第三話 噂の女子生徒
(主探し、か・・・・・・)
ゼノは人との縁を築くことに興味がなかった。彼にとって人間関係は、生きる上で必要なものではあるが、それ以上でもそれ以下でもなかった。
十八年という歳月の中で、彼が築けたのは数えるほどしかなかった。今では、彼が築いた人間関係は、両手の指で十分に数えられるほどに減ってしまった。
騎士見習いたちにとって、主を見つけることは貴重な体験であり、皆がその重要性を認識していた。しかし、ゼノにとっては、それは罰のように感じられた。彼の性格上、他人に仕えることは無理だった。
――とてもじゃないが、赤の他人の為に命を捨てるなどというのはありえない。
彼にとって、赤の他人のために自分の命を捨てるということは到底ありえなかった。もちろん、約束の女の子以外に。彼は、自分が騎士に向いていないと考えていた。
自分自身が捻くれた性格を持ち、仕える価値のある人物を見つけることができないと感じていたゼノは、自分が選んだ学校に疑問を持っていた。しかし、養父の影響もあり、最初は騎士に憧れていた。
彼は自分には騎士になる実力があると思っていたが、若気の至りと高い自己評価によって実力が足りていないことに気付いた。学校での集団行動や座学のせいで、何もかもが思い通りにいかない。
だが、目的が果たせなくてもこの学校で騎士としての剣術や知識を治めて何でも屋である冒険者になるのも一つの手だろう。ここでの生活が全くの無駄というわけではない。
しかし、彼はこの学校で騎士としての剣術や知識を身につけ、何でも屋である冒険者になることを考えていた。この生活が全くの無駄ではないと感じていた。
現在のゼノにとっては、冒険者を目指すことが無難であると思っていた。自由に世界を旅することは辛いこともあるだろうが、面白いだろう。しかし、約束を守ることは、自分に対する言い訳や誠意であり、依存心であった。
――俺は、あの約束を果たしたいんだ。
相手の名前も容姿も分からない。
彼女が約束を忘れている可能性だってある。
この約束は、ただただ過去の自分へのケジメをつける為のもの。
最後の、希望。
もし彼女と出会い、もし彼女が約束を忘れておらず、自分を認めてくれるのなら・・・。まぁ、この学校にいるという確証などない。それこそ――。
とにかく、彼は約束を果たすために必死に探し続けた。
そして、偶然にもそれらしい人物を見つけた。
だが、知る方法は金と手段を惜しまなければ得られない。
ここまで来たのなら最終手段を取るべきか・・・などと考えながらゼノは男子寮へと足を向ける。もう学校は授業が終わり、放課後に移っている。
ゼノは気分転換に城下町に降りてみることを考えたが、学校の外に許可なく出ることはできなかった。面倒くさい手続きをするわけでもないので、結局男子寮の自分の部屋に戻ることにした。
校舎内を歩いていると、女子生徒たちのキャーキャーとした声が聞こえてきた。男子生徒たちの声も混ざっているようだ。ゼノは興味を持ち、声のする方向へと足を向けた。
すると、二階にある二年生のファーストクラスの教室に多くの生徒たちが集まっていた。この教室は、校舎の中心に位置し、広い廊下に面しているため、多くの生徒たちが集まる場所となっていた。
ゼノは様々な生徒たちの姿を見ることができた。一生懸命に勉強している生徒、友達とおしゃべりしている生徒、何かに興味を持っている生徒など、さまざまな姿があった。
つまりは、この吹き抜けに面している教室の廊下というのは様々な生徒の姿を見ることができ、様々な意味で学校の生徒たちにとって、コミュニケーションの中心であり、この場所での出会いや交流が重要と言える場所だ。
大勢の生徒が集まっていた教室はその中庭側に面した二階の教室だったのだ。ゼノはそれを一階の中庭の、丁度教室とは間反対側から見上げる。ちなみに一階の中庭からその教室を眺めている生徒は他にもちらほらと見受けられた。
女子達がざわめきながら教室の前から離れた。どうやら誰かが出てくるようだ。おそらく、その人物が女子たちの中心、黄色い声の対象なのだろう。やがて、人の波が割れる様に、中からゆっくりと一人の女子生徒が出てきた。
