光の中に消えた~Left into lights~⑮

けたたましい金属音の連鎖と一陣の風が通り過ぎた後、少しの静けさを取り戻したホームには、何を伝えるためかわからない時報のような音と、取り留めもない話し声が飛び交っていた。行く先と発着時間を示す電光表示の上には、宛所なく飛んできた鳩が一匹、寂しそうに鳴いている。出勤ラッシュも終わりかけた平日の朝、蒼野春斗と愛咲莉奈は待合のイスに腰掛けて、買ったばかりのお茶を飲み、静かに電車を待っていた。そして暫く経った後、二人は時間つぶしの携帯電話を片付けて、電光表示を確認すると、周囲の人間に合わせるように立ち上がり電車へと乗り込んだのだった。

電車は行先と時間帯もあってのことか、随分と空いていて二人は四人がけの席に向かい合って座った。カタンカタンと心地よい電車の音、どこからか香ってくるコーヒーの匂い、喧騒から離れる車窓の景色が感覚器官を彩る。そんな落ち着いた時間が流れると、二人はすっかりリラックスした様子で、今後のことを考えていた。

「天気、晴れて良かったですね。」

電車が市街地を離れ、乗客の数も減り始めた頃に莉奈はそう言った。

「確かにそうですね。莉奈さんお休み少ないみたいですから。余計に。」

春斗は莉奈の事を気遣って応えた。

「本当に大変よ。やっぱ無理なのかな、病院勤めでお芝居続けるの。」

「うーん、難しそうですよね。夜勤とかもあるでしょうし…本当、すみません。そんな忙しい中、光子を探すこと、手伝って貰って。」

莉奈は大学卒業後、看護師となっていた。新しい環境で覚えることはとても多く。プライベートとの両立に苦戦している。春斗が随分と気を遣うのも、そんな折とあってのことだった。

「ああ、全然大丈夫ですよ。というか私だって彼女を見つけたいんですからね。なんてったって親友だもん。…絶対。それで、早速大学の方で調べてみたんですけどやっぱりダメでした。提出した内定先とは違うところで働いてるみたいです。」

莉奈の言葉を聞いて春斗は心を痛めた。脳裏に浮かぶ手紙。光子の入念なやりように、その表情は曇った。

「もうそこまで調べて下さるなんて、恐縮です。」

「あはは、やめてくださいよ恐縮だなんて、畏まりすぎて笑っちゃいます。」

莉奈はそう言って誘い笑いを入れる。

「ふふっ、助かります。」

春斗は表情を解して言葉を返した。彼は小説家という職業柄か情報の少ない全盲時代の名残か、莉奈の意図を察したのだ。そして言葉を続けた。

「今日で終わるといいですね。」

「そうですね。まあ正直難しいと思うんですけど。」

 春斗の言った「終わるといい」とは、光子の捜索についてのことだ。何せ二人共プライベートの殆どをそれに費やし、もう一ヶ月が経っている。今日これからの予定は、もう少し早くすべきことではあるのだが、そうできなかったのは今日日まで予定が合わなかったからだった。

「んー、そうですよね。電話で簡単に聞けなかった時点で、それは察してます。でも、ちょっとあれかも知れませんが…正直少し楽しみなんですよね。お二人の地元を訪れること自体。」

「…私はなんか変な感じですけどね。」

そう、二人を乗せた電車は光子と莉奈の地元へと向かっていた。そして、これからの予定とは光子の実家で両親に行方を聞くということだ。莉奈は光子の恋人をその実家に連れて行く女性となる訳だから、その違和感は妥当といえた。


「それにしても鈍行一本で済むとは。そう遠くないんですね。」

春斗は少しずつ緑や田畑も見えるようになってきた風景に目をやりながら言った。

「まあ、子供の頃から芸能活動に片足突っ込める地域ってことだからねぇ。」

「成程。納得のいく話です。」

「ま、あんまりいい思い出無いし、正直違う場所に生まれてたらって思うけどね。最近は特に。」

莉奈はそう言うと軽く伸びをした。

「へぇ、何で?」

「…まぁねぇ。確かに色んな経験出来たって言えば聞こえはいいけど。なんだか余計な事に悩まされることになったなあって。思うこともあって。」

「それって…光子のこと?」

春斗の問いに莉奈は戸惑った。そうでは無い、という訳でもなかったからだ。

「うーん。そうでも無いし、そうでもあるかなっ。」

莉奈は開き直って明るく返した。春斗も度量の狭い人間ではないため、特に怒る様子もなく次の言葉を待った。

「なんて言うのかな…。確かに余計な事って言うと悪い言い方になっちゃうけど、私は多分もっと単純に幸せを手に入れられたと思うの。普通に学校生活をして、恋愛をして、今頃結婚を見据えてるようなね。」

