第15話 虚しき日々

 例の聖夜の事件は、真一を預かってる苅野谷浩一にすれば、寝耳に水の出来事で直ぐに家内から九頭竜に居る刈谷に顛末を知らせた。それ以上に刈谷は、娘さんが寝ずの看病されたことに凄く胸を痛めたらしい。しきりに母は電話越しに頭を下げていたらしい。 

 あれから一週間いよいよ年の瀬も押し迫ったが、初給料が出たので外食をすることもある。しかし渚さんとはご無沙汰している。と言っても二階に居るはずだが、全く音無しなのだから仕方がない。何度も二階の部屋の前に立ち止まり、やはり留守だろうと引き返している。年末で事務の仕事が立て込んでいるから帰りは遅いらしい。そう思う反面まだ真辺の会社に行ってるなら、自分のお陰で仕事がやりづらいだろうとも思う。

 渚さんは真一より先に出るから、いつも通りから留守部屋を眺めながら会社へ向かう。帰りは会社が近いからいつも先に帰宅する。そこで階段を上がる音がする度に、部屋から耳をそばだてるが足音は奥の部屋へ消えてゆく。

 そこで考えるには、どうすれば人を愛せるか。それは考えて成り立つものでもない。唯、一途にその人を信ずる。それで去って行かれても、それはあなたの愛の尊さに、相手が付いて行くのに疲れただけ、だからあなたのせいじゃないと暫く自問する日々が続く。

 あれから響子さんは、彼がぶっ倒れた夜の事は渚さんと、どんなやりとりをしたのか一切話してくれない。叔母さんには酔いつぶれて一晩、病院で付き合った事実だけしか語らないからだ。

 それよりも、なんぼお給料を貰ったからと云って、無駄遣いしないで夕飯ぐらい食べに来なさい、と叔母さんには言いくるめられた。

 だが夕食に招かれてもあの事件の後では、どの面下げて行けば良いのか悩む一面もある。それでも響子さんは、全く素知らぬ顔で迎えてくれるのが有り難い。

 叔母さんにも大変だったわねぇ、と言われたが、根掘り葉掘り聞かないところは、響子さんからある程度は聞かされて、不問にしているらしい。それはまだ気持ちの整理が付かない者には有り難い。

 給料が入ってから上賀茂まで戻るのが面倒で外食をしたが、殆ど苅野谷宅で夕食をする。その途中であのパーティの席で、伸也が親しく話してい相手女性と、伸也が揃って歩いて行くのを見つけ出す。思わず道ばたの陰に寄ってそっと覗き見た。

 伸也はあのパーティで親しくなったらしい。まったく角に置けん奴だ。そんなことを勝手に考えながら叔母さんの家に着いた。やはり自宅には伸也は帰っていなかった。

 叔母さんに訊くと、珍しく外で食べるから、夕食をキャンセルしたらしい。響子さんが、もうすぐ卒業なのに就職も決めないでデートかと揶揄すると、叔母さんは「男友達と飲みに行くらしいのよ」と訊いたらしい。

 伸也の奴、何をしてんだ、と真一は少しは頭にきている。人のこと言えないわよ、と響子は意味ありげな笑いを投げかけられた。

 こんな時、叔母さんは、よほど陰険な雰囲気にならない限り口を出さない。とにかく叔母さんの煮物はいつも絶品だった。ちょっとした小料理屋をやれば、この味付けだけで相当の常連さんが出来るだろう。渚さんの料理はまだ知らないが、とても心は預けても胃袋はむりだろうと想像出来る。そんな想いを知ってか知らずか、彼は里芋の煮っ転がしの絶妙な叔母の味付けとともに響子の眼差しを受けた。

「彼女への愛は危険すぎるわよ」

 と来たからお節介な女だと思う。

「情熱的な人はちょっとした切っ掛けでもう修復出来ない程に冷めて仕舞うものなの」

 だからのめり込むな、ほどほどの愛を選べ、と零れた笑みから出た言葉が彼の頬を通り過ぎた。

 そこへ急に叔母さんが「お正月休みはどうするの」と聞いて来た。

 暗に九頭竜へ帰ってみたらと言いたげだ。だが真一にすればあれ以来、二階の人の動向が気になる。一番近くに居ながら一番遠い存在なのが気になった。ついでに病院で一晩、渚さんと同席しながら、何ごともなかったように、振る舞う響子さんも不気味に見えてくる。

