第6話 展示会場

 渚は時計を見て、向かいの蔦屋書店にあるスターバックスコーヒーで、珈琲でも飲みませんかと誘った。響子は呆れて真辺さんが首を長くして待っていると云うと、あたしが遅れても、真辺は何も言えないから、もう少し待たせても大丈夫と言い切った。

 大した自信だが、あの列車内での雰囲気から、それは十分伝わった。

 三人は横断歩道を渡り向かいの店に入った。二人より響子は少し遅れ気味に歩いている。あれほど勝ち気な響子でも、渚は取っ付きにくい相手のようだ。それは同性への敵愾心なのだろう。

 スターバックスは空いていた。三人がそれぞれセルフのコーヒーを持ってテーブル席に座った。真一の隣が響子さんで、空いた向かいの席には渚さんが座った。

「急がないのは、あれってほとんど食品メーカーからのオファーがないのよ。当然、農家からもないけれど。だから開店休業」

「だから今日から宣伝するんじゃないの」

「その前に刈谷さんの誤解を解いておくけど、敦賀に行ったのは仕事の一環ですから。けしてプライベートなんかじゃないわよ」

「わざわざ念を押さなくても気にしてないわよ、そうでしょう真一さん」

「どうでしょう」

 と刈谷は言葉を濁した。それで渚の瞳は目ざとく真一を捉えた。

「出てきたばかりに見えたけど、今どこに住んでるの」

「何処に住んでいようと大きなお世話よ」

 と響子は苛立ち紛れに突っかかるように言って来る。

 何をこの人は、それほど邪険にするのか、と渚は怪訝な顔付きで彼女を見た。対立する二人の谷間に居た刈谷が、アパートを探していると告白する。

「多感な人ほど居候は辛いでしょうね」

「居候ですって、ちゃんと面倒見てますよ」

「でもまだ二日目なら、お客さん待遇は当然でしょう。でもいつまで続けられるかしら、即戦力なら別ですけど、壱から教える立場としてはそういつまでも甘い事は言ってられないでしょうね」

 渚の指摘は小憎らしいほど的を得ている。福井と距離は離れていても、盆暮れには顔を合わす響子は、真一の性格を的確に捉えている。この人は傍で口喧くちやかましく言わないと、中々その重い腰を上げる人ではない、としみじみ知っている。

 響子と渚は弟の伸也を通じて顔見知りになった。その伸也は大学の紹介で真辺の会社を知った。バイオテクノロジーをやるベンチャー企業に、大学が焦点を合わせて実習見学として行って知った。

 真辺の工場は、従業員は数人で、社長自ら現場でやっている名ばかりの会社だ。それ故か大学の申し出を、宣伝の一環になればと、真辺は一も二もなく引き受けた。それが一年ほど前だ。渚は半年前に真辺の会社に事務係として採用されて、今日に至っている。

「刈谷さんは昨日はどの部屋で寝たのか知りませんが、上賀茂神社前のあの辺りの古い家は夏は良いですけど、これから冬に向かう身にはこたえるんじゃないの」

「人の心配する前にあの真辺の会社は成功するのかしら、伸也はかなりのめり込んでるけど」

「するもしないも、ここの出展会場次第でしょうね」

 渚は人ごとのように自社を見下している。

「雇われの身とは謂えど、お世話になってる会社でしょう、それを誇りに思わなくても悲観するのはどうかと思うけれど、伸也なんかはかなり期待してあの事業に前のめりになっているのに……」

「別にあの事業が悪いとは言ってないわよ。それどころか先見の明があると褒めたいぐらいだけど、もっと人を引きつける魅力に欠けてる処があの社長の難点かしら」

 渚はさも美味そうに朝のコーヒーを口に運んでいた。そんな会社に勤めながらこの余裕綽々よゆうしゃくしゃくの態度に響子は頭に来ている。仮にも雇ってもらってる以上は、雇用主と会社には最低限の敬意を払うべきで、それが苦手ならさっさと辞表を出すべきだ。

 隣で聞いてる刈谷にすれば、いつ爆発するか解らなくてヒヤヒヤもんだ。この時の渚は語尾の韻律はすべて急降下かするように見事に尻下がりだ。それでも妖艶さを湛えたあの瞳にはかなわなかった。だから慣れると、二人のやりとりを気兼ねなく拝見できた。

 二人ともお互いの気持ちの限界を知り尽くしているからなんだろう。半年で友人までに留め置くのは、渚の秘めたる話術だろうか、いや雰囲気なんだろう。そうこの人の持って生まれた特技なんだろうか、それとも九州の風土が育てた産物なのか。

