第二十三話 血の契り

 

 

 

 翌日の朝。ゼノは自分の部屋のドアの前に来た気配に起こされる。

 

 ゼノは、旧教会から帰ってからベッドに吸い込まれるように身を投げ出し、そのまま眠った。やはり聖剣などという業物を・・・・・・いや、神器を落ちこぼれとさえ言われる彼の身で扱うには身に余る力の行使――それは精神的なものなのか、肉体からくるものなのか分からないが――が必要だったようで、自身が思うよりもひどく疲れていたようだ。

 

 だが、ゼノは心の中ではその疲れよりも、彼女と・・・クラルスと過ごしたほんの少しの時間が、この十年間の中で最も安らぎを与えてくれたように感じたのだった。

 

 次の朝、彼がベッドから体を起こし、外を見ればまだ日が昇ったばかりの朝だった。彼自身はまだ昨日の心地よい心のままに惰眠を貪っていたかったのだが、起きた理由があった。

 

 彼が見つめる視線の先、それは自分の部屋と外を唯一繋ぐドア。その前に人の気配がある。

 

 彼の部屋は寮にある。なら、他にも男子生徒がいるわけで、彼のドアの前を誰かが通るのは当たり前で、人の気配がするのは別に不思議なことじゃない。

 

 だが、今彼が睨む先のドアの前にいるであろう気配は、故意に彼の部屋のドアの前で立っているのだ。やがて、ドアの前にいた気配が去っていく。まるで、ゼノが起きるのを待っていたかのように。

 

(なんだ?)

 

 ゼノはドアに近づき、開けるとそこには棒状の包みと手紙がおいてあった。手紙を開き、綺麗な文字に丁寧に書かれた文面を読む。

 

『そこにある包みを持って教会まで来い』

 

 ただその一言が書かれていた。ゼノは包みを解き、中身を確認する。中身は鞘がなく、剣だけのアグルムだった。

 

 手紙の文面と、剣だけのアルグム。それだけで、ゼノは誰が、自分に何を伝えたいのか、何を考え、何を自分に求めているのかを理解した。

 

「……あいつ」

 

 ゼノはすぐに制服に着替え、アグルムを持って教会へと向かう。

 

 ただの教会とかかれていたので、おそらく昨日行った旧教会とは違い、指定されているのは新設された、綺麗な建物で中も広い教会だ。

 

 ゼノは教会の大きな扉を両手で開き、中へ入る。木造の建造物の中で、大きな戸が開く気がきしむような音がやけに響いて聞こえる。

 中に入ると、奥の祭壇に大きな剣を右手に持ち、背後に六本の剣を従える女神の像がある。

 

 アルビオン国での宗教は自由ではある。だが、アルビオン国特殊で神ではなく、ある人物を祭っている。このアルビオン国のいしずえとなった騎士『ウィルウェニス・アルブ・オルグランド』だ。

 

 アルビオン国の伝説として称えられ崇められている人物であり、ゼノが今手にしている包みの中身である聖炎のアルグムを最初に神から与えられた剣聖。彼女がこの国において・・・・・・いや、騎士の世界においては剣の神。騎士の中の騎士。忠義と高潔と剣を司る騎士の女神として崇められているのだ。

 

 歴史上で、人間で神と等しく・・・・・・騎士からすれば神以上に崇拝されている存在は彼女ただ一人だろう。

 

 その像の前で一人の女子生徒がこちらに背中を見せる形でウィルウェニス像に向かい祈りをささげていた。その姿を見ただけで、ゼノの全身に鳥肌がおき、緊張が走る。

 

 ただ、静寂が支配する教会の中で佇む彼女の後姿は、まるで、パイプオルガンの壮大で神聖な曲が流れているような、そんな壮大な場の空気にのまれてしまう。

 

 バタンッ。

 

 ゼノは教会の扉を閉じる。想像以上に響く扉の音に少しびっくりしつつ、彼女のもとへ行くこともなく、その場に立ち止まる。

 

 すると女子生徒がゆっくりとこちらに振り向き、立ち上がる。

 

 クラルス・アル・フィーリオ。彼女の腰には鞘姫の由来となった剣を失った、いつも学校で見ていた時よりも美しくなった鞘が挿っている。

 

 入り口の大扉の前で立つゼノを見つめる彼女の顔は昨日の夜、最後に見せてくれた年相応の少女らしさはなく、高貴なる者の目、真剣そのものであった。

 

 なるほど、既に始まっているということらしい。

 ゼノは深呼吸をする。

 

 そして、そんなゼノの様子を見て、タイミングを見計らったかのようにクラルスが口を開ける。

 

「我が名は、アルビオン国第一王女、クラルス・フィーリオである」

「はっ!」

 

 ゼノは右膝を突き、頭を下げる。

 

「名を名乗ることを許す。名も無き騎士よ」

 

(騎士? ・・・・・・!)


