第10話 新居

 片付けの終わった部屋で三人が寛ぐが、真一にはヒヤヒヤものだ。なんせ此の二階は渚さんの部屋だ。いかにばれないように、此の先、周りの人と暮らしていけるか。

 とにかく三人は炬燵こたつに足を入れて、響子さんが淹れてくれたお茶を飲んだ。エアコンの暖房も心地よく効いて、二人は良いわねえ寒々とするあの家に比べてと羨ましがった。

「あの家では隙間テープを貼って、もどこからか冷気が入ってくる。木枯らしが窓ガラスを叩く音で背筋がぞっとする。けどここはサッシの窓で外は冬でも中は別世界、静かで良いわね」

「どうして気密性の高い部屋にリフォームしないんですか」

 と真一は訊ねた。

「それがもう最初から建て直した方が安く付くみたいなの、なんせ昔は夏涼しければ良いと云う時代の人が使っていた古い家を、そのまま使わせてもらってるの。だって一軒だけ建て直せば周りの景観にそぐわないでしょう。近くの社殿とも不釣り合いになっちゃうし……」

「フーン、だからみんな我慢してるんか」

「ここだけじゃないのよ。町中が全部がそうで景観も大事にして、古い京町家をそのまま使うように奨励している。それにこの街全体に高さ制限が有って高いビルは建てられないんよ」

「住むには不便な街なんだなあ」

「真一さんは来たばかりで、そんなこと言うけど住んでみればこれで案外気持ちが落ち着くものよ」

「やって来て三日じゃあその良さに気付けかないよ」

 と伸也が笑い飛ばした。

「笑ってるけど真辺さんのバイオテクノロジーって云うのもどうかな。自然の恵みを受けて穀物は育つが、それを化学で代行してしまうのはどうだろう」

 と笑った伸也が癪になり、敢えてバイオテクノロジーを貶してやった。

「だから今、迷ってる。お陽さんをたっぷり浴びて育つのが自然の摂理なら、そこから必要な光だけ当てて育てるのは本当に良いのか。そう言っちゃなんだけど遺伝子組み換えで丈夫な苗に変えてるけど、いずれは何千年かかって淘汰される物を数年で変えてしまうのが果たして大自然の営みと合致してるのか今は誰も知らないのに」

 だから怖い処がある。それが迷いの一つだとも言った。

「変えるのが良いのか変わるのが良いのか誰も解らない。でもこの道なき道をみんなの為に進みたい」

 と語る伸也を観ると、これが渚さんの謂う荒野なのか。


 いよいよ年の瀬も押し迫った。来た頃から街中はクリスマスムードで飾り立てて、商店街はふところの財布を緩めようと、購買力を駆り立てている。

 真一は加納さんの解り易い指導で、仕事には慣れてきたが、なんせまだ給料を貰ってないので懐は寂しい。朝食はマンションで食パンと紅茶で済まして、昼は会社で取り寄せて貰った弁当を食べてる。

 住む所は変わったが、叔母さんから「夕食は食べにおいで」と誘われていた。容子叔母さんにすれば、兄の真次郎から預かった甥っ子だけに、追い出したと思われるのは心外なので気に掛けてくれた。だから夕食は苅野谷さんちで食べていた。下手すると日曜も食べにやって来る。

 初月給が入るまでは、あのマンションは寝に帰るだけだ。クリスマスが近づくと懐が寂しく、次第に憂鬱になってくる。こうなるとまだ学生身分のいとこの伸也が羨ましい。たまの日曜など機嫌の良いときは、響子さんから昼食をおごって貰うのが今は唯一の楽しみだが「お給料が入ったら返して貰うわよ」と冗談混じりに言われる。

 一度、不動産屋さんの山崎さんが調子はどうですか、と寄ってくれた。 

 インスタント麺が多くて、何も手付かずの部屋を見て、山崎さんには、簡素な生活ですねと言われた。

 福井を出るときに衣食住付きで、叔母の厄介になるからと、現金は余り持たしてくれなかった。だから初月給を貰うまでの苦労を喋ると同情された。来月からボチボチと必要な物を買い揃える。それなら正月は上賀茂神社前の自宅で、寝正月されるのが良いでしょうね。でも向こうは寒いですよとも言って帰った。