「うん。」

「でも、それって何か違うんだ。なにかが欠けてる気がしてしまうの。で、そう思うのは、やっぱ、みっちが居たからだと思う。」

莉奈がそう言うと、春斗は首肯した。その様子から、概ね言いたい事の察しもついたようだった。きっと、彼も中学時代に悩んだような事だ。

「それと私、みっちに幸せになって欲しいの。心の底から。だって、そうじゃないとおかしいでしょ?」

「ええ。」

「みっちは…あの子はいつだって確りとした目標を持って、正しく努力を重ねてた。なのに役者としても、いち中学生としても良くない時期がやってきて、それでも折れなかった。どんなに厳しい時でも、本当に必要な事を探しては努力を怠らなかった。そんな格好良い、私の憧れの人が、幸せになれないなんておかしいよ。だから…。」

「うん。」

「あの子には、絶対私より先に幸せになって欲しいの。それが私の望みで、私の中の道理で、でも、余計な事でもあるでしょ?」

そう言って、莉奈は春斗を見る。

「…そうですね。」

春斗は言った。

「だから、遠慮とか必要無いですからね。私が望んで探す。それが春斗さんの目的でもある。なんて言うのか忘れたけど。今日のこれはそういう事ですから。」

「利害の一致ですね。」

「ああ、それだ!」

莉奈の大きな声に、春斗は人差し指を立てて口元に当てた。

その後二人は少し他愛のない話をして、莉奈は携帯電話に目を落とし、春斗は窓の外に顔を向けた。所々に見える田畑には、まだ収穫には早い麦の穂が青く風になびいていた。

暫くすると、車内に終点を告げるアナウンスが流れた。莉奈が遠慮のない伸びをして、携帯電話を鞄に片付けていると、春斗は先に立ち上がってそれを待った。ドアの開く音がすると、すぐさま車内には誰も居なくなる。ドアの閉まる音がすると、座席には、暖かい陽だまりだけが残されたのだった。


国道を跨いで緩やかな下り坂を行くと、だんだんと目に映る住宅の数が増えていった。更に歩くとY字の三叉路に突き当たり、露天した防火水槽を横目に歩くと、八段程度の階段がふと現れた。それを上ると、より一層住宅街然とした光景が目に映る。そんな、どこか知っているような情景の中を、春斗は莉奈に導かれながら歩いていた。

整然と区画分けされた戸建てが並ぶブロックをいくつか過ぎた角を曲がると、古くからある家がいくつか見える通りに入った。春斗が一件一件表札を確かめていると、莉奈はその中の一つの前で足を止めた。風情のある佇まいをした小さな庭のある家だ。表札には下柳とあった。


二人が暫くの間、インターホンを押すのに躊躇していると、突然大きな窓が開いた。洗濯カゴを持った女性は庭先へと出るなり二人を見つけ、穏やかな笑みを浮かべ会釈した。

「あら、久しぶりねぇ莉奈ちゃん。それと、春斗さんね。先に上がって待ってて貰える?これ、済ませたら行くから。」

声の主は光子の母、友代だった。アポイントメントを取ってあった事もあり、二人のことを慮って出てきたようだ。莉奈は気を遣われたことを察して応えた。

「お久しぶりです友代さん。それ、手伝いますよ。ほら、春斗さんも。」

「うん。…あっ、蒼野春斗です。初めまして。」

莉奈から差し出された洗濯物を受け取りながら、春斗は言った。

「あらどうも、光子の母の友代です。ふふっ、別にいいのよ、先に上がってて貰って。旦那は今仕事に出てるし、とやかく言う人は居ないから。」

友代は心底そう思っているようだ。

「いやいや、じゃあって言って誰も居ない人の家に勝手に上がり込む訳にも行きませんよ。流石に。」

莉奈は笑いながらそう言うと、手持ちの洗濯物を何処に干すのか訊ねる。

「そうね、それはあっちの方かしら。」

友代が答えると、春斗も同様にした。三人は程なくして洗濯物を捌き、友代に案内されながら下柳宅へと招き入れられたのだった。


ごく普通の家。春斗は案内されたテーブルチェアに腰かけ、辺りを見回しながらそう感じていた。冷蔵庫や洗濯機等は数年前に更新されている様だが、トースターやDVDプレイヤー等は古臭く、更に、その隣には時代遅れとも言えるVHSプレイヤーが残っていた。

