第3話 勧業会館
厳密に言うと、バスは会館の出入り口から七十メートル以上離れた、ビニールシートの屋根が在るバス停に止まった。だから目立たないでしょうと、響子は降りてから言ってのけた。
「でも他の業者から丸見えですよ」
と云うと一言多い、とムッとしてさっさと歩き出した。慌てて刈谷は追っかけてそろって、入り口に辿り着いた。
この間に響子は、軸受けと軸が対になったタングステンやモリブデンを鉄と絶妙に合わせて、丈夫で柔らかく摩耗が少なくて、なめらかに回転するベアリングとクランク軸を追求した新商品をここで出すと簡単に説明した。
「連絡を受けた時には、伯父さんはそんなことはひと言も云ってないよ」
「だからお父さんは此処に連れて来るように、あたしを留守番させてあなたの来るまで待ってたのよ」
平日の昼間となれば、平安神宮は人通りも少ない。ましてや車道にある大鳥居は更に少なかった。その参道から会館は外れているから余計に少ない。そこを歩いて入り口まで来た。
アーケードの付いた石の廊下を五メートル行った先に自動ドアがあった。入って直ぐが一階展示会場で、前には二階へ上がるエスカレーターがあった。その一階会場を三十社ほどが展示商品に応じて、パネルやボードで区切って在るから、各社の規模はまちまちだ。まだ商品が搬入されてないところが多くて、その準備でざわめいている。
勧業会館みやこメッセは一番広い会場は五千人ぐらいの入社式が行えた。その会場に三十社ほどの会社が出店を予定してる。裏口からは慌ただしく搬入される機械や商品が、我がもの顔で通過してゆく。明日になればこれらの商品が、会場の所狭しと鎮座して、この催し物のメインに変わる顔ぶれだ。
「お父さんが出展する場所はどこですか」
まだどこも社名や商品名が記された物がなかった。
「だから今は準備中なの」
「両親はともかくトレード要員の伸也も来てるんか?」
「今日は授業があってまだ来てないわよ」
「どう思ってるんだろう」
トレード先の九頭竜川から、交換要員が来ると知っていながら、なんちゅうこっちゃと刈谷は憤慨した。春までまだ日にちがあるから、来春までにゆっくり話せば良いと思ってるらしい。
暢気なやつだと、刈谷はあいつの信念もどこまで確かなのか、疑いたくなった。これが連鎖反応してまさに疑心暗鬼に陥った。
「何をそんな顰めっ面してんのよ」
と響子に言われた。
「会社にとって伸るか反るかの時に何で授業なんか受けてんのや」
と八つ当たりした。
「あなたはまだうちの会社がどんなもんか全く知らないからよくそんなことが言えるもなのねッ」
響子は会社の経営も商品も知らない者に、伸るか反るかと軽々しく言ってもらいたくない、と頭にカチンと来たのだ。
会館に一歩中に踏み込むと、まるで迷路のようにパネルが乱立していた。まだ出展企業の区画整理がキチンとされてなかった。だから床にはテープが張られて、それがどうやら出展企業の区画割りらしい。他社を見るとその床のテープ上にパネルを立てていた。
「で、ウチの場所はどこなん?」
「お父さんしか知らないのよ。だからもうパネルで区切ってるはずなんだけど」
まるで迷路のひまわり畑みたいだ。あっちは行き止まりばかりだが、この会場には行き止まりがなく、すべて通り抜けられた。だけど下手すると同じところを回る羽目になりかねない。事実父も行ってみなければハッキリした場所は解らないそうだ。図面では何処の会社が何処に設置するか決めてあるが。実際には先ずは基準となる企業が、場所を設置されてそれに合わせて今一度、床にテープを引き直していた。だから早く来ても場所が変わる場合もあった。この時間になると、床のテープは不動になった。そこで各社は床に貼ったテープに併せて、パネルを次々と組み立て始めた。