 どうも彼は、渚さんに頼まれて様子を見に来たらしい、と後で知った。それはその後で渚さんから電話が掛かって来たからだ。

「あたしが無理にその部屋を勧めたせいで、悲惨な生活に追い込まれたのね」

 いきなりそう言われて、エッと電話口で驚くと「さっき不動産屋さんが訪ねたでしょう」 

 と言われてピーンと来た。

「日曜日にいきなり、そう、ピンポーンと鳴ったからビックリしました」

 受話器から彼女の爽やかな笑い声が響く。

「もう直ぐクリスマスだけどどうすんの」

「来たばっかりで、予定がないんだけど……」

 デートかと心が弾んだ。

「それもそうね、でも向こうはもう相当積もってるでしょう」

 と云われてがっくり来る。

「歳が明けないと、まだそんなに積もらないよ」

「そうなんだ。こっちと違ってホワイトクリスマスって良いわね」

「でも雪国では大変ですよ」

「それもそうね、大変なのはテレビのニュースで見るときだけで後は喉元過ぎれば、で、印象に残らないのは実感が伴わないからダメなのよね」

「要するに対岸の火事なんでしょう」

 フーン、そうねと相打ちを打っていた渚さんは急に話を変えてきた。この急変にも真一は大分慣らされて直ぐに対応する。

「話がまた戻るけど、クリスマスだけど。真辺に誘われてるけどあなたも一緒に来ない?」

「ハア?それって相手は仕事じゃないでしょう、プライベートで誘ってるんでしょう」

「だから嫌なの、二人っきりより、みんなでワイワイ騒いだほうが楽しいでしょう」

「でも向こうは多分楽しくないでしょうね」

「多分どころか大迷惑でしょうね、でもそんな顔を見るのも愉しいと思わない?」

「それは、やり過ぎじゃあないでしょうか、じゃあどうでしょう伸也君を誘えば辻褄が合うでしょう」

「合うわけないでしょう。でもそれって面白い、それであいつがオーケーすればついでにあなたを誘えばぐうの音も出ない、あっ、それって面白い。じゃあそれで行きましょう」

 渚はそれだけ喋ると、日時が決まったら連絡すると「じゃあねー」と一方的に切られてしまった。連絡って彼女の住まいは二階だけどどうするんだろ。

 伸也の奴はクリスマスでも予定がないわなあ。でもそれを知った響子さんはどうするだろう、付いて来るだろうなあ。真辺社長にすれば偉い出費になるだろう。でも自分から言い出した手前、引っ込みが付かなくて頭を痛めるだろうなあ。一人だけに声を掛けたのに、まさかどんどん仲間が広がって、しかも無償とくれば。待てよ、これって社長のお誘いを断る口実に、次から我々が使われてるって謂う事もあり得るか。そうなるとこれからは社長も誘いにくくなる。そう謂う渚さんの作戦の一環かもしれない。

 渚さんにクリスマスを聞かれて、そう言えば、師走に成ってからこの近くに派手なイルミネーションを飾り付けてる家が在ったと気付く男だった。

 昼間は静かな住宅環境も、夜になれば電柱の街灯だけの風景が一変していた。だからこれには遠くからでも相当に目立った。でもあれって相当電気代を喰うそうだけど、中流階級の住宅街って、見栄が凄いんだ。と地方都市との違いをこの目で実感させられた。これも真辺のお誘いと、どこか似たような気がしていた。どっちも見栄の代償は高く付いていた。

 地方は何代にも渡って付き合っていれば、世間の先頭を走らなくてもよいが、しがらみに囚われる。どっちが良いのか、中庸な生き方に徹すればそれに超したことはないが、無関心を装ってると思われると困る。それで周囲から小突かれずに生きられないか、と思えば切りがなかった。近くで一軒だけ灯るイルミネーションを観て、埒もなく浮かんでしまった。

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