第2話 到着

 刈谷は伯父さんの待つ苅野谷かりのやの屋敷に向かった。因みに刈谷と苅野谷は、遠い昔に分かれた本家と分家だ。が今ではどっちだか、九頭竜川に住む人でさえ間違えられるから、本人も理解していなかった。

 伯父である刈野谷家は、駅からバスに乗り終点の上賀茂神社前の一の鳥居を潜らず、前の路を奥へ百メートル行った所に在る。この辺りは土塀に囲まれた古い家が並んでいた。家の前には神社から流れ出た小川が流れてる。だから各家の前には短い石橋が架かっていた。終点で降りた乗客の大半は、神社に行く観光客だ。左手に神社の鳥居を見ながら、通り過ぎて伯父の居る家に昼頃には着いた。

 インターホンを押すといとこの響子きょうこの声がした。待っていたのか、直ぐに彼女は出て、格子戸を引いて迎えてくれた。久し振りに観る彼女はセーターとスカートの可憐な細いルックスは変わらないがだいぶと大人びている。

「伯父さんは?」

「お母さんも律子姉さんもさっきまで居たんだけど、明日からの京都勧業会館(みやこめっせ)で開かれる新商品の展示説明会の準備に出かけたの」

「何ですかそれは、新しいカップ麺か何かですか?」

 突然に響子はいとこを宇宙人でも見るように、眉を寄せて瞳をその顔に集中させた。

「なんか俺の顔おかしいですか」

「それはとうに通り越して奇妙なの」

 響子は冗談も度を超すと忌み嫌われるわよ、と言われて刈谷は真剣に何も知らない、と説いた。それでも不満を押し込むように、諦めて説明を始める。

「最近出来た会社もどきのベンチャー企業って言うものが自信作を展示説明して、顧客を集める催し物だけど、その中でもあたしのお父さんのは古株だから中小企業のベンチャー企業家になるわね」

「お父さんの会社って品物を作ってる会社なの?」

「あら、あなたのお父さんから何も聞いてないの」

「行けば解るって、その一点張りで来たんだけど」

「そうか、まあとにかくうちのお父さんに会って聞くか」

 と彼女はここで長話する訳にはいかないと、ショルダーバッグとコートを取りに戻ると、お待たせと家を出た。

 響子はバス停で待った。ここではタクシーは来ないでしょうと言えば。彼女は呆れて、何言ってんのバスよ、とばかりに終点で折り返し発車するバスに乗り込んだ。二人は奥の座席に並んで座った。

「今さっき乗ってきたばかりなのにまたかー」

「タクシーに乗れる御身分か良く考えなさいッ」

「でも会社の経営者が会場にバスで横付けするのはどうかと思いまして」

「着いて早々から右も左も解らないのにそう言うことだけは一人前なのね」

「えらい角のある言い方なんだけど響子さんは変わったね、昔はもっと思いやりのある人だと思っていたのに」

「お門違いと言いたいの、それともあたしに対する作戦を変えたの」

「作戦 ?そんな大袈裟な物はありゃしないよ。ただ気持ちの問題点を指摘しただけなのに」

「上手く逃げたのね。まあいいわ」

 頬を緩めてそう云いながらも、彼女は妥協していない。此の刈谷真一と歳も近いが、響子は中々のしっかりもんだけに、弟も頭が上がらなかった。その弟が最近はどうしてるか様子を訊ねた。

 苅野谷家は両親と子供三人で、長女は嫁いでいる。次女の響子は作年大学を出て社会人、長男は大学生だ。

 長男はまだ学生でおっとりとしているが、自然派で越前に憧れて来年春に卒業する。長女律子姉さんの旦那は取引先で普通の会社員だ。

「あなたは弟と一緒で世間を気にしすぎだわ」

「その弟の伸也しんや君ですが高校生になってからご無沙汰していてどうなんですか」

「そう言えば子供の頃は帰省すると二人で夏はよく九頭竜川へ泳ぎに行ってたわね」

「その伸也君はこの春卒業なのに就活はやってないんですか」

 彼は九頭竜川へ帰るため就職活動をしていない。送り出す苅野谷は後継者を真一に決めて、妻の兄に当たる刈谷にパイプ役を期待した。

「あいつは若いのに何で地元へ帰って農家を継ぐ気になったか」

「そうねあの子あんたと正反対で都会暮らしの煩わしさが身に付いて田舎が良いって言ってるのよお盆に帰ってちょっと遊んだだけの地元なのに」

「それで来年はお父さんと一緒に帰るのか」

 帰るのは弟だけで、父はまだやり残した仕事が在った。それはここまで築いた小さいながらも、大企業と太刀打ちできる技術を、後世に受け継がせる大仕事があった。それを息子の代わりに補佐するのが、あなたの役目だと言われた。これには刈谷は聞いてないと憤慨した。

