光の中へ消えた~Left into lights~⑦

だんだんと秋も深まり、木枯らしが巻き上げる落ち葉達は、かさかさと乾いた音を鳴らしていた。いつの間にかひぐらしに取って代わっていた鈴虫の鳴く声さえも、聞こえなくなって久しい。街中には、少し気の早いイルミネーションもちらほらと顔を出し始めており、もうそんな時期かと思えば、電気屋のテレビ番組は紅葉の見頃を伝えていて、どうともつかない風景を生み出していた。肌を撫でる空気は少し乾燥している。そこに収まりきらない吐息は白くなり、人々に寒さと生の実感を覚えさせていた。

「さっむーい!」

弾みのある高い声。端整な顔立ちをした声の主は、莉奈だ。

ホットパンツに背の高いブーツ、その間に見せる柔肌のコントラストは控えめに記しても扇情的で、すれ違う男の目を引いていた。

「そんな格好してるからだよ。」

そう応えた声は、光子のものだった。そのファッションは露出がほとんど無く、季節の冷え込みに確り対応する機能性重視のものだが、莉奈のそれを邪魔しない程度の体裁を整えていた。二人を後ろから見れば、紛うことなき華の女子大生の組なのだが、前から見ると大きな差があった。それは顔だ。誰一人として選んで生まれてくることの出来ない要素だが、確実にその人生に影響する顔立ち。莉奈の端整なそれと比べると、光子の顔は際立って醜くかった。

「ふっふっふ、分かってないなあ、みっち殿。これはデマンド&サプライなんだよ。いや、ノブレス・オブリージュ…美少女に生まれた者の義務というやつだね!」

「成程ね。でも悪戯にサプライしたところで最後は一人しか相手にできないんだから、やっぱり危ないよ。体冷やしたら体調だって崩れるし。それと、私に向けてそれを言うのはちょっと酷くない?」

光子は怒っているというより、呆れている様子で言い放った。

「もしかして、怒ってる?」

莉奈はそう言って無邪気に微笑みかける。

「分かってるなら聞かないの。…まあ、莉奈じゃなかったら足でも踏んでたかな。」

「おお、おっかない。」

二人は軽妙なやり取りを交わしながら、冷たく乾いた風が吹く中、時折赤茶けた葉っぱをくしゃりと鳴らして、駅へと向かって歩いていった。

「しかし、最後は一人にしかサプライできない… か、流石に愛の供給先が居らっしゃるお方は、言うことが違いますなあ…。」

莉奈は光子を肘で小突きながら言った。これ以上ないニヤケ顔から自らの小っ恥ずかしい持論を復唱されると、流石の光子も恥ずかしくなった。

「やめなさいよ…。」

光子の反応に嗜虐心を煽られた莉奈は、調子に乗ってその後も様々に囃し立てた。しかし、いよいよというところで、光子の腕は機嫌を悪くした猫の尻尾のよう素早く、莉奈の上腕を引っぱたいた。

「いったぁ!」

少し大袈裟に反応する莉奈に見向きもしない光子、普通なら険悪になりかねないところだが、二人にとってこれはいつものペースだ。

「怒ってないって言ったじゃん!」

莉奈は愛らしく頬を膨らませた。

「聞かれた時はね。」

光子はそう返して、クスクスと笑いかけた。連られて莉奈も表情を崩し、二人を穏やかな雰囲気が包む。そして、寒さなどはとうに忘れた様子で暫く歩き、駅へと入っていった。


「楽しみだね。」

無機質な音とホイッスルの音が響く中、二人が電車を待っていると、莉奈が口を開いた。

「今日?」

「うん。」

「まあ、そうだけど。割りと頻繁に会えてるからそれなりかな。」

「あちゃあ、隙あらば惚気か。」

あの告白から約一ヶ月、光子と春斗はより互いのことを深く知ろうと、それぞれの過去を語り合うことに決めていた。そのため今日は光子が春斗の家にお邪魔することになっていたのだ。ただ、春斗は盲目の小説家であるゆえに、半ば同棲している男性マネージャーが居て、今日も一日一緒にいるとのことだった。今ここに莉奈が居るのは、一つ屋根の下で男と二対一になる光子を心配してのことである。ただ、実のところは莉奈の方が男を魅了して寧ろ危ないのだが、そこは莉奈が半分建前の心配と、好奇心で押し切って、強行的に帯同していた。

