第9話 慰労会2
料理が盛られた中央テーブルを挟んで、まったく別な出来事が展開されていた。
新婚の律子さん夫婦が、愛を語るのに理屈は要らない。常に自分を殺して相手の身になって思うことで、幸せなひとときに満ちている。しかし律子さんとは相反する恋も恋だろう。要するに愛は与えるものでなく、惜しみなく奪うものだ、という理論も生き方に依っては成り立つ。
渚さんと二人で、喧噪のパーティー会場を俯瞰するように眺めると真辺が目に止まった。伸也が真辺の所へやって来て話し始めた。内容は多分農耕栽培の秘訣だろうと決めつけた。
真辺は野菜や果物その物を売ってるのでなく、室内で育てるシステムを売っている。
じゃあ農業をやるつもりの伸也は、どうしてそんな物に関心を持つんだ。
「伸也は渚さんの会社へ良く出入りしてるそうだが、最近の彼に付いては僕より知ってると思って伺いたい」
「はい何でしょう」
と改まった質問に渚は改まった返事をする。
「
「まあ土地とシステムが有れば何処でも構わないけれど、でも彼の場合は郷里への郷愁を強く感じてるのよ」
「でも九頭竜川は都会と違ってビルは少なく河原は荒れ地だよ」
「人生はそのものが荒野で、出口の見えない道なき道を己一人で行くようなもの。迷えばそれで人生どころか生きてる意味さえ見失う。あなたの従兄弟はそれを実践していて立派よ」
しかし真一には、伸也は、要するに未だ先が読めないだけな気がする。それでも聞いてみた。
「なぜ人生は荒野なんですか、なぜ伸也君はそこを歩んでいると解るんです」
「亡くなった母が教えてくれたの」
世間の常識に囚われずに、自分がこれでいいと決めた道をゆくと母が言った。
「お母さんはいつ亡くなられたんですか」
「三年前だけど、もうずっと昔のような気がするけど」
「なんで」
母の死を余りにも淡々と語る処に、彼女の深淵が見えた気がした。それで死の真相に何か特別な想いでもあるかと、具体的な質問を避けた。が彼女はあっさりと「ガンです」と答えた。
「手遅れなんですか」
「いえ手術すれば間に合って助かったかもしれない」
「じゃあどうして」
「大腸ガンなの、かなり進行していて、大腸を取って脇腹に人工肛門を取り付ける、そんな生活を拒んだと云うか迷う内に手遅れになって全身に転移してしまったの」
人工と云っても筋肉が付いてないから、排便時の開け閉めは出来ない、垂れ流しになる。要するにそこまでして生きたくなかった。
「筋ジストロフィーなら解るけど……」
「それは偏見よ、命は美しく生きてこそ尊いのよ」
「いやそれこそ偏見だ、たとえどんなに醜くても生きるべきだと思うが」
「嘘です、あなたならそんなことを思うはずがない。母はいつも云ってました。人様の世話になるぐらいなら死んだ方がましだと」
彼女に言わすと、お世話をする方にも負担がかかれば、双方が楽しく生きられない、犠牲を強いられる、そんな相手を見てられない。
「健康優良児が何を言うの、心の病と身体を蝕む病魔に負けて、打ち勝てない者が人様の世話になって生きる事が尊いというの、美しいと云うの、人にはそれぞれ美しく生きたいと醜く生きたくないと云う矜持がある、それを母は実践しただけです」
「あなたはどうなんです」
「荒野に咲く花は人知れず散るんです。あたしはあたしの人生を全うします。でも人様の世話は受けたくはありません、あなたとはちょっと距離を開けた方が良いみたいね」
きっぱり言い切るなり渚は、真辺の元へ足を運んだ。彼女にいつもの明るさは薄れていた。
真一はしまったと思った。余計なことを言い過ぎた。彼女のお母さんの矜持を俺は踏み