「でもあなたは故郷の九頭竜川を見捨てるんでしょう」

「人聞きの悪いことを云うな、それじゃ君のお父さんはどうなんだ」

「うちのお父さんと一緒にされては困るわよ」

 九頭竜川は名うての暴れ川だが、肥沃な土地だけに、引くに引けない自然との歴史があるようだ。

 暴れ川の九頭竜川はよく氾濫を起こしてきた。一昔前のはひどかった。田畑の大半は流された。半分は休耕田にしないと復旧は難しかった。その過程で人生を狂わせた一家が、荒れた田畑を親せきに任せて京都へ向かった。預けた親せきにはその稼ぎを仕送りしたが、田畑が回復すると収益の一部を納めて貰った。

 田畑を親せきに預けたが、歳を取った晩年にはもう故郷へ、九頭竜川へ帰りたい郷愁に駆られた。幸い預けた親せきの子が、農家を継ぐ気はなく都会に憧れていた。そこで会社と田畑を交代しょうと親せきに持ちかけた。息子も付き合いが煩わしい都会より、農家に憧れていた。娘はいずれ嫁ぐから好きにさせた。そんな話を聞かされないままに、刈谷真一は伯父のいる京都へやって来た。

「九頭竜川が荒らした土地の復興の為に郷里を出たなんてそんな話は聞いてない初耳だ」

「嘘だと思うのなら叔母さん、あなたのお父さんの妹さんだった人に聞けば良い、ついでに云っとくけど叔母さんはあたしのお継母さんだけどそのいきさつも知ってるでしょう」

 苅野谷はこの水害で両親を亡くしていた。それも都会へ出た原因の一つだった。都会で響子が生まれて、直ぐに母は亡くなり、郷里の刈谷家から後妻に来たのが真一の叔母さんだった。

「じゃあ何か俺は親同士、いや兄妹きょうだいで決めたトレード要員か」

「そんな立派なもんじゃないと思うけど」

「俺が反対すればこの話はお流れじゃないのか」

「さあどうでしょう。ただあなたが都会へ出たがってて農家を継がないんでしょう。でも弟は農業をやりたがってる」

 後は勝手に解釈して頂戴と響子は話を止めた。

「じゃあ何のために京大へ行ったんだ」

「知らなかったのあの子は農学部なんよ」

「ハア?」

 福井と京都でいとこと謂うだけで、盆暮れに家族と一緒に帰郷した折りに、会うだけだったが高校生になった頃からは会ってない。

「まあ子供の頃と違って、あなたとは大きくなってからは余り会ってないので無理もないか」

 それは気休めなのか当てつけなのか、響子の言い方はどっちにも取れた。

「それでみやこめっせへ行けばお父さんの仕事が解るか、でも俺は機械なんて操ったことなんかないんだぜ。そんな者を君のお父さんは息子の代わりをさせようたって無理と思わないか」

「思わない、だって無理か無理でないかはあなたが決めるんですよ」

「だから無理だろう」

「何も解ってないのね、さっきも言ったとおり、それはあなたが無理じゃあないと思い込めば良いことでしょう。こんな簡単なことが解らないあなたじゃあないでしょう」

「こんな複雑な事をそんな簡単に言う方が俺には解らない」

 農家は継がない、これはあんたが言い出したことなんだよ。バカ、根性なしと響子は真一にハッパを掛けた。別にこのトレードは俺が言い出したわけではない。ただ都会暮らしをしたいと念願しただけなのに。後は周りが本人の意向を無視して勝手にやっただけで、俺に何の技術も実力も備わってないのに、奴らが勝手に無視して決めた。

 バスまで彼を無視するように、勧業会館みやこメッセ前に到着した。響子に背中を押されてバスを降りた。さすがに師走になったばかりだが、今日の吹く風は心身共に堪えた。



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