第二十一話 二人の逃避行

「クラルス、今日俺がここに来たのはアルグムを返しに来ただけじゃない。俺はお前との約束を果たしに来たんだ・・・・・・」


 ゼノはそう言うと、彼女の前に改めて跪く。


「約束か…………」


 目の前で跪くゼノの頭を見ながら、クラルスは静かに呟いた。


 彼女の中で、十年前にゼノと交わした約束が今、果たしてどれだけの価値があるのだろうか……。しかし、彼女はまだ自分を覚えていた。覚えていてくれていた。


 ゼノはそこに可能性がまだ残っていたのだと感じた。


「確かに、私はお前と約束した……。だが、あの時はまだ小さかった。小さいころの約束を鵜のみにしているのか?ゼノ」


 彼女は冷たくゼノにそう言った。クラルスの表情からなんの感情も読み取れない。ただただ、凛と美しくそこに居た。


 もしここで、彼女が約束は子供の頃のもので、守る価値はない。もしくは、忘れろとでも言われたのなら、あの約束はなかったのだと言われたのなら、ゼノは・・・・・・。


――今まで通り、そしてこれからも「落ちこぼれ」として生きていくのだろう。


 そう、何も変わりやしない。彼は『ゼノ』であり続けるだけだ。


 だが、もし彼が変われる機会があったのなら、それは今しかない。この瞬間しかない。変えられる人間は彼女しかいない。大げさかもしれない。だが、今のゼノにとって、彼女こそが、その存在こそが救いなのだ。


 ゼノの決意が揺らぐことはない。すべて彼女との約束を守るため。


「俺にとって、大切な約束なのは永遠に変わらない。断られたとしても、今まで通り、これからも変わらないし忘れない」

「・・・・・・」


 クラルスの目が細められる。どこまでも落ち着き、冷たいまなざしに・・・・・・だが、ようやくその瞳の中に揺らぎを見る。思い彼女の唇が、開く。


「お前、この一年間……私に気づかなかっただろ?」


 ギクッ。

 ゼノの決意の固まった意志が揺らぎ、冷や汗をかき始める。先ほどまで感じていた物とは違う冷気がゼノの体を包み始めていた。

 

 ゼノが彼女に気づいたのはつい最近……。クラルスが約束した少女だと知ったのもその時だ。


「私は傷ついた。忘れられたのかとな。とても傷ついた」


 一年間も同じ場所にいたのに、ゼノは彼女に気づけなかった。


 それはまずゼノという人間があまり周りの他人に対して興味がないのにあわさり、町の一角で出会った少女が王族だなどと想像もしていなかったのだ。


 それに、彼女は少女の時から・・・・・・すごく美人になった。ゼノはそのことに驚きを隠せないのだ。


「いや、まて。俺はお前の名前すら聞いていなかったんだぞ?」

「それでも気づくべきだ。それに私も聞いていない」

「さらにお前は一国の姫というじゃないか!」

「そんなものは私のただの付与価値、化粧の様なものでしかない」


 ゼノは必死に抗議するも、クラルスに簡単に斬り捨てられる。


「お、俺はともかくクラルスのほうこそ俺に気づいたっていうのかよ?」


 ここで、ゼノが潔く自分の火を認めて引けばよかったものを、なにを血迷ったのか彼は攻撃に転じてしまった。クラルスはゼノのその言葉を聞き、すっと前かがみになり、片膝をつくゼノに目線を合わせる。


 クラルスは口に笑みを浮かべ……。


「一目見た時から、気づいていたさ……」


 悪寒が襲う。

 やばい、暑くもないのに体中に汗をかいている。冷や汗というものだ。ゼノは自分の体が震えているのがわかる。


「さ、最初からとは?」

「入学が決まった時点だ。私は仮にもこの国の王女だ。生徒の情報にはすべて目を通しているのでな」


 ニヤリと笑うクラルス。

 しかし、その表情はやや陰りを見せる。いや、悲しさ、寂しさ、怒り。いろいろなものが混じった陰りだった。


「しかし、お前の情報は他の生徒とわけが違う。もちろん、お前が謎の推薦枠で入ってきたのもそうだが、お前の過去、家については詳しい情報が学校側では手に入っていない。セカンドの生徒としては珍しいことではないが、お前の場合、知られたくない何かしらの事情を匂わせる。それとも私に渡された情報に細工がしてあったのか・・・・・・そこのとこどうなのだ?」