終わったところから機械や商品の搬入を開始した。商品を積んだ手押しの台車が、頻繁に行き交う会場で、二人はやっと苅野谷の展示場所を見つけた。そこにはすでに一台の掘削機器が置かれていた。だが響子に謂わすと、これは売り物ではないらしい。この機械の中に使われている部品こそが、当社が世界に誇る商品だと、響子はサラッと流すように言った。
その掘削機械の物陰から、社長の苅野谷浩一が、ひょっこりと首を出した。
「お父さんなんで会社の看板を出さへんのや、お陰で散々探したがなあ」
「アホ、営業は明日からやで、今日は業者の搬入日や。客が居やへんの誰に見せるんや」
「そやかて身内すら見分けられへんのに探すのに往生するがなあ」
「よう来たなあ、待ってたんや」
浩一は隣の店付近に居た真一を、こっちにおいでと手招きした。それを見て響子も振り返って「いつまでそんなとこに立ってるの、他の業者が搬入するのに邪魔やでッ」と店へ刈谷を誘導した。
「響子、真一さんは今朝、長旅で着いたばかりで疲れてるさかいもっと優しい言葉掛けたり」
「福井から来ただけやのに、何が長旅なんや。まだ姫路の方が遠いわ」
「大阪や神戸とちごて雪深いとこや。それに快速電車も走ってない不便なとこやで。なんせ豪雪地帯や、こっちはまだ雪は降らんけど福井はそろそろ積もりだすやろ」
「本格的に積もるのは年明け早々ですからまだ地ならしみたいなもんです。それより伸也くんはどうしてます」
「オッ、矢っ張り気になるか。そうやろうな刈谷のおやっさんから打診があってなあ」
「エッ、内の親父が言い出したんですか」
「そうでもないが、お互いに息子の育成には苦労があってなあ」
どうやら親同士で、密かに相談を重ねて、此の結論に達したらしい。
「伸也くんには相談したんですか」
そりゃ当然だと云う答えが返ってきた。俺は一切相談を受けてなかった。それを響子に打ち明けると、至って冷静で至極もっともな答えが返って来た。
「だってあなたは家のことには立ち入らないでしょう。それよりそう謂う親子断絶の雰囲気を作ったのはあなた自身なのよ」
そう云われても、俺は普通に主義主張を貫いただけだ。
「そこにあなたの怠慢が隠れているとは思わないの」
「おいおい二人とも手伝いに来たのかそれとも喧嘩しに来たのか。そんな事より早く手を貸してくれ」
と浩一は設営を早く済ませたかった。そこへちょうど息子の伸也も大学から帰ってきた。
四人は手分けして区画整理されたスペースに、パネルを立てて工作機械を設置した。商品は当日に並べることにして、取り敢えず長テーブルにシーツを掛けて、パンフレットを並べて、パイプ椅子も用意した。刈谷も響子も遅れてやって来た伸也もお腹が空いていたが、父の浩一は眼中になかった。ここは展示会場であり作業場じゃなかった。それでもレイアウトする父の目は、工場と変わらない。要するに一切の妥協を拒む姿勢がここでもそのまま現れていた。資料の見本を並べる長机にも、その位置にこだわった。
残りの三人は、父の一徹な職人魂に付き合わされた。最後に父が気に入る展示場所への配置が決まると、どっと崩れるようにパイプ椅子に座り込んだ。そのまま腕組みをしてジッとしても、首と目だけは注視して動いていた。首と目が元に戻り、数分静止してから、おもむろに浩一は立ち上がり「さあ飯やッ」と言った。その一言でみんなは展示品に布を被せて表へ出た。
どうにか格好が付いたところで、遅い昼食と言うか、早い夕食なのか、一段落するとみんなは急に空腹感に襲われた。疎水べりを歩いても、感じのよいレストランは素通りした。意気揚々と過ぎる浩一を尻目に、三人は横目で恨めしそうに行き過ぎる。父の浩一は「こう言う時は和食に限る」と角に在るお食事処、と書かれた食堂ののれんを潜った。
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