第12話 聖夜

 クリスマスの当日、この日はちょうど休日と重なって、朝からノンビリと構えていた処、突然インターホンが鳴った。真一は慌ててドアへ駆けつけると渚さんが来ていた。

「もういつまで寝ているのかと思ったわ、手紙を読んだでしょう」

「はい、でも時間が早すぎませんか」

「予定が変わったのよ、だから夕べ手紙を入れたのに観てないの」

 と言われて足下に落ちてる封筒を真一は慌てて拾った。

「これですか」

 と中を見ようとすると、渚は「もういいわ」と一方的に引ったくった。

「いつ入れたんですか?」

「昨日の夜、十一時いえ、十二時前かしら、とにかくあなたは見てないのね」

 そう言いながら渚さんは勝手に上がり込んで来た。

「その時間ならもう寝てました」

 と真一は慌てて追いながら、彼女の後ろ姿に声を掛けた。

「クリスマスの前の晩なのに暇人ね」

 と彼女は奥の一間のリビングルームに入りながら言った。何もない部屋を観て、炬燵こたつしか置いてないのね、と言いながら勝手に炬燵の前に座り込んだ。真一は紅茶を飲むかと訊いて煎れた。

「炊飯器がないから自炊はしてないのね」

 となおも部屋を見回していた。

「で、何で来られたんですか?夕方に向こうへ着けば良いのに」

「だから手紙に書いて……、あっそうか読んでないのね」

「読めなかったんです」

「あいつから迎えに来るって言うから。じゃあ頼むと、朝から来るって言うから冗談じゃないわよ。今日は夕方まで用事が有るって言っても聞かないのよ、だからここへ来たのよ」

「じゃあ、ここへやってくるんですか」

 真一は幾分気が滅入った。それを観て渚は「心配ないわよあなたがここに居ることはあのネジ工場の親戚以外は誰も知らないから」とさも美味しそうに紅茶を一口飲んでくれた。

「レモンティーなの ?」

 不思議そうに聞いたから、ポッカレモンを入れたと言うと、なーんだと少し笑ってくれるところが良い。

 表通りに車が止まり、二階へ上がり下がりした階段の音を静かにそばだてた。誰だろうと聞くと、彼女は真辺だと答えて「隣の子に頼んで出かけて来たから留守になってるはず」と言った。なるほどそれで車が直ぐに動いたのか。

「パーティーは夕方なのに、なぜこんなに早く誘いに来るんだ」

「だから、その前に琵琶湖をドライブしたいのよ」

「だったらあなたでなく、他の社員を迎えに行けば良いのに。言っちゃ悪いけどクリスマスでも時間を持て余してる連中ばかりでしょう」

「まさか、あたしもその一人に入れてないでしょうね」

「引く手あまたってことは承知してますけど、で、昨日のイブの夜は二階に居たんですね」

「うるさい!妙齢の女性に余計な事は聞かないもんよ」

 と言いながらも目は笑っている。色気抜きになると、彼女とはリラックスして話せるが、これじゃあ百年待っても、彼女との恋は実らないかと焦ってしまう。

 実際に彼女はのらりくらりと確信を外してくる。しかしこっちも関心を寄せなくなると、弟が理想であなたは弟に似ている、と持ち出して気を乗せてくる。それでまたモーションを掛けると、彼女にあっさりと躱される。これは疲れる神経戦だが、向こうはそうでもないらしい。とにかく昼前に二人は早めにバスに乗り駅に向かった。やはり人出は多く、二人はゆっくり出来なかった。 

 夕方からごちそうが出るから、それまでの繋ぎで昼食は軽い物で済ませた。

 京都駅から湖西線で蓬莱ほうらい駅まで三十分以上あった。流石にこの時期に好んで琵琶湖へ行く観光客はなく、列車は空いて四人がけの席でやっと二人は寛げた。しかし渚さんは真一に対しては、真っ直ぐ前を見てしっかり歩きなさいとアドバイスした。その殆どが彼女の弟の生き方を模倣したものだ。

 例えば、弟は自信を付けるためにギターを始めてから、人前で意見を言えるようになった。要するにそれで人と積極的に関わり始める。それから人生に前向きになった今は、アメリカのシアトルに留学している。向こうでも見違えるようになって、あなたもそうしなさいと半分は説教になり、時には小言も混ぜて、初めてのデートは一方的に終わった。