「お正月ぐらい実家で迎えなさいよ」

 と言われても今回が初めてなのに、と考えながら曖昧に返事をする。

 食事が終わるとさっさと叔母さんは後片付けをして台所に姿を消した。響子さんも続くかと思いきや「どうせ帰っても誰も居ないんでしょ」と紅茶を二つ用意された。

「伸也の話だとあれから彼女と社長とは変化はないそうよ」

 あの一気飲みは取り越し苦労ですよと言いたげだ。

「別に、ならそれで良いんじゃない」

「嘘ばっかり、それじゃあのまま急性アルコール中毒でお陀仏に成れば浮かばれないわね」

「そんなことないッ」

 ここまで順調なティータイムが荒れ出した。

「だってあれから音沙汰なしなんでしょう」

「社長に招待されながらあんなことに成ったんだから彼女は自重してるんだろう」

「謹慎中ってわけ、昔で云う追って沙汰あるまで閉門蟄居か」

「時代劇の見すぎだよ」

 とティーカップの紅茶にさざなみが立つ中で、浮かぬ顔でささやかに反論する。

「伸也の奴は他にどんな情報を仕入れているんだ」

「知りたいの」

「別に」

「でも顔には知りたいって書いてあるわよ」

 と上目遣いに響子は紅茶を一口注いだ。

「有るわけないだろう」

「ならいいか」

 とちょっと引くと真一は不安そうな顔をする。やっぱり知りたいんだ、と響子は気になるともう見てられないらしい。

「諦めなさいよあの人は」

「何で、どうして」

 不安に駆られ、急にトーンダウンした真一に、響子は飲みかけの紅茶が止まりそうだった。

「伸也が言うには彼女は社長とかなり親しく話しているって、あれどうなってんのって言ってたのよ」

 あんな事件の後だから余計に不可解だが、どう訊かれても答えようがない。

「だから角突き合わせて仕事は出来ないでしょう。そこがあんたと違って大人対応が出来てる人なのよって伸也に言ったけど腑に落ちないらしいのよね」

「あいつはまだ学生だからそんな会社の気風、気質が読めないだけだろう」

 どんな気まずい事が有っても部下と上司なら、下の者が嫌なことは心の億底に納めてさらりと流さなけゃあ、仕事や物事は上手く進まないだろう。

「それもそうだけどあの人はそんな穏やかに物事を治める人じゃないでしょう、それは真一さんも十分知ってるはずでしょう」

「どう妥協したって言うんだ!」

 だんだんこの人の気持ちが落ち込んでゆくのが判った。

「でもお陰であの会社では伸也も上手くいってるみたいだからその辺も見極めてるんじゃないの渚さんも」

「なら良いんだけどなあ……」

「だからお正月は九頭竜へ帰りなさいよ。押すだけが恋じゃないわよ引いてみるのも恋のうち。こんな時はあの会社へ自由に出入りしている伸也を利用しなけゃあ」

「どんな風に」

「それとなく田舎へ帰るって伸也から吹き込んでもらえば良いでしょうそれで渚さんが動揺しなけゃあ諦める事ね」

 いやにあっさり言う。そこまでしなくても二階の人なんだから、何とか成らないだろうか。でも最近は帰りが遅いらしい。内の会社はもう年末休みなのに、あの会社は年末まで仕事なんだろうか。

「伸也くんはまだあの会社で研修してるのか」

「なんせ相手が植物だから管理を怠ると枯れちゃうらしいの、そこが普通の会社のようにハイ今日まで明日から年末年始の休暇で来なくても良いって言う訳にはいかないらしの」

「でもコンピュータと謂うか機械が日当たりとか水やりを管理してるんだろう、なら少しはほっといても良いんじゃないの」

「そこなのよまだデーターどおり行くのか未知数らしいのゆえばぶっつけ本番で手探りなんだそうでもっとデーターを集めないとだめらしい。だから今は赤ん坊のように手が掛かる時期らしいのよ」

産みの苦しみか。

 これも伸也からの又聞きだから、渚さんも今が会社経営の正念場かも知れないらしい。

 それがあのパーティの席で早瀬が言った「社長には彼女の力が必要なの」か。心のメンテナンスって言うやつか。そんなひよわさで起業家を語るな。

 

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