 ゼノは自分が思っていたこととは違うことを彼女は求めているのだと気づいた。てっきり出会いをやり直したいと、そう言っているのだと思ったのだ。そこで、あの約束への答えをあらためて出してくれるのだと。


 だが、違う。既に、応えてくれている。ならば、答えよう。


「はっ、私の名はゼノ・と申します」


     ◆


「っ・・・・・・頭を上げよ」

 

 自分の言葉に、ゼノはゆっくり顔を上げる。

 

(やはり、な)

 

 クラルスはゼノの名前を聞き、納得がいった。きっとそうではないかと彼女も気づいていた。このアルビオン国内でアルビオン聖騎士学校内にまで手が届く影響力を持つ人間。そして、王族である彼女個人が閲覧するであろう情報にも手を加えていたのなら、ゼノとクラルスの関係性をある程度予想していたことになる。

 

 そして、まだ公にされていない先日の旧教会での事件。おそらく、彼が止めているのであろう。学校の校長であり、アルビオン国の聖騎士団長ラザス・バレリア・ヴァルフェル。

 

 とんでもない人間が出てきたものだ、とクラルスは内心苦笑する。

 だが、今は誰が彼の後ろに居ようが関係ない。いや、むしろ面白い。世界は、なんと不思議な縁が蜘蛛の巣の様に張り巡らされているのだろうか。今は、誓いの続きを進める。

 

「我が前に」

 

 ゼノは静かに立ち上がるとゆっくりと彼女の元へと近づき、数歩手前で膝を突く。

 

「ゼノ・バレリア・ヴァルフェルに問う。貴様は何のためにここに来た」

 

 クラルスは堂々とした振る舞いで、そして、女性らしさよりもやや低めの威厳のある声でゼノに問いかける。

 

「はっ」

 

 ゼノは、跪きながら、持っていた剣を両手の手のひらに載せて、彼女に差し出す。

 

「ここに、この剣に誓った十年前の約束を果たしに、参りました」

 

 ゼノは剣の剣先を自分の心臓の上に向け、クラルスの方に柄が向くように持つ。

 

「私を貴方様の、クラルス・アル・フィーリオ様の……騎士にしてください」

 

 クラルスはそれをしばらく見つめた後、教会の檀上から降りてきて、ゼノの前に立ち、彼女は静かに、ゆっくりと、丁寧に、そしてしっかりとアルグムを握る。

 

――ザザッ


 ゼノの頭にノイズが走る。

 

 ―――その瞬間。ゼノの頭に、見たことのない景色が浮かび上がる。

 

 この場所で、ここと似たような場所で、かつて一人の騎士ともう一人の誰かが今のゼノとクラルスのような、同じことをしていた。

 

 膝ま着いて剣をささげている騎士は、美しい女騎士だ。

 長い黒髪の後ろ姿。体つきは甲冑を着ているというのに、女性らしい線の細さがわかる。顔はハッキリとは確認できないが、ただ、美しく優しい人・・・そんな雰囲気を醸し出している。

 

――ズザザッ


 再びノイズが走りもう一人の誰かに視点を当てる。

 

 もう一人の誰かは、そんな女騎士に剣を捧げられているのは、背が高く、筋骨隆々な体つきであり、床につきそうなまでに伸びた長い灰色の髪をした男。こちらも顔がはっきりとは認識できないが、きっとその髪に似合う美しい男であり、とても優しそうで、きっと笑顔が絶えないような人・・・・・・なぜかそう思わせる雰囲気だ。

 

 周りは何もなく、ただその二人がいるという記憶だけが切り取られたかのような記憶。

 

 ただ、ゼノはそれを見て・・・・・・。

 

 それを見て・・・・・・。

 

 

 

「っ!」

 

 ゼノは頭を振り、ノイズを振り払いすぐさま儀式の続きを行う。空いた両手の左手を左ひざの上に、右手を地面につける。

 

 これより行われるのはクラルスとゼノの間で結ぶ仮初の契約。学校の生徒同士としてのペア決めにしては本来の騎士の叙任、任命式にのっとっているようだが、そこは彼女なりのこだわりなのだろう。

 

 クラルスは握ったアルグムをもったまま口を開く。

 

「我の騎士になるということ。それすなわちアルビオン国の盾と剣になるということである。アルビオン国のすべての民の為、そして王家の為にその全てを捧げるということである。貴様に、その覚悟はあるか!」

「はっ!この命果てるまで尽くすことを誓います」

 