 蓬莱駅は高架上にホームがあり、ここから見える琵琶湖は格別だ。電車から降りてもその景色に見とれた。しかし吹く風の寒さにこたえて、渚さんは真一の方に寄りかかって来て、一瞬だが初めてデート気分を味わえた。

 

 真辺自身は市内のマンション住まいだ。真辺の両親は滋賀県の湖西で蓬莱駅近くだった。家は湖岸沿いで裏は砂浜になっていた。この前に渚さんがドアポストに投函した手紙では、真辺の実家が有る湖西の蓬莱で、クリスマスパーティーに招待されたと書いてあった。真辺自身が伸也を誘って、伸也が姉の響子を誘った。そして渚さんが真一を誘った。他に真辺の社員もやって来るらしい。 

 駅前には湖とは反対側に、半円でなくコの字型したロータリーが、すぐ前の車道に繋がっていた。その道を高架に沿って北に歩くと直ぐ川になり、橋を渡ってまた直ぐ右に車一台が通れるほどの脇道から湖西線の高架下をくぐった。暫くして湖に向かって歩くと、白い漆喰の土塀に囲まれた塀が見えた。敷地面積は三百坪ほどあった。土塀の中央に有る門は閉まっていた。その横の通用口を潜って石畳先にある屋敷の玄関に着いた。

 周囲は田んぼだが農家ではないらしい。最も家自体も地元の名主のようにどっしりした作りの瓦屋根の家だ。あれで屋根の両端に鯱でも取り付ければ風格がありそうだが、しかし不便な場所だ。 

 この家にご両親と祖母の三人では勿体ないが、まあ真一にすれば九頭竜川も似たような所で納得した。初めての来客は相当驚いている。無理もない都会でこれだけ広ければ相当高い固定資産税がかかる。それに見合うだけの収入があれば別だが。彼らの平均的な収入なら都会ではその十分の一、三十坪、百平米の家でも買えないだろう。

 この家の風格が今の真辺には不似合いに見えた。とにかく玄関から一歩中へ入ると、三畳ほどの大理石のような三和土たたきに、幅の広い靴脱ぎ石が備え付けてある。その正面には畳一畳もある竹林が描かれた衝立があった。もうかなりの靴が脱ぎ揃えてある。どうやらみんなは一本早い電車で来たようだ。

 その衝立から真辺社長が顔を出すかと思いきや、かなり年配のご婦人が「ようこそおいでやす、みんなお揃いです」と品のある口調で迎えてくれた。今はこの家には両親と祖母の三人しか住んでいないから、真辺の祖母だと思った。

 老婦人が居る玄関前、三畳の間に置かれた衝立の後ろ、その奥の右手に廊下があった。L字に曲がると、庭に出て廊下は庭に沿って奥へ続いていた。その辺りから騒がしい話し声が飛び込んできた。柱の間隔から奥まで部屋が三つほど在るらしいが、老婦人は奥へ行かず直ぐ横の最初の部屋へ入った。

 六畳の和室を抜けた先に、絨毯を敷き詰めた二十畳ほどの部屋に、大きめの座卓が三つほど間隔を開けて並べてあった。食堂は洋室だが椅子が足らなく、和室三つのふすまを外して急遽きゅうきょ、作ったらしい。それは部屋の中を歩いてみて柔らかい絨毯が、途中に硬い敷居のような感触が足から伝わったからだ。

 既に中央の座卓には特注の大きいクリスマスケーキがあった。そこにみんなは真辺の指示を仰いで、ポテトチップスにチキンの唐揚げに生ハムや果物、その他諸々と、出前された寿司を各座卓に所狭しと運んでいた。二人は準備中の真っ最中にやって来た。

 そこには先客として、伸也と響子が座布団に座っており。動き回っているのはどうやら真辺の社員ばかりだ。そこに中年の男が一人居た。そのシャンペンを運ぶ税理士の菅原洋介を見て驚いた。何でなのと、真一は渚さんを見たが、彼女も知らないと首を振った。

 陣頭指揮する真辺は、渚さんと目礼を交した後に、老婦人に軽く頷いた。そこで案内した老婦人は「招待者はここで座布団に座って待って下さい」と言って奥へ消えた。

 

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