第4話 準備と詮索
苅野谷浩一はさばの味噌煮と筑前煮の定食を選んだ。息子はハンバーク定食、響子はチキンフライ定食、刈谷はトンカツ定食と社長以外は洋食を注文した。和食には味噌汁が付くが洋食は付かなかった。
「何だお前達、味噌汁は嫌いじゃないだろう。いつも我が家では家内が丹精込めた味噌汁を作ってくれているのは知ってるだろう」
「お父さん、別にお味噌汁が嫌いって云ってるわけでは無いのよ」
父と娘の食事談義に、トレード要員の二人は、それよりもっと大きな問題が有るだろう、と苦々しく聞いている。それはお互いの目を通して伝わって来る。
「お父さん、なんで真一さんは九頭竜川から出て来たんですか」
「お前は農業を遣りたいんだろう」
「云ったけど真一さんとトレードだなんて聞いて無いよ」
「何ださっき聞いたのか、俺が決めたんじゃないお母さんだ」
そう言い終わらん先に、俺の説明する前に言ったのはどっちだ、と云わんばかりに娘と刈谷を交互に見比べる。
「ここは空腹を満たす食事の場だ。余計な詮索で胃袋の心証を悪くしたくない。だからそれは後から説明する。その話をどれだけ聞いているか知らんが、一切の推測はそこまでわしが話を始めるまでその件は一切進めるな」
一同は浩一の威厳在る態度に、この件に関してはフリーズ状態になった。丁度襲いかかった空腹状態にも後押しされて、持った箸を忙しなく動かして食事が始まる。
「真一君、九頭竜川の連中はあれから変わらんか」
ひと息付いたところで、父の浩一はさっきの気まずさを、帳消しにするように、穏やかに切り出した。
「伯父さんが最後に来たのは五年前でしたけどあれ以前も以後も全くもってずっと長閑なもんでしたよ」
真一は少し緊張して答えた。
「それは良いことだ。あの暴れ川は最近まで河川改修が進んで少しは大人しくなってきた。だからわしらが村を離れるような悲劇がなくて幸いだ」
「そんな大水害だったのですか」
「まああの川に関わらず各地で起こったが、以後は百年単位の風水害にも耐えるようになったのに関わらず、最近は頻繁に起こっているのが嘆かわしい」
ーーそこでだ。わしが十代でこっちへ出て来て所帯を持ったのは三十前後だ。その頃には今の会社を作っていた。今で謂うベンチャー企業かも知れんが。だが響子が生まれて無理もたたったのかも知れんが、家内が亡くなった。そこで真一君のお父さんから幼なじみで、まだ独りのもんの妹を世話されて伸也、お前が生まれた。あれからもう随分経ったから、そろそろ故郷へ帰ってのんびりしたいと思ってなあ。幸い伸也も農業に関心を持っているからなあ。そう思っただけで真一君の話は、わしの頭の中にはなかったんだ。今もないんだから、その話は女房の
浩一は食事中は世間話も交えながら延々と喋り続けた。
「ひと言云っておくが、わしは真一君のことに関しては一切関与していない。ただ息子の伸也に関しては色々と相談もし口出しもしてるのは事実だ。それは伸也に聞いても解る」
と語尾は息子に振った。伸也も真一に対して間違いないと頷いて見せる。
「今日はこれで一段落した。後はのんびりしろ、でも明日の週末からは忙しいぞ、なんせウチの会社は従業員が五人しか居ないからなあ。ここの展示会場にはわしともう一人しか来ないからお前らが唯一の戦力や」
「誰が来るんですか?」
刈谷真一が唐突に聞いた。
「あっ、そやった真一君だけは知らんのんやなあ、わしの片腕で
真一君は今日は家に泊まり、家賃は会社が払うから子供二人と相談してアパートを探せ、と言って食事が終わると浩一は先に帰った。
父を見送った二人は平安神宮の前で、どうすると刈谷に聞いた。時計を見るとあと一時間ほどこの朱塗りの門は開いている。
「せっかく来たんだから入ろう」
響子に導かれて二人は顔を見合わせると、そろって朱塗りの
正面にある
まず伸也が福井の様子を聞いた。まだ積もりはしないが横殴りの雪が降っていた。それを言うと、やっぱりこっちとちごて寒いところなんかと聞き返してきた。
「そんなことない、こっちの方が寒いぐらいや」
「雪も降らへんのに」
「そやさかい寒いのや」
「二人ともなんやそんな遠回しな話せんと、もっと聞きたいことがあるんとちゃうの」
響子は
「なんや伸也、お前知ってるんかあの話」
「ウン、お
「叔母さんはなんて言うたんや」
うん、そやなあ、と伸也は姉の顔色を窺っている。
響子はなんかあたしの顔に付いてるの、と素っ気ない素振りで弟を突き放した。しゃあないなあー、と伸也は刈谷を見据えた。
「お母はんの言うことにはお兄さんの真次郎はんから連絡があったんや、それで福井の伯父さんかと聞けば、そうやとはっきり言われた」
「それで親父はなんて言ったんやッ」
辛気臭いやっちゃなあ、と真一は少し苛つかせたが、それに似た仕草で訊ねた。
「じつはそれ以前から福井の伯父さんから、お母はんに相談していたらしんや」
ーーもう相当前から息子が、農業はやりたくないて言うちょるからどないしたもんや、とお母はんに相談したらしい。それでぼくはお母ちゃんも実家は農家であんたのお父ちゃんの畑を預かってるんやって言われてなあ。その畑やけどお前の名義に直したらどうやとお兄さんから言われたらしい。その代わり、わしの息子の真一を、義弟の浩一はんに仕込んでもらへんやろか、と見込みが在るようなら継がせてやってくれ、と頼まれたらしいんや。
伯父さんは余り関わってないが、何処まで知ってるんだろう。
「伸也、お前の話は全部仮定やないのか」
「いやほぼ確定的や」
「そしたら何で、らしいばかり言うんや」
伸也は泣きベソを掻いたような顔をして、右手を後部に当ててしばし沈黙した。それを見て刈谷は、こいつもはっきりせんやっちゃと思っている。
「問題はあなたなんよ」
と響子が割って入った。
「あなたは父親とじっくり話し合ったことがありますか、これから起こる様々な出来事にあなたは独りで対処していくつもりなら何も訊きませんけど」
「急に何を言い出すんだ」
「とにかく弟はこの春に卒業しますからそれまであなたはここで内の会社の仕事をやりながらゆっくり考えれば良いでしょう。明日からはあなたの言う〝伸るか反るか〟の正念場ですからそうでしょう」
響子は此見よがしに、皮肉たっぷりにそれだけ言うと、満足なのか矛を収めた。
「ほなぁ、お参りして帰ろうか」
と響子が云えば刈谷は、
「響子さんは伸也くんがお父さんの跡を継がなくても良いと思ってるんですか」
と自分の思惑が霧散するのを食い止めたかったようだ。
「今、着いたばかりなのにどうしてそんなに結論を急ぎすぎるの。まだ決まっちゃあいないわよ。さっきも言った様に目の前の事を確実にやっていれば、自ずと道は決まってくるでしょう」
明日は明日の風が吹くか、ちょっとキザだが明日は色んな大勢の人がやって来る。彼らを見聞しながら、それから考えるのも一考だ。親父がなんと言おうと刈谷真一は、成るように成れと、半分やけ気味に自分の先を見据えた。
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