光の中に消えた~Left into lights~⑱

子供達の声が青空に溶けていく、熱を帯びた風が吹き抜けて、拙い応援の実況が響く。小学校、運動会のグラウンド。そこに春斗と光子は居た。

あの日、春斗がプロポーズをした日から、十余年と経っていた。二人が共にここに居るということは、つまり、そういう事だ。そして、その隣にもよく知った二人がいた。健吾と莉奈だ。春斗と光子の近くに居る者同士、必然だったのかもしれない。彼らもまた同じ目的でこのグラウンドに来ていた。

「なーんだよ全く、情けねえなあ。」

呆れと怒りが半分半分の声でそう言ったのは、健吾だ。ついさっきの駆けっこが息子の出番だったようだ。

「まあまあ、そうも言うなよ。子供達は頑張ってるんだからさ。」

春斗はそう返した。

「いーや、ダメだね。やっぱ勝つって気持ちは大事なんだよ。お前なら分かるだろ?」

「まあ、分からなくはないな。」

思い当たる節など、いくらでもあった。人生は静かな競走だ。春斗はそう考えている。

「だろ?っつーかしれっとお前んとこは一位じゃねーか。」

「まあな。俺の子だから。」

「出たよ。」

健吾はそう言って呆れ笑いした。

「でも、意外だな。健吾がまさか小学校の運動会を見に来るなんて、結婚しても仕事人間だと思ってたよ。」

「そうだな。まあ僕も意外だと思うが、お前にだけは言われたくないね。互いに忙しいじゃないか。いや、確かに小説家のダイセンセーの方が休みやすいか、なあ、蒼野春斗先生。」

今や二人は、それぞれの業界で名の知れる者同士となっていた。健吾はこの十余年、ヒットメーカーとして沢山の才能を支え続け、小説のみならずテレビドラマやタレント等のプロデュースもこなす名プロデューサーとなっており、一方の春斗は、言わずもがな小説家として名を馳せていた。以前と違うのは互いに「七色求夢」では無いということくらいだ。

あの日を経て、当時春斗が執筆中だった小説が出来た時、健吾の方から「七色求夢」は解散を申し出された。曰く、必要の無い名だからということだった。春斗は納得せざるを得なかった。夢も光も求める程遠くではなく、守る程近くにあったからだ。

余談ではあるが蒼野春斗の一作目は、余り売れなかった。当時の心境もあって内容が大衆的なものではなく。本質に対する自論が先行してしまったようだ。それについては、健吾も出版する前から分かっていた様だった。

「春斗、健吾さん。お茶、どうぞ。」

男二人語らっていると、喉が渇く。丁度いいタイミングで光子がお茶を差し出した。

「ありがとう。」

「どうも、ありがとうございます。」

「どういたしまして、ところで何の話してたの?」

「うーん。何のってほどでも無いけど、親バカかな。」

「まあ、そうだね。」

春斗が応えると、健吾も同調し互いにはにかんだ。

「なにそれ。」

光子も笑った。

「ところで莉奈は?」

健吾はそう言って辺りを見た。

「駆けっこ終わったら御手洗行くって言ってた。」

「そうでしたか、ありがとうございます。」

「戻ってこれるかな?」

「大丈夫でしょ。」

健吾はそう言ったが、光子は心配だった。それというのも、莉奈は健吾のプロデュースもあって、芸能人となっていたからだ。結婚を機に人気は落ち着いていたが、その相手がプロデューサーと言う事もあり、当時は根も葉もない噂が飛び交ったものだった。

「ふぅ。まだ次始まってない?」

莉奈は光子の心配をよそに、平然と戻ってきた。その容貌は時が経っても、若さを保っており人に見られる仕事をしている事が伺えた。

「まだだよ。まあ、次はそもそもうちの子達の順番じゃないけど。」

光子が答えた。

「そうなのね。うーん。だったら我が子に近くで会わせてくれてもいいのに。」

「あはは、そうだね。」

この十余年、莉奈は人に揉まれる業界で過ごし、随分と洗練されていた。それでもこうして時折見せる我儘な所があって、光子はそれが好きだ。そんな友人の姿を見て、彼女は懐かしい気持ちになった。

「私達、幸せになったね。」

光子がふとこぼした言葉。三人は答えるようにくすりと笑う。

「本当ですね。まあ、色々あったけど」

「そうね、色々あったわね。」

健吾と莉奈はそう応えながら、春斗と光子に目を遣った。

「ふふ、ご迷惑をお掛けしました。」

光子はそう言って小さく頭を下げ、春斗と顔を見合わせると、また笑う。

「まあでもさ、これからだよ、結局。それに健吾達だってお囃子で色々あったろ。」

「ははっ、そうだな。」

春斗の言葉に健吾は相槌を打った。そして、四人は遠くに自分達の息子の姿を捉えながら穏やかに目を細めた。

「これからか…。」

健吾はそう言うと一口お茶を飲んだ。

「僕は時々思うんだ。この運動会もさ、子供達にとっては間違いなく大事で、今日という日は特別なんだろうけど。校庭の外を走る車の運転手には何ら関係ないことでさ。」

「それ、何となく分かります。思っている以上に無関心で無関係だって事ですよね。人と人が。」

応えたのは光子だ。

「本当そうよね。お囃子だけは立派なのに。」

莉奈も同調した。

「春斗には悪いけどさ。僕は物語を読む時も思うんだ。どんなに壮絶な物語でも、誰も知らずに終わる事って多いんだろうなって。それはドラマチックだけど、ちっぽけなんだって、それで、そういうこと考えてると。」