「お待たせ。」

友代はそう言って二人に麦茶を出した。お盆には友代の昼食も乗っていて、彼女はそれを自分の席へと置いて座った。莉奈が明るく麦茶の礼を述べたので、春斗もそれに続いた。

「なんか悪いわねぇ、ほんとに何もお出し出来なくて。」

友代はそう言いながら、箸立てから箸を取る。

「いえいえ、元よりその予定でしたし。私達もほら、ちゃんと買ってきてますので。」

「そうですよ。寧ろ、ご飯でも食べながら〜だなんて話、自分もついさっき聞かされた時は驚きました。お忙しい中すみません。」

春斗は莉奈の方を見てから、友代に向き直った。

「あはは、ごめんなさい。でも折角休み取って帰省するんだもん。どーしても朝一にしたかったの!」

「うふふ、いいわよ。どうせ何時もは一人だから賑やかしくて嬉しいもの。ところで莉奈ちゃんはこの後実家に寄るの?」

「いや、明日仕事なんで帰ります。ちょっと離れてますし、来るのにこれだけかかってますから。」

「そう?折角だし…用件も知ってるから早く切り上げたっていいのよ?」

「大丈夫です。それよりも未来のみっちの旦那さんと沢山話して下さい。ふふっ。」

そう言って、莉奈は誘い笑いをした。

「ふふっ、じゃあそうしようかしら。」

友代は応えて春斗を見た。

「照れ臭いですけど、否定はしませんよ。それに、今日聞きたいことは沢山ありますから、話題には事欠きませんし。」

「そう、それなら助かるわ。」

友代はそう応えて微笑んだ。振り子時計の音が耳に入ると、莉奈がまだご飯に手をつけられていないことに気づく。

「取り敢えずお昼食べません?あ!いただきますしなきゃ!」

「そうですね。」

「そうね。」

莉奈の言葉にうなづく友代と春斗。間もなくして両手を胸の前で合わせる。

「いただきます。」

こうして、三人は各々のお昼ご飯に手をつけながら他愛の無い雑談を始めたのだった。


それ程経たずして、雑談という雑談の話題は底を突いた。否、触れずして進んだ話題に触れれば沢山あるのだが、皆どことなくそれを避けていた。きっと探し物と言うのは、まだ見つかりそうな場所がある時、本当の探し物では無いのだろう。そして今は正に、それを本当の探し物へと変えてしまう時だった。

しかし、どんなに誤魔化しても、失せ物の程度が財布や家の鍵に等しいとあっては、有耶無耶にはできないものだ。

それを分かっていた男は、漸く今日の本題を口にする。

「あの、友代さん。」

「何?」

「いや、今日ここに来た理由についてなんですけども。そろそろお伺いしてもいいですかねって…思って。」

「そうね。大丈夫よ。」

友代は微笑んだ。春斗も微笑んで空気を強ばらせないようにした。

「光子、…あ、いや光子さんの事なんですけど。今彼女がどこで何をしているか…ご存知でしょうか?」

「ふふっ、呼び捨てにしていいのよ。あの子も喜ぶから。」

「ああ、はい。すいません。」

「…それでね。その事なんだけど…私からは答えられないの。」

春斗が友代の答えを噛み砕き、どうして。と問うより早く、莉奈が口を開いた。

「それって、居場所自体は知っているってことですか?」

「そうね。」

「えっと…電話の時は私も仕事がありましたからあまり深く聞けなかったんですけど、どうして教えて貰えないんですか?」

「それは、うーんと。」

友代は何か理由があるような素振りを見せるが、莉奈はそれにやきもきとした。

「その、みっちの幸せは、…それは私達が勝手に決めるものじゃないかもしれませんけど…私は二人がこのまま終わるのはおかしいと思います。お願いなのでみっちの居場所を教えてください。今のあの子は孤独で、絶対に幸せじゃないはずです!友代さんも何となくそう感じてるんじゃないですか?」