 クラルスの質問に対し、ゼノは考え込む。確かに。クラルスの言葉に思い当たる節はいくつかあるし、ゼノ自身も知られたくないことはある。


 しかし、ジジィがそこまでしてくれているとはな。案外俺に気を使ってくれていた、ということか。しかし、ジジィのことをクラルスに言うのは躊躇(ためら)われる。果たして言っていいのかどうか・・・・・・。


 しばらく考えて、ゼノは首を振る。


「教えてはくれないのか?」


 クラルスのその問いは、どこか憂いを帯びていた。その表情と声音に思わずゼノはしゃべってしまおうかと、いたたまれない感情に襲われるが、ぐっとこらえる。


「教えないとか、教えるとかそういう問題じゃない。これは俺だけの問題じゃないんだ。・・・・・・機会があれば教えることもあるさ。俺だけのことなら全然教えてやってもいいんだが、そのことについては下手をすると、俺の為に動いた人が問われるかもしれないんだろ?だったら・・・・・・今はまだ、な」


 ゼノがそう説明すると、クラルスも『それもそうか』とあっさり引いた。いや、最初からそこまで深くまで聞こうとも、もしくは喋ってくれるとは思っていなかったのだろう。


 とはいえ、クラルスにもおおよその検討は着き始めている。この国で、この学校に手を加えることが許される者など数名しかいない。そのうちの誰かがゼノの後ろ盾になっているのだと。


 だが、それ以上の詮索することをクラルスはやめた。


「さっきの話だが、いや、気づけなかったことは本当に悪かった。正直に謝る」


 ゼノは素直に謝ることにした。頭が地面にくっつくほどまで頭を下げる。


 頭に注がれる冷たい視線・・・・・・それがフッと消える。


「……ふん、まぁいい。許してやる」


 クラルスは立ち上がる。

 あっさり許してくれた。ちょっとした彼女の冗談というかからかいというか、久しぶりに会った挨拶のようなものだったのだろう。


「さて、久しぶりに会ったところで思い出話にふけるもいいがここは少々、騒がしくなりそうだ」


 クラルスはそういって旧教会の外を見る。ゼノもクラルスの見ている先を見る。


 旧教会の外はすでに夜になり、暗くなっているが小さい明かりがいくつか近くまできていた。


 どうやらゼノとクラルス、そしてセカンド達の戦いに学校側も流石に気付いたようだ。もしくは、クラルスの帰りが遅いことで騎士団が動いている可能性もある。


「先生達か?」

「どうやら、先ほどの戦いがバレたようだな。まぁ、あれほど騒いでおいて気づかなければ私の方から学校に一言入れているところだ」

「怖い怖い」


 学校の許可なく生徒同士の戦闘は校則で禁止されている。校則を破った生徒には公平に罰が下される。


 ゼノは倒れている気を失っている男子生徒達をみる。


「しかし、なんと言い訳したものか」

「ん? 別に俺たちは襲われたんだ。正当防衛だろう?」

「いや、襲われたのは私というのもそうなのだが、この聖剣アルグムの帰還については、少し時間が欲しいところだが・・・・・・彼らに見られた以上は時間の問題か」

「・・・・・・それもそうだな。とりあえず俺達は速やかに立ち去る、のがベストかな」


 ゼノ達は言葉通り、速やかに旧教会を立ち去ることにした。


 校舎側から明かりが近づいてきていたので、ひとまずゼノ達は校舎と反対側の森に向かうことにした。先頭を駆けるのはクラルスで、その後ろにゼノが続く。


「校舎から離れるのはいいが、どこに行くつもりなんだ?」


 ゼノは前を暗い森の中を走るクラルスに聞く。


「ああ、この先にいい所があるんだ。人が来ない、静かで綺麗な場所だ」


 そう言って、クラルスは微笑んだ。


     ◆


 3つの人影がその場から去ると、旧教会内に眩い光が溢れ出す。だが、その光は余りにも一瞬だった。それはまるで、音のならぬ雷が家を突き抜けたかのように。

 

「やれやれ。懐かしい力の気配を感じて来てみれば・・・・・・。あのバカ息子め」

 

 光とともに現れたのは、白い甲冑を身にまとった齢50程の男。髪は白く。たっぷりと蓄えられた白髭。その男の手には、黄金の剣が握られていた。キラリと黄金の剣が光を放つ。

 

「――まだ早いようだな。さて、証拠は消さねばならぬが・・・・・・」

 

 剣を鞘に納めながら、男は倒れたセカンドの生徒たちと、旧教会に残った黄金の炎の残り火を見つめながら、そう呟くのだった。

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