――汝、剣神が定めし騎士道とまた校の教えを信じ、主の命令に服従を誓うか


――汝、弱き者を守る盾、かの者達の守護者となるか、かの者達のため敵を前にして退かぬと誓うか


――汝、邪悪なる神と、その僕に対し、容赦せず戦い武勇を示すと誓うか


――汝、いついかなる時も、善の味方となり、不正と悪に立ち向かうと誓うか

 

 全てに『はい』とゼノは答えていく。そして最後の近い。それはすべての宣誓に対する、あらためて宣誓の一文が来る。もちろん、この問いに誓います、で終わりだが・・・・・・。

 

「汝、私に全てを・・・・・・捧げられるか」

「――――誓います」

 

 クラルスはアルグムを鞘から抜き始め、教会を暖かい光が支配する。光が収まると、クラルスはアルグムの剣を持ち上げ、そのままゼノの両肩に片方ずつ剣を置いていく。

 

 そして、クラルスは剣で自分の手を軽く斬る。彼女の手から紅い血が零れ落ちる。

 

「我が血と魂をその身に宿せ」

 

 そう言ってクラルスは血が滴る手をゼノの顔の前にまで出す。だが、今まで順調に事が進んでいたというのに、それをみた瞬間にゼノの表情に驚きが浮かぶ。

 

「おい、それは・・・・・・」

 

 ゼノはクラルスの差し出された手に流れている血を飲むのに躊躇する。血を飲む。つまりは、その人間の体に流れている血を自身の体に入れる、その一部とする。

 

 それすなわち、主と騎士の血の盟約。肉体も、血も、心も、魂をも結びつける盟約。どちらかが死ぬまで、主が騎士を捨てる時以外に常に二人を結びつける絶対の鎖であり、絆。

 

 確かにゼノは騎士になるといったが、これはあくまでも仮初。本当に血の盟約を交わしていいのは、学校を卒業し、本当の騎士と認められた時のみ。また、国に仕える騎士ではなく、彼女個人の守護騎士になるということだ。

 

 それでは本当の・・・・・・。

 

「私の・・・・・・騎士になってくれるのだろう?」

 

 クラルスは挑戦的な、またはこちらを試しているかのような眼をして、ゼノに静かに、そして重くそう囁いた。だが、どこか憂いを、甘えるような普段の彼女からは感じられる穏やかな声音。

 

 断るべきだ。確かにゼノはクラルスの騎士になることを夢にまで見て、ここまで来た。それが叶うのは確かに嬉しいことだ。だが、正道ではない。正しい手順をすっ飛ばしている。彼女は王族だ。そうやすやすとどこの馬の骨とも知らぬ人間を守護騎士に任命してはならないのだ。

 

 だが、今の彼女の申し出を断るとき、何かが壊れる気がした。もう、二度と今の彼女と会えなくなるような、そんな何かを感じさせた。だからゼノは、

 

「お前がそれを望むなら・・・・・・」

 

(いいだろう、飲んで見せる。期待に応えて見せる。約束を、果たす)

 

 そして、ゼノはその手を掴み、クラルスの手から零れ落ちる一滴の血に口付けするように口の中に含む。

 

 甘く、濃厚で、さらりとした鉄のような味が口の中に広がる。ゆっくりと、味わい、飲み込んだ。その血のすべてが体に染み渡るように。ゼノはゆっくりとクラルスの手を離す。

 

「我、アルビオン国第一王女、クラルス・アル・フィーリオは、汝、ゼノ・バレリア・ヴァルフェルを我が騎士に任命す」

「はい、我が主よ」

「では、約定を司る神と、ウィルウェニス・アルブ・オルグランド様の前で誓おう」

 

 ゼノはクラルスに合わせて、そしてクラルスもゼノに合わせて息を吸う。

  

――ここに、血の盟約を結ぶ

 

 そう叫んだ二人の体を暖かな光が幾重にも包み込んだ。それはまるで、二人が盟約によって結ばれることを神々が祝福しているかのようだった。

 

 

 

**************

血の盟約

 

騎士、またはその関係者が騎士を叙任、任命する際に行う中でも、約定の神に証人となってもらう最も上位の固い誓い。

騎士にとっては、主が全てとなり、全てを捧げる。そして主はそんな騎士に報いらねばならない。

どちらかが死ぬまで消える事はなく、盟約を結んだ主従はお互いの位置が感覚的に感じるようになり、互いの絆の深さによってさらに力を増すことになる、と言われている。

血の盟約での誓いは絶対であり、当初は悪用され、誓いを立てた者が奴隷の様に一方的に酷使されることもあったため、その時代に約定を司る神が誓いを承認することで認められるという。


 

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