「私は楽しみだよ、やっとみっちに幸福が巡ってきたんだもん。」

「ありがと。」

光子の礼を聞いた時、莉奈は珍しく、刹那暗い表情を浮かべたが、光子はそれを見ていなかった。そして轟音と共に電車が到着し、二人はそれへと乗り込んだのだった。

沢山の足が交錯したホームは、ややもすると静けさを取り戻した。その様子は人の営みが忙しく、瞬間的なものである事を伝えているようだった。


ワイシャツにスーツのズボン姿で、洗面台の前に居座る男。整髪剤を適量手に取り、髪の毛を整えている。リビングルームの机には彼が用意した朝食の皿だけが残っており、もう一人の男が傍らで点字を打っていた。その表情はほんの少しだけ口角が上がっているように見える。

「健吾!俺も歯磨きたいんだけど!」

「んぁー!ちょっと待ってってば!」

健吾と呼ばれた男は、焦った様子で応えた。

「慣れないことするからだよ。」

点字を打っていた男、青野春斗はそう言って立ち上がり、クスクスと笑いながら脱衣場の方へと向かった。

「いや、しかしだな。お前の彼女が来るんだろ?…そしたら自分も見られるわけじゃん。知り合いもその人となりを構成する大事な要素、だらしない知り合いがいるってなると評判はがた落ちだ。つまり、僕は仕方なくお洒落してるってことだよ。一応仕事で来てるし。」

春斗の担当、坂口健吾は少々おどけた節回しでそう語った。

「それはそれは、お気遣いありがとうございます。」

春斗は調子の良い奴だと思いながら答え、壁のある位置を探してもたれかかった。無論、健吾がお洒落をしているのは先の理由だけではない。春斗の彼女以外にもう一人女子大生が来ると聞いたからだ。しばらくの間、洗面台でしきりに水を出したり止めたりする音が響くと、タオルかけが壁にカツカツと接触する音が続いた。

「うーん、一応終わったぞ。」

健吾は髪の毛をくりくりと弄りながら脱衣場を出た。

「扉、空いてるからそのまま前な。とりあえず僕はお皿洗うから。ここからの声は多分何も聞こえないぞ。」

「わかったよ。」

春斗は気を配る健吾のことを有難くも、面倒くさくも思いながら応え、脱衣場に入った。

健吾は洗い物をしながら、改めて部屋を眺めていた。駅近くの比較的広いマンション、見晴らしも良く、ここに住めることは春斗の文才を思わせる。そんな中、彼は春斗と歩んだこれまでのことを思い返し、独りごちた。

「お互いの歴史か…。」

健吾は洗い物を捌きながらクスリと笑った。今日の話題を聞かされた時、使われた独特の表現は二人の物だ。健吾はそこに二人がお似合いのカップルであることを見出し、我が事のように嬉しい気持ちになっていた。そのせいか洗い物は捗り、脱衣場の扉が閉まる音が聞こえる頃には、シンクまで綺麗に片付け終えていた。

「早いな。」

「まあ、歯を磨くだけだからな。」

リビングのソファに座り込む春斗。

「十五分はかけて磨かないと、虫歯になるぞ。」

健吾はそう言って笑いかけた。

「楽しそうじゃん。」

春斗は点字を打ちながら、興味なさげに問いかける。

「楽しいよ、お前と居ると。」

健吾は、春斗にそう答えながら、その隣に座った。

「早く来ないかなあ…。」

健吾の一言は朝の静けさに溶けて、部屋にはほんの小さな点字を打つだけが響いていた。


二人が穏やかな気持ちでくつろいでいると、静寂を破ってインターフォンの音が鳴った。そうはいっても訪問者はドアの向こうにいるという訳では無い。ここは二重オートロックのマンション、訪問者が今居るのは入口の自動ドア付近だ。至極当然ではあるが家主の春斗がこれに応じた。