「それは、まあ…。」

「でしたら!」

莉奈は語気を強く押した。友代は困った顔をして、言葉を探していたようだった。その様子を見ていた春斗は友代の助けに入る。

「莉奈さん、気持ちは嬉しいんですけど、友代さん困ってますよ。もう少し落ち着いて…。」

春斗がそう言うも、莉奈は間髪入れない。

「私だって友達だから!」

悲しい声色だった。

時計の音が聞こえた。莉奈が怒っている訳では無いと、春斗も友代も分かっていたから、沈黙せざるを得なかった。暫しの間を置いて、会話を再開させたのは春斗だった。

「その、友代さん。居場所を教えてくれない事に関しては事情があるのだと思います。一先ずそちらを話して頂けますか?勿論無理強いはしません。」

「ありがとう。事情自体は難しい話じゃないの、ただの約束。貴方たちが来ても居場所を教えないでほしいという。あの子との。」

そう答えると、莉奈は少しムスッとしたようだった。それを見て友代は、すぐに言葉を続けた。

「まず分かって欲しいのは、仮に私が約束を破った場合の話。確かに貴方達が嘘をついて、私から聞かなかったことにすれば、事は早々に解決すると、私も思う。でも、本当に嘘をつき続けられる?」

友代の言葉を聞き、莉奈は未だ納得がいかないようだったが、春斗は思案顔をした。

「あの子が鋭い。そういうこともあるんだけど、単純に難しいのよ、嘘をつき続けるのは。それでも嘘がバレる頃には、なんとかなっているのかもしれないけれど。…うーん。どう言ったらいいのか分からないけど、分かって頂けないかしら。」

友代はそう言うと春斗の方を見た。春斗は納得した様子で首肯をしていた。

「分かります。ずっと一緒に居たい相手に隠し事をするのは難しいってことですよね。顔を合わせる度後ろめたさを感じるのは、僕も嫌ですし…。」

春斗が次の言葉を探していると、その間に莉奈が割り込んだ。

「だったら、私が居場所を聞いて春斗さんに教えるのはありなんじゃない。」

「それは莉奈さんと光子さんの関係が壊れるでしょ。」

「それでもいいって言ったら。」

春斗は答えに詰まった。束の間の静寂だ。仮にそうした場合、光子は莉奈の真意を汲むだろう。つまり、光子と莉奈の仲もおそらく悪くならないだろうということだ。すると光子、莉奈、春斗の三者間では問題が無くなる。その事実に、一瞬だけ春斗も冷静ではなくなった。

「いやいや、そうしたら私が約束を破っただけのことになるじゃない。」

冗談めいた口調で友代がそう言うと、春斗の目は覚めた。

「そうでしたね。」

春斗は誤魔化すようにはにかんだ。

「約束を破ると光子はやはり怒りますか。…あ、いや、これは程度によって無理に聞き出そうとかではなく、単純に興味で。」

「そりゃあ怒るわよ。約束をする時に決めた話だと私、勘当されちゃうわね。」

「勘当…、それは厳しいですね。簡単に聞き出そうとして申し訳なかったです。」

春斗はそう言ってお茶に手を伸ばした。

「…ちょっと気になるんですけど。どうして約束なんてせずに止めようと思わなかったんですか?正直、あの子の今の居場所次第では、失踪するなんて友代さんから見ても勝手なのではと思います。その上、彼女の恋人付き合いまでも終わるような約束をした理由がよく分かりません。」

莉奈は友代に問いかけた。それは遠慮がちな春斗の盲点となっていたが、極めて妥当な質問だ。

「…それは、あの子が初めて、私を頼ってくれたからよ。恥ずかしい話だけれど、あの子が私達親を頼ることは今までなかったし…。それと罪滅ぼしでもあるかしら。」

「罪滅ぼし…ですか?」

「そう。あなた達って成人式出なかったでしょ?」

「まあ、用事がありましたから…。」

「誤魔化さなくてもいいわよ。狭い町だからかねえ。偶然成人式の集まりとすれ違って聞いちゃったの。二人とも保健室登校をしてたらしいじゃない。」

「あっ。」

「ふふっ、嘘をつき通すってやっばり難しいわね。」

そう言うと友代は一息ついた。

「まあいいのよ。済んでしまったことだから、今更何も出来ないじゃない。残念なのは、いじめた側もそう済ませているかもしれないことくらい。ただ、私には確かな負い目がある。傷ついていた筈のあの子に何もしてあげられなかったことの。だから、あの子が初めて助けて欲しいと言ったこと、それに協力してあげたいって思ったの。」