 この辺りは後で響子に訊くと「ばっかみたい」と一笑された。それはともかくこの二人の共通点は、あの会社でなく、社長の真辺に行き着いた。

「とにかく意に介さず、気に食わないことになると途端に機嫌を損ねる人よ」

 と渚が言えば響子さんは、「それってもっと親密に構ってもらいたいんじゃないの」とやんわりと言い返した。

 社長と従業員だからそれは絶対あり得ない、と渚はぶっきら棒に言い切った。

「別に関係ないと思うけど、要するに気に食わないんだったらさっさと辞めたら」

 と響子はまた振り出しに戻した。

「だったらあなたの会社で雇ってもらえる」

 ハァ? と素っ頓狂な声を上げた。渚も思わず吹き出してしまった。つられて響子も笑い出すと、刈谷は呆気に取られて、この二人はいつからの付き合いなのかと今一度疑った。

 ここら辺りがあの社長の限界なの、と渚は急にテーブルに置いた物をハンドバッグに仕舞い出す。

 セルフのコーヒーを持って立ち上がった渚に「なるほどそのタイミングで社長は休火山のままなのか」と響子は嗤った。

 「まあね」

 と渚も薄笑いで答えると、慌てて出てゆく渚の後ろ姿を見送って「じゃああたしたちも行くか」と店を出た。


 展示会は十時からだが客足は疎らだった。それで社長は加納さんらに任せて会社へ戻った。加納は手持ち無沙汰に店の前に立っていると、早速に背広姿の中年の男がやって来た。男は加納さんと立ち話をしていた。男は店の奥に居た刈谷たちを見つけると親しそうに声を掛けて来る。列車で会った税理士の菅原だと奥の二人に伝えた。

「いやあーこれは奇遇ですなー、ここへお勤めとは知りまへんでしたなあ」

 なんだ知り合いですか、と着いたばかりの刈谷に不思議そうに加納は訊ねた。事情を聞くと真辺と掛川とも列車で同席していたことも解った。

 彼はこの会場へ、年末を控えて税務相談にやって来たのだ。別に三月決算前でも、その繋ぎを付けておく狙いもあった。菅原にすればこう言うイベント会場は絶好の草刈り場だ。 

 そこで真辺の会社を訪ねたか、と訊くとすでに行っていた。だが成果はかんばしくなかったらしい。それもそうだ、決算や会計に税理士に任す余裕などないに決まってる。第一に税金を申告するほどの利益があるかも疑問だ。それでも渚を事務員に雇ってるのは別の魂胆が見え過ぎている。 

「彼女にも会いましたか」

「ああ、あの人ですか、相変わらず愛想の良い人で看板娘さんってとこでしょうか、結構に店は賑わってましたよ」

 まさかここへバイオテクノロジーの一環を求めて、やって来る会社があるとは思えないのに、賑わっているのは、単に彼女のお陰だと菅原は笑っている。

「人出がさっぱりのご時世になんと羨ましい限りですけど。それを鼻に掛けない彼女だけに、受けてますね」

 さっきのコーヒー店では、彼女は少し言葉遣いが荒れただけに、刈谷はヒヤヒヤさせられた。この菅原の渚への讃美は、さっき気を悪くさせた刈谷には援護射撃になって、これで心はかなり吹っ切れた。

「それであの会社はどうでした」

「彼女の経理はなかなかの物で、あたしの出る幕はなかったでしゃろう。まあそれでも年度末には往生しゃりまっしゃろう。なんせ出来たばかりの会社で最初の税務申告は素人では難しおますさかいなあ」

 菅原は、個人商店ならいざ知らず従業員がいれば、この仕事は中々一筋縄では行きまへん、と経理と経営の難しさを説いている。

「会社って稼いだお金をそのまま使ってたら後で困ることになるのか?」

 伸也が素朴な疑問を菅原に打っ付けた。

「それで儲かっていればね、損をしたら損したで控除がありまっせ、個人はね、で、会社の場合は使った物を経費として認めてくれれば助かりまっさかいなあ」

「全部ですか?」

 伸也の質問に菅原は、自分の二の腕を軽くたたいて。

「それが私の見せ処ですわ。損したらあきまへん、見落としてるものが結構ありまっさかいなあ。その節はご相談を受けますさかいに社長さんによろしゅう」

 と菅原は名刺を置いて引き上げた。

 去って行く菅原の後ろ姿を見て、どうですか、と刈谷は加納さんに人柄を訊ねた。

「仕事には明るそうだから、金に見合った事はしてくれそうだ。伸也君も刈谷さんも相談に乗ってもらうには良いかもしれませんねえ」

 と言えば響子さんは、口が軽すぎると辛口の批評する。


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