「はい、蒼野です。」

「あっ、下柳です。おはようございます。」

春斗は光子を確認すると、一階の自動ドアを開ける。

「入って、部屋まで来たらまた宜しく。」

春斗がそう言うと、直ぐにモニタは切れた。

「凄いねぇ。」

感心したように声を上げたのは莉奈だった。光子は初めて訪れる彼の家が存外豪華なことにまだ驚いている様子で、きょろきょろと周りを見回していた。彼女は偶に春斗の著書が書店で平積みになっているのを見かており、人気の作家だと思っていたのだが、小説でこれだけの生活をしているとは思いもしていなかった。

「エレベーター、来たよ。」

莉奈の声を聞いてハッとする光子。こくりと頷いてそれに乗り込む。光子は、ここまで凄い人だと知らずに近づいた春斗の高いステイタスをその身に感じ、今更ながら緊張感を覚えていた。


一方、春斗の部屋では健吾の方がそわそわしていた。

「なあ、もうすぐか?」

「そうだな。」

ティーセットと茶菓子をテーブルに並べながら問う健吾に、ゆったりと答える春斗。それは何となく光子と莉奈の二人組とは対照的に思えた。

「俺が迎え入れるから、リビングで待ってて。」

「了解。」

健吾は春斗に応えながら、茶菓子を置いたテーブルの椅子を引いて座る。そして間もなく、二度目のインターフォンが鳴った。

「ごめんください、蒼野さんのお宅ですか?光子ですけど。」

玄関先に居た春斗は扉越しに小さくなった声を直接聞いた。それは幸いだった。考えてもみれば、玄関でインターフォンを取ることは出来ない。春斗はそんな自身のうっかりに思わず笑みを零し、そしてその笑顔そのまま、扉を開けた。

「光子さん、それから…莉奈さんでいいのかな?いらっしゃい。どうぞ上がってください。」

「おはようございます。えっと、お邪魔します。」

「あ、おはようございます。…と、はじめまして。あとお邪魔します。」

光子と莉奈は挨拶をして、部屋の中に入った。そして、春斗に導かれ三人はリビングへと進んだ。

「健吾。」

リビングに入る前に、春斗はそう言った。玄関から近づく声が聞こえていたのだろう、健吾はテーブル脇に背筋を伸ばして立っていた。そして、二人が視界に入ると、彼は丁寧にお辞儀をした。

「おはようございます。春斗の友人兼担当の坂口健吾と申します。」

顔を上げるとともに、健吾は丁寧な挨拶をした。だが、丁寧さが裏目となったのか、二人は上手く反応できず部屋は刹那、静寂に包まれる。

「あっはは!」

数秒後、そんな雰囲気に堪えかねた春斗が笑った。

「なっ!笑うなよ!」

「いやだって、おかしいんだもの。いつもと全然違うしさ。それにそんな風にするものだから二人が緊張しちゃっただろ?いいんだよ、いつも通りで。」

「はあ、僕一応社会人なんで、いつもどおりはこれなんですけど、失敬だな。」

 健吾が子供のように拗ねて返すと、そのやり取りを見た光子と莉奈の緊張は解けていった。

「ごめんって。…二人とも、彼が親友の坂口健吾。」

 春斗はそう言うと、床を鳴らし、一歩引いて間を作る。

「おはようございます、下柳光子です。」

「私は愛咲莉奈と申します。」

その意図を察した光子と莉奈は、健吾に挨拶を返した。

こうして、マンションの一室に集った四人。彼らはそれぞれの昔話を種に、お茶会を始めるのだった。

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