「友代さん…。」

莉奈は事情を概ね理解したようだった。

けれども納得はできなかった。そして彼女は、光子がどうして簡単に幸せな結末へと進んで行けないのか、その因果に思考を巡らせる。

「ふふ、分かりました。納得、という訳じゃないんですけど。ちょっと安心しました。」

「安心?」

友代が問う。

「本当はみっちも手のかかる子供なんだって、今更気づいたんです。いじめとか、理不尽な扱いと真正面から向き合える。そんな強い人だったから、なかなか気づきませんでした。きっと自分の幸せと上手く向き合えない人なんですよね。」

そう言いながら、莉奈は光子が春斗と出会った頃にした会話を思い返していた。幸せを掴むには心構えが必要、そう伝えたことが確かにあった。

「ふふ、そうかもしれないわね。」

友代は莉奈の言葉に頷いた。

「ね、貴方には申し訳ないけれど、あの子のことを想い続けてくれるなら…ちょっとだけ遠回りをしてくれないかしら。」

友代の言葉に春斗はこくりと頷く。

「あの子は自分を客観視する事が出来る子。いえ、寧ろそれが人一倍上手な子。だから気づくはずなの。今自分のしていることが自分の人生にとって良くないことだって。…でもあの子、決めた事はやり通しちゃうから。だからね。私の行動も矛盾してしまうのだけど。諦めず。あの子を探してあげて欲しいの。」

友代は言った。正直、都合のいい話だった。春斗という男は引く手数多で、自分をこっぴどく振ろうとする醜女など、遠くから見れば相手にする必要は無い。それでも。

「分かりました。」

彼は躊躇いなく応えた。それは清々しいほど真っ直ぐで、不満も迷いも微塵感じられない声だった。きっと、その源は愛だ。

「ありがとう。」

彼の言葉を聞いた友代は、心底安心したようだった。

莉奈は二人の様子を見て、今後の多忙を案じ呆れ笑いをした後、ため息をつく。

「あーあ、少しは私のことも考えて欲しいなあ〜。」

莉奈が冗談っぽく言うと、三人は笑った。

「あの、折角なんで友代さんから見た光子さんの話がもっと聞きたいです。」

「うふふ、勿論いいわよ。」

友代は穏やかに応えた。

「あっ、そうだ。あの子が昔出てたドラマでも観ましょうよ。」「それ良いですねえ!」

「僕も観たいです。あ、でもちょっと光子に悪いかも…。」

「良いじゃない。ちょっとした迷惑料くらい頂いたって問題ないわ。何より悪口を言うでもないでしょう?」

「そうですね。」

春斗はそう言ってはにかんだ。

居場所の件が片付き、テーブルには光子の話題だけが増えて、三人の会話は一層盛り上がりを増していった。友代がとうに食べ終わったお昼ご飯の食器を片付けお茶と茶菓子を用意して、お気に入りのビデオテープを再生すると、テレビには幼く、愛嬌のある光子が映る。あっという間に、三人は彼女の演技とは思えない演技に心を揺さぶられていった。そして、語らいながら春斗は思う。確かな才能と実力を否定する。しかしながら、支配することの出来ない美醜の不思議のことを。歯がゆい思いと共に、彼は一層、光子への愛を固くしたのだった。

 

夕刻、茜色の西陽が庭先に差していた。

「今日はわざわざありがとうね。結局私の話し相手になってもらっただけで…。」

玄関先、靴を履く二人に友代は声をかけた。

「いえいえ、とても有意義でしたよ。光子のこと色々聞けましたし。」

「私は懐かしかったくらいだけど。…まあ楽しかったから良かったです。ふふ。」

春斗と莉奈は友代の方を向き、笑顔で応えた。

「また来ますよ。今度は…その、ご挨拶に。」

春斗は靴紐を締めて立ち上がる。

「そうね。その時は私も旦那と一緒に待ってます。」

友代は春斗に言った。その表情はとても穏やかだった。

「帰りましょう。春斗さん。」

莉奈が扉を開けると、ひぐらしの鳴き声が聞こえて、それはオレンジ色の風景と合わさり郷愁的な情景だ。

「うん。」

それは、今だからこそ視えるものだった。

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