第16話 伸也を説得する

 響子さんの言うように先ずは伸也から攻略するか。彼を足場にして再び彼女に近付くのだが、そもそも渚さんは何で自分の住むワンルームマンションの一階に、真一を入居させたのか未だに理解に苦しめられる。もっと歯痒いのは、同じ共同住宅に住みながら手をこまねいて、伸也の手を借りなければならない情けなさだろう。

 苅野谷浩一の家では年末休みに入り、正月を迎える準備に余念がなかった。真一は伸也を連れ出そうとして、朝から上賀茂の家を訪ねる。響子さんから聞かされたらしく、直ぐに居間へやって来た伸也を給料が出たからと、賀茂川沿いの喫茶店へ連れ出した。姉から聞いていたのか素直に応じてくれた。

 市バスの終点、上賀茂神社前から数十メートル下がった堤防沿いの道路に面した店に入った。店内は喫茶店と謂うよりラウンジカフェで、仕切りのないぶん間合いを取った席の配置で、冬の陽射しが奥まで届く明るい店だった。二人は賀茂川が見えるテーブル席に座った。

 伸也は姉から真一があなたとゆっくり話をしたいと聞かされていた。だから多分に九頭竜川に残る父の田畑を使って、農業をやる話だと思っている。案の定に「いつか俺はお前とゆっくり話せる機会を持ちたかった」と切り出されて、伸也はそのつもりで返事をする。

「僕が九頭竜川へ行きたいと言ったことはハッキリとはないんですよ」

「だけど叔母さんには相談したんだろう」

 これで伸也は確信を持って話を続ける。

 親父に会社を継ぐ気はないとは言った。ハッキリ言って小さいときから機械には魅力を感じていなかった。自然界に存在する物に興味があったんだ。工場の音は耳鳴りだけど、夏に聴く蝉の声や、秋の虫の音には良く耳を傾けた。そこに命の脈動があったからさ、それに引き換えて、機械のあの忙しない、しかも何の変化も躍動感もないのには辟易したらしい。

「お前は加納さんがいつも耳をそばだてて機械が上げる微かな悲鳴を加納さんはいつも耳を欹てて聴いているのを知らん訳がないだろう」

「その度に加納さんは機械にオイルを注いでいたのを知るほどに機械を慈しむ姿を見てないとは言わさん、そして最悪の選択は避けろ」

「それはどう言う意味ですか」

「人を巻き添えにするなって謂う事さ」

「それと僕の生き方とどう関わっているんです。真一さんも自分の意志を貫いて自由に生きられるのに何に拘るんですか」

「俺には俺の生き方がお前にはお前の、俺とは絶対に交わらない生き方があるだろう」

「言ってる意味が解らないが」

「あたりまえだまだ学生のお前に何が解る、社会はもっと菅原さんのような複雑な人間で成り立っている」

「ああ、クリスマスパーティーで会った人ですかあの人がどうなんです」

「彼は骨身を惜しまずあらゆる処に顔を出して仕事につなげる努力をしている。それに引き換えて真辺の会社の連中はどうなんだ」

 真一に言わすと真辺と九谷を除けばまるで大学の合コンと何ら変わりない。

「あのような外回りの営業は九谷さんだけでそれもあそこまで商談に直結しない合コンもどきな所へは顔を出しませんよ」

「だから他の者は君と似たように学生気質が残った連中ばかりだと思ったよ」

 そうかなあと伸也はどう似ているか聞いて来るから。例えばお前と仲が良いらしい早瀬なんかもその典型だろう、と問えば意外らしく、

「急に話が飛ぶんですね」

 と言われたが、真一にすれば何ら話の筋からは離れていない。

「当たり前だそれだけお前と違って現実の世界をリアルに生きている」

「じゃあ僕が仮想の世界を生きていると言うんですか」

「そうは言わんが学生は似たようなもんだ。ところが早瀬だがあの日はあいつは俺たちの所へ来て色々話しくれたよ。最初に俺たち二人のところへ割り込んで来て面倒くさい奴だと思ってたけど彼のお陰で真辺と一緒だった久谷って奴のことも聞かされた」