「不安になる?」

言葉を続ける健吾に、春斗は割り込んだ。

「流石だな。その通りだよ。」

健吾はため息をついた。

「皆必死で生きてるだろ。悩みの質が浅くても深くても。僕なんかは職業柄、日の目を見ない物語も表現も沢山見るから、尚更よく知ってるつもりさ。だからこそ、自分もこれから忘れられていくんだと思うと、不安になるんだよ。」

健吾の言葉に、皆少し考えさせられた。この校庭にさえ沢山の人が居て、人一人は小さい。いずれ忘れられる人生の価値とは、一体何なのだろうと。

「きっと大丈夫です。」

光子が言った。

「誰だって忘れられてしまうんですよ。私だって子役をやっていた事、もう皆忘れてます。でも、いいんです。今はあの子達が居て、私自身にも沢山、胸を張れることがある。」

「私も大体同じかな。って言うかその不安は贅沢なものよ。私も時々似たような不安を感じるけど。それは沢山の人に支えられている実感があるからだもの。まあ、今貴方からそういうことが聞けたのは、単純に嬉しいけどね。」

莉奈はそう言って、照れ臭そうに笑った。健吾はそれを聞き納得したようで、笑顔を返した。

「贅沢って聞いて、ふと思い出したんだけどさ。」

春斗が口を開いた。

「昔、村中さんが言ってたんだ。大人になるとお金を稼ぐ為に必死にならなきゃいけなくて、忙しいって言って、お金にならないような本質的な事は考えなくなるって。でも、歳を取ると時間ができて、向き合ってこなかった事実だけが残るから、後悔することになるよって。もし本当にそうなら、やっぱり僕らは幸せだなんだろうなって思う。…必死じゃない訳でも、勿論、暇でもないけど、多分、仕事が苦じゃないから考えられるんだ。沢山の人がストレスを解消するための時間を使って。」

春斗の言葉に、各々が頷いていた。

そして皆、理解を深めていた。今、確かに幸せはある。しかしながら、考え続ける事、すなわち労力をかける事を怠れば、忽ちそれが無くなってしまう事についてだ。それは、人が忙しい中で見落としてしまいがちな事でもある。或いは、不満だらけの日々を送っていては気づけない事でもあるだろう。その様な状況では労力を抑えることばかりに目がいってしまうからだ。

幸せな人は、そうでない人に運が良かったなどと嫉妬される事が多い。嫉妬をする人は、沢山の人が同様の不満を抱えているからこそ味方も多く、自分の嫉妬を正当化することさえあるだろう。しかし、その実は本人が幸せとはどういうものか理解出来ておらず。正しく追い求められてない可能性が多いにあるのだ。私たちは時折振り返って、考えなければならない。自分と、自分の幸せについて。


校庭にチャイムが鳴り響いた。応援席に居た子供達が、放送に従って動き始める。無垢な声を上げながら、親の元へ駆ける子もいれば、おどおどした様子で辺りを見回して立ちすくむ子もいた。穏やかな校庭、沢山の人が入り交じって、今日この日は彼らにとってどんな日なのだろう。

きっと、どんなに特別であっても、平凡に過ぎても、世界にとってそれは瑣末事に違いない。だとすれば、人が生きる意味とは、価値とはなんだろうか。その答えを四人は知っていた。

それは苛烈な運命を突きつけられ、波乱万丈の道を行き、お金が干渉することのできない、当人の内面で起こる葛藤と戦う中で、己の人生に与えられた課題と向き合い続けた結果、手にした確信だ。彼等の辿り着いた答え、それは、自分の幸せと向き合うことそのものであり、常にそれを探しながら自らを見つめ、厳しく精査し、歩み続ける事だった。


一陣の風が吹き抜けた。春斗の息子が置いていた赤白帽子が飛んでいき、春斗は慌ててそれを追いかける。校庭、赤白帽子、追う右手、ふと、色んな事が脳裏に過ぎると、いつの間にか校門の外、道路近くまで来ていた。

彼は手にした赤白帽子の埃をはらうと、顔を上げ快晴の空を見る。

「いい天気だなあ。」

そう独りごちた春斗の目には、沢山の光が降り注いでいた。目の前を横切るのは、無関係な人生を運ぶ車達だ。彼はそれを何台か見届けて、観客席へと戻っていった。

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光の中に消えた~Left into lights~ イデぽん @iDeP0N

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