第14話 一気飲み
一方の菅原は、真辺の会社の健全な資産運営を父親に説明している。ここで税理士の肩書きが大いに役立つ。これには父親も満更でもないと、息子の起業家としての実力を評価した。あとはええ嫁を貰って盤石にしたいのが親心だ。父親は渚さんをそっと観ていた。だがその渚に射貫くように逆に見られて、名主の
「菅原さん、あそこでこっちを見てる女がその掛川渚と言う女か」
「そうですよ。中々妖艶な目つきをされてますが、いたって心根のいい人ですよ」
「わしにはそうは見えんがなあ」
と真辺の父親は、何で息子があんな女を呼んだのか、とフナ寿司を一口掘り込んで菅原が注いだピールを飲み干した。
父親は渚の態度が気にいらない。これに真辺は頭を痛めて、何とか此処を盛り上げて彼女への印象の回復を久谷と図った。
このパーティーを企画立案したプロデューサーの真辺にとっては、費用対効果の胸算用を、一番信頼できる社員と話し込んでいる。費用対効果、それは他でもない真辺の対象は掛川渚だ。それが一向に進展しないのが歯痒かった。
「関心を寄せているのは知ってますから、後はこれでもかと云う派手なリアクションですよ社長」
「それでどう動くか、か」
「今までの静観に近い行動から一歩前へ積極的に移るべきです」
「しかしそれでは相手は益々遠ざかるだろう」
「まあ、将棋で云う処の雪隠詰めですよ」
またあいつと話し込んでいる、と渚さんが言った視線の先に真辺がいた。
「久谷の奴まだ社長と話し込んでいる」
別に社長が社員と親しく話すのは普通だが、渚さんの思惑は違った。
「早瀬くん、いつもあの二人は何を話してるの ?」
「この会社をもっと大きくするにはどうすければ良いか、でしょう」
「それは本当なの、あたしの所には金策の算段ばかり言ってくるけど、何なら菅原さんに相談すれば。あの人なら低金利で金策するすべを知っていそうだけど」
「もうそれはこの前に相談したみたいですよ。その資金で何かやるらしいです」
「新しい事業を始めるの ?」
「それでどうしてもあなたの力を必要だと言ってましたけど、何処まで本気なのか解らないが、久谷なら知ってるでしょう」
「久谷か、あいつは同じ穴のムジナって言うわけないでしょうが、あたしの知らない処ではどうでしょう」
と二人の馴れ馴れしい姿を目の当たりにして、渚はやるせなさを感じている。
「でも今は、あの二人で会社を支えてるようですよ」
と早瀬はその場の雰囲気で、何とか渚の視線に答えようと、取って付けたように言った。
「解ったわ、それじゃあの男のつまらない尊厳を守れば良いのね」
渚が此のパーティーの意義を保って、あいつの出鼻を
「まさかそんな忖度はやめて!」
「でもここにもう居たくないんだろう」
「まあそうだけど」
じゃあ、と三杯目を一気に煽り、更にコップに四杯目のビールを注いだ。流石に渚は堪え切れずに
「じゃあ僕の事はどうなんですか」
「気にしているわよ」
「あなたがいつも理想だと言ってる弟と比べてどれぐらいなんですか」
「もう、ドサクサ紛れに何を云うの!」
彼は立て続けに四杯目を煽る瞬間に、慌てて弟以上よと言ったが、既に真一は飲み干して、そのままぶっ倒れた。異常を察した響子や伸也も駆け寄り、直ぐに救急車を呼んだ。
真辺と久谷だけが茫然として対応しきれず、その場から動かず遠目に見ていた。この囲みの輪の外には、菅原と主人夫婦も側に駆け寄っていた。
十分以内に救急車はやって来た。その間に何も知らない響子は呆れている。事情を知る渚は申し訳なさそうにしている。この二人の違いが、そのまま意識不明の真一に、ちぐはぐな言葉となって掛けられた。
その場で真一は担架に乗せられて、玄関で待つ救急車に運ばれた。付いてきた三人には、付き添いは一人にして下さい、と言われて二人の女性は譲らず、隊員は二人を許可した。響子は伸也に、あんたはここに居なさい、と押し留めて救急車は走り去った。
中断したパーティーは、残った社員だけで、細々とお通夜みたいになった。一方、響子と渚はそのまま同乗して行った。
響子にすればこうなった経緯を直ぐに知りたいが、隊員の応急処置の邪魔をせず、ただ見守るしかなかった。それでも小声で渚の耳元にそっと寄せて、どうしてこうなったのか訊いた。流石に渚も彼が、ここまで思い切った行動を採るとは想定外らしく、今更ながら彼の思いの深さを知らされる。
「でも安心するのはまだ早いそうです。これで亡くなった人もおりますから」
「まさか、この人死ぬことはないでしょうね」
渚は慌てて救急隊員に訊ねると、
「このまま意識が戻らないと危ないかも知れません。現在呼吸と脈拍数が低下してますから最悪の危険な状態であることは間違いないです」
と言われて気持が震え、心が崩れ落ちていくのを止められない。
「そんな」
それがこんな気弱な言葉になって零れ落ちた。
「あなたは何てことを、それよりどうして止めなかったのですか」
だが響子の此の言葉に、渚は傷口をえぐられた。
「止めたわよ。でも訊いてもらえなかったのよ……」
「今の真一さんがあなたの云うことを無視するはずがないわよ、余程の事がなければ……」
「真辺の魂胆が判ったからよ」
今日のパーティーに招待された人達は、真辺と渚の二人以外は全てエキストラのようなものだと早瀬が言った話を、渚は響子に簡単に説明した。
救急隊員は小声で話す二人の女には目もくれず、しきりに呼吸と脈拍数と手に持ったペンライトを開けさせた瞳に当てて、瞳孔の変化を確かめ、逐次無線で状態を知らせている。
「それで真辺の誘いをただ受け流したいだけで、この人をこんな危険に
と響子は憤慨しそうだ。
「確かにこうなった一端はあたしにもあるけど、彼は向こう見ず過ぎるのよ」
「そんな言い方はないわよ。一途なだけなのに」
「だからこうなってしまったのよ」
と責任転嫁を始めた。それでも真一が思い詰めると、直情的に成る処は二人も認めている。
救急車のけたたましいサイレンに、二人の女がやり合う応酬は掻き消されて、救命処置をする隊員には殆ど届いてない。
そのうちに真一は、蓬莱から数キロ離れた琵琶湖大橋の袂にある、救急病院に運び込まれた。そこで真一は急性アルコール中毒と診断されて、解毒処置が施された。処置室の前ではもう二人は無言だった。処置が終わって病室に移されても、どうやら一命を取り留めたと知ると、緊張の沈黙から解き放たれた解放感からどっと疲れが出て、次にふたりは訪れた安堵感に、のめり込むように沈黙した。
二人の女性に囲まれた真一は、どうやらお花畠の中を飛び跳ねる夢を見ていたらしい。その夢から覚めると、目の前には丸椅子に座った二人の女性が、彼のベッドの側でうつらうつらとしている。彼は一気飲みで喧騒したパーティー会場から、ここまでの記憶が抜け落ちていた。なぜここに居るのか、暫くは彼は、途切れた記憶を懸命に取り戻そうとする刹那に、二人の女性から怪訝な眼差しを向けられる。しかし真一の次の
先ほどまでのお花畠は、たちまち強風に煽られて散ってしまい荒野のようになった。
彼はスッカリ回復して、その日の内に退院させられた。響子と渚が揃って真一の為に一晩付き合ったのはこれ以後はなかった。
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