こう言う結果を招いたのはあいつだと、彼は伸也の所に戻って彼の希望を聞いた。渚はちょっと頭を冷やしなさい、と微笑んで真辺と席を外した。
伸也は要領を得ない調子で、考えが二転三転してゆく。最後は九頭竜川ってどんな所なのと云う疑問符に落ち着く。
それから真一は、彼が行きたいように、郷里の説明に時間を費やした。余り問い詰めると伸也は情けない顔つきになる。こいつに渚さんのお母さんのような矜持はないのか、と話すウチに、こいつは自殺なんて考えないやつだとホッとした。こいつは醜くても地面を這いつくばって生きるやつだ。心に体の機能が付いていかなくなった時は仕方がないが、五体満足で死を選ぶやつが彼は許せない。病魔に蝕まれていく人の分まで生きろ、と云いたい。なぜこんな考えに辿り着いたのはすべて渚の母の
特に問題なのは伸也の希望だ。体を使って大地と格闘して野菜を栽培したいのか、ワイシャツ姿で農耕を実践したいのか。全く目的は同じでも、やり方次第で意義が全く違い、確固たる信念が今は見い出せてない。
米作りはまだバイオテクノロジーが遠く及ばないが、どうしても農閑期が出来てしまえば、やはり真辺のやり方には無理が出来る。農地とビルでは、農業をやるにはとてつもない無駄が生じてしまう。それを彼は今、悩んでいるのだ。その原因は彼の母親、即ち容子叔母さんにあった。
容子叔母さんと真一の父は兄妹だ。それだけに甥の真一の行く末には遠慮なく関わってる。何処まで話が進んでるのか、着いたばかりで要領を得なかった。伸也と響子さんも余り話したがらない。そこで手持ち無沙汰になった頃に、律子さんと氷川さんに聞いてみた。この場合、氷川さんも聞き役に回った。
鷹揚に構えて偏らない律子さんに、叔母さんは相談していた。まずは都会がどんなところか、真一が暮らし初めてから、意思を再確認しても遅くはなく、こちらへ来させるように父に話した。なるほどそれで父はアッサリ認めたのか。
誤解のないように、あなたを諦めたのではなく、試しているだけと念を押された。
ーーだから今は彼女にうつつを抜かしている場合じゃないわよ、まあ器量は申し分ないけど。あなたは外見に拘る処があるから、女の人はしっかり見据えて行かないと、後で泣きを見るわよ。妹の響子も従兄弟でも、殆ど血が繋がってないって云ったから気を付けなさい。
確かに弟の伸也は、父の妹の子供で繋がっていても、姉二人は先妻の子供だ。でも今更急に云われてもピンと来ない。苅野谷家は本家で刈谷家は分家で先祖は一緒だ。家同士の交流はあっても、後妻の容子叔母さんの嫁ぎ先の本家もほとんど遠い親戚だった。
翌朝、めざとく見つけた物件があると苅野谷浩一に告げて、例のワンルームマンションを広告媒体で見つけたと誤魔化した。昼間に荷物を運ぶのに伸也が手伝ってくれた。
苅野谷浩一の自家用車に、布団と
響子は、良くこの三日間で探せたのね、しかも自宅から近い所に、と感心している。
「まあ、あの家にご厄介になるのも気が引けるから出来るだけ賃貸物件を片っ端から探して見つけたんだ」
「本当はもっとノンビリしたかったの。じゃあないのそれにしてもこの三日間そんな広告を見てなかったような気がするけど」
と響子はなんか腑に落ちない様子だ。
車は直ぐに真一が入居するワンルームマンションに着いた。北山通から二筋奥まった通りだが、庭に木立のある家が整然と立ち並ぶ中にあった。裏の公園には小さい子供を見守りながら母親たちが会話に耽っている。
「中々環境の良い所ね、なんとよくまあー、見つけられたものね」
と響子は感心している。荷物は伸也と刈谷でほぼ片付けられた。
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