 渚さんは、二人とも女たらしだと言ったが、中々そうは見えないところがやり手なんだろう。

「九谷さんかあの人は社長とは馬が合ってあの会社を盛り上げてくれてるんだ」

 伸也も上手く丸め込められてる一人かもしれない。

「早瀬が言うにはそうらしいな、それよりあいつは響子さんに偉い関心を示していたようだ」

「それは知らないどうしてそれが判るんだ」

 これは意外だったようだ。それだけ真面目に研修している証かもしれない。

 あの日、真っ先に響子さんの隣へ座った男が居るんだが、別な女に夢中の伸也には覚えてないだろうなあ。まあそれよりは早瀬の奴が、響子さんの分までケーキを運んだ男に、どうも焼き餅を焼いているようだ。響子さんの話し相手を相当貶していたからなあ。渚さんに言わすと、普段は真面目な引っ込み思案な人なのにって、それが恋心に火が付いたのね、て彼女も驚いている。

「でも姉貴は病院から引き上げた後もあの日の相手に関してはそんな素振りは全くなかったから、悪いがそいつの片想いじゃないだろうか」

 伸也に言わせれば、姉貴はあの手の男には興味がないらしい。

「そうかじゃあ早瀬にもチャンスが有るっていうことか」

「刈谷さんは真辺さんの会社の人たちばかりを話題にして何が知りたいんですか」

「伸也君はあの会社へ就職するつもりはないのか、みんな君と似たような連中だしなんと言っても新しい彼女も居るからなあ」

 彼が否定しないところを見れば、満更でもないらしい。それなら九頭竜川沿いのお父さんの田畑は今まで通り内の親父が使うか。お父さんが九頭竜に帰るのはもっと先だろう。この正月に一旦帰郷するが、その時にはそのように伝えると言っても、彼はまだ迷っている。

「じゃあ卒業しても九頭竜のお父さんの土地に戻るのはもっと先なら叔母さんへの返事は俺も保留にする、でいいか」

 それには伸也は頷いた。

「それじゃあやっと俺の本題に入るが事務所にいる渚さんはどうしている」

 ハアと伸也は怪訝な顔つきで、暫く沈黙してから口を開いた。

「掛川さんは社長と打ち合わせをよくしているけど……」

「何の打ち合わせだ」

「そんなこと判りきってるだろう会社の運営や経理についてだろう」

「その話ならパーティーの前に菅原さんから手ほどきを受けてるんじゃないのか今さら真辺とやることはないだろう」

「そんな込み入った処まで僕が立ち入れるわけがないだろう何ならその菅原さんって言う人に訊けば確かでしょう」

 聞けないからお前に聞いてるんだ、と真一が開き直ると伸也は、なんなのこの人って、ぶっきら棒に俺は知らないよ! と言い返して来た。彼女への募る思いが報われぬ苛立ちを、そのまま無関係の伸也に打っ付けて我に返った。

「すまん、俺が訊きたいのは掛川さんはどうしてるかって事だよ」

 今恋してる彼女への想いを重ねるように伸也は真一を覗き込むと、

「今日から休みになってるから分からないけど、なんでも九州へ帰るとか言ってたみたい」

「じゃあもう会社には誰も居ないのか」

 と真一は気落ちしてしまった。日頃の優柔不断さが、完全に裏目に出てしまったようだ。これじゃ彼女の気持ちを試す為に帰郷すると云う大義名分が失われていく。

「野菜の栽培の管理は社長がやってるけど」

「エッ、じゃあみんな休んで今日は真辺一人か、いつまでだ」

「四日まで五日からみんな出勤するけど」

 まさか会社からそのまま夜行列車で、直行したわけじゃあないだろう、と真一は慌ててレシートを鷲づかみにして店を出た。

 ワンルームマンションへ帰ると、手紙が投函されている。二日まで実家の九州へ帰ってると書かれている。三日には戻ります。あれから年末の忙しさで会えませんでしたから、三日にはゆっくり話したいと書かれていた。

 

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