そのために響子さんを誘い出して欲しいと云う条件だった。そこから先は自分がやるから刈谷さんは、もう義務を尽くすことはないと言われた。そのために近江八幡まで彼は出向いて来た。引き換えに会社内での渚さんのことは、知らせてくれるようになった。即ち自分達が知らない恋人たちの情報交換だ。もちろんこれは相手の素行調査じゃないんだから深くは調べない、ただ雰囲気だけを伝える。これで彼女の手の内を知るカードをお互いの手の中に持った。

 真一が知りたいのは、あのパーティから今日までの彼女の空白の時間だった。早瀬が伸也に近づいたのも、響子さんへの橋渡しを期待したにもかかわらず、伸也は一向に応じる気配がなかった。それであのクリスマスの夜に僕と渚さんの間に割り込んできたのは、響子さんへの橋渡しを期待したからと解った。だから早瀬にすれば、真一が会いにやって来たのは彼の計算の内なのかも知れない。

 普通電車は敦賀止まりで乗り継ぐ必要があった。ここは若狭湾から吹き付ける吹雪を真面に浴びても、駅舎を出る気はしなかった。たとえ寒くても次の列車には確実に乗りたかったからだ。特急や急行は関西から直通列車が有るが、普通電車はここ敦賀までで、ここで福井行きに乗り継ぐ。

 敦賀市の右側は越前岬まで山が海に迫る越前海岸で、左側は小高い山が続く敦賀半島のその付け根に敦賀はある。山に囲まれた細長い湾の奥だから、季節風は少しはましなはずだが、それでも容赦なく北風に晒されている。短い待ち合わせ時間だが、随分と長く感じられた。それでもどうにか金沢方面に行く列車に乗り込んで一息付けた。

 雪は湖北から更に降り出し、北陸トンネルを抜けて敦賀駅から山間部に入ると、かなり積もり始めている。福井市内は激しい吹雪になり、福井駅からえちぜん鉄道に乗り換えて、九頭竜川沿いの駅で降りた。もうそこは一面の銀世界だった。滋賀県では積もらなかった雪が、ここでは数十センチも積もっている。

 九頭竜川沿いはスッカリ雪化粧して、田畑は一面が何もない真っ白な荒野に似て、その向こうに農家が点在している。それはいつもと変わらぬ風景だが、初めて都会に住んだ彼には荒野に見えた。

 これががんで亡くなった渚さんのお母さんが死ぬ前に、生きる意味を問うて辿った荒野なんだろうか。そこには留めどなく真っ白い荒れ野が続いている。渚さんのお母さんが彷徨さまよった荒れ野に迷い込んでしまったのか。風の向きも解らない吹雪に、色もない世界の中で、ただ真っ白い雪面に流れる黒い一本の川、九頭竜川が竜のように蛇行しているのがかすかに見えた。彼はその川を目標にして歩いた。彼女のお母さんはあの竜のように天に召された。それを渚さんはこんな荒れ野で見送ったのか。野辺送りをしたのだろうかと、ここに立って真一は母の臨終に想いを馳せる彼女の幻影を雪原に垣間観る。

 吹雪が収まると、集落までは五百メートルあった。だが道が見えない。農道もあぜ道も雪で埋まって一面真っ白だ。まっすぐ歩くしかないが、これでは何処が側道かも解らないが、我が家を目指して雪原を歩き始める。所々で思ったよりも深い雪に足を取られてひっくり返りそうになりながら進む。多分側道に足を踏み込んだのだろう。いつもなら十分なのにもう十分以上も歩いてもまだ半分だった。かく汗が強風で寒さが強く頬に伝わり、肌に鋭い痛みが走る中でやっと道に出られた。流石に集落の前の道は踏み固められて歩きやすくなっている。これなら駅から遠回りでもこの道を歩いた方がましだった。やたら荒野を目指したのが間違いだった。振り返れば、白山連峰が迎えに来たように、雪の中でどっかと微動だもせずにそびえ立っている。嗚呼、帰ってきた、と真一は白山を仰ぎ見た。

 辿り着いた我が家には早速両親が迎えてくれた。刈谷家は父の真次郎と母の香奈恵かなえの二人でこの家を守っている。

 どうやらこの正月は初めて息子抜きで迎えるかと、呑気に構えていた処へ帰ってきたから驚いたようだ。

「おまえどうしたんや、今頃急に帰ってきて叔母さんとこでなんか居られんようになったんか」

 とお袋は驚愕している。親父もその後ろでとんでもないことをやらかしたんかと言う目で息子を見ている。

「何も驚くことはないだろう自分の息子が帰ってきて」

「そやかて月始めに行ったばかりやでお前」

「それでも正月やさかい帰郷して何が変なんや」

 まあ玄関で押し問答してもしゃない中で話そう、とお袋は諦めたように招き入れて暖房の効いた居間へ通された。

「二階のお前の部屋はそのままにしてあるさかいこのままここにずっと居られるけど……」

「別に苅野谷さん宅で揉め事おこしたんちゃうさかい」

 と説明してやっと安堵された。

 遠くからは見た我が家は、昔の集落の面影を残していたが、中はかなりリフォームされている。親父が子供のころまであったと聞かされていた囲炉裏もなく、居間は快適にエアコンが部屋の隅々まで暖気を行き渡らせている。昔を知らない真一には当たり前の屋内だが一歩外へ出ると、今日のような大雪に苦労させられた。これには両親もこれだけは九頭竜川のご意向で逆らえへんとぼやいている。

「いつになく今年は特に雪が多いわねえ叔母さんとこはどうなの」

「まったく雪は降らないけどなんかここより寒い」

「そんな家に住んでるの」

「いや今は近くに良いアパートがあったんで引っ越した」

「まあッそんな話は聞いてないわよ」

「叔母さんから連絡がなかったんか」

「きっと追い出したと思われたくなかったから話さなかったのね、そうなの容子叔母さん気を遣ってくれてるのね」

「いや自分から引っ越したけど叔母さんには想定外だったらしくてその後もそれでも夕食だけは内で食べなさいって言われている」

「容子叔母さんらしいわねあんたの事を相談したときも快く引き受けてくれたもんね」

「母さんから相談したんか」

「あんたが家の仕事を殆ど顧みる事がないからお父さんと相談していっそう好きにさしたらって言う事になって容子叔母さんに話してみたら甥っ子の伸也君があんたと同じで全くの内の工場の機械には関心を持たんさかい往生してたとこやて言われて」

「じゃあ渡りに船で飛び乗ったんかいなあ」

「そやさかいあんたがこんなに早う帰って来たからなんぼ正月や言うても行ってから一月も経たへんさかいてっきり追い出されたと思うやろうなあ」

「それでそんなに驚いたんかいな」

 十中八九お盆までは帰ってこないと思ったらしい。

「お父さんはそんなことないってゆうたけど帰るなら帰るで電話の一つでも寄こさんかいな、そうやさかいなんかあったと思うのは当たり前やろう」

 お袋の怒りは最もだが、本人はそんな余裕はない。なんせ響子さんの提案に乗っただけなのだから。しかし当てが外れてこう謂う成り行きになった、なんて今の段階では言えるわけがない。何故なら掛川渚って何者って言う事になるからだ。まだ両親には公表するのは早すぎるし、早合点して勝手に話を拡大されても困るからだ。

 それよりはこの九頭竜川沿いの土地をどうするか、そっちの方が真一は少し気になった。それとなく京都へ戻るまでに、親父の気持ちを確かめる必要があった。なんせ従兄弟いとこがもうすぐ卒業を控えて、進路を促す必要を生じているからだ。


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