(やっぱりな……)
ゼノは彼女の名前を知らない。というのも、彼女を知ったのはつい最近ことだった。
彼女の制服の左腕の方のところにあるチェスの“キング”の装飾がファーストの生徒の証。
だが、ファースト云々などどうでもよいのだ。彼女は、ただ美しい。天上という言葉が似合う程に。高嶺の花などでは言い表せないほどに。人によってはこう呼ぶ人もいるらしい。
――『伝説の騎士ウィルウェニス』の生まれ変わりに違いない、と。
ゼノは、彼女の美しさに圧倒された。まるで神話の中に出てくるような存在だと思わず口に出してしまいそうになった。だが、彼女の美しさだけではなく、その背中には何かしらの輝きを感じた。
彼女は彼の方を向いた瞬間、一瞬だけ目が合った。それだけで、彼の心臓は高鳴ってしまった。彼女が微笑むと、教室中の気温が一気に上昇したように感じた。
(ああ、このまま一緒にいたい……)
彼は、自分でも驚くほど彼女に心惹かれていた。彼女の輝きに惹かれていたのだ。
幼さと美しさを兼ね備えた彼女は、まるで天使のように儚く、誰もが目を奪われる存在だった。その美しさは、性的な意味ではなく、まるで手に入らない幻のような観賞的な美しさだった。彼女は、この世界の中でただ一人、違う素材で生み出された存在であり、それはまるで人間でない何かのように錯覚させるほどだった。
ゼノは、彼女の美しさに呆れ、嫉妬し、羨望した。だが、そんな思いは彼女に失礼だと自覚し、冷めた目で地面を見つめてから、再び彼女に視線を戻した。
彼女はいつも腰に“剣の無い鞘”を提げている。その鞘はやや薄い、灰色の薄暗い色をしていたが、綺麗な装飾がされていた。そして、鞘から鞘に収まるべき剣もまた、美しいことは容易に想像できた。彼女はその鞘をいつも大切そうに提げていた。
だが、なぜだろうか。彼女が下げている鞘には、もっと鮮やかで美しいはずだと思ってしまう。
――ドクンッ。
その鞘と彼女を見ただけでゼノの心臓が刻む音が跳ね上がり、頭痛が走る。
その見たことのない剣をゼノはなぜか知っているような気がした・・・・・・。頭にぼんやりと剣の姿が思い浮かぶ・・・・・・だが、結局すぐに消えてしまう。なんだ?
再び彼女に視線を戻す。
彼女の足運びのそれが常に周りと自分との動きのすべてに自然体とした運び、彼女は只者ではないと感じさせられる。同級生のセカンドの、それも上位の生徒でもなかなかいないのではなかろうか。それがファーストという高貴な身分でそれを備えているということは、余程の物好きか、変わり者か、武家か。
学校内で彼女はとても有名であり、通称『鞘姫』で通っている・・・・・・らしい。これは同じクラスの男子生徒たちがしていた噂話をしていただけだ。
あくまでも美貌についてはウィルウェニスの生まれ変わりと褒められているだけで、通り名は鞘姫のようだ。
なぜ姫なのか、というのは、もしかするとどこかの王家の血筋なのかもしれないし、あの美貌や優雅さを見れば姫と学校での彼女は頭脳明晰、文武両道だの才色兼備など彼女を称える言葉は数えきれない。噂では今年のSランク主席候補なのだとか。さらに美人でクールと来たものだ。
同級生からは『姫』や、後輩からは『お姉さま』というあだ名もあり、先輩からも『様』付けだとか。
そのことに関して本人がどう思っているのか知らないが。ここ最近ゼノが良く目にする範囲では彼女は周りには最低限の受け答えしかしない。あまり他人に興味がないように見受けられる。
そんなことを考えていたときだ、教室からでてきた彼女と目があった。
「………」
たった一秒にも満たない間だった。勘違いかもしれないが、そうではないと思う。
だが、そのまま彼女はゼノが来た方向とは逆の方向に向かって歩いていってしまった。取り巻きの女子たちもそれについていき、校舎の中心には静けさが戻る。
「……気のせいか?」
彼女と目が合ったのが、なぜだか妙に胸に違和感を残す。
あぁ、ここに着てからよくある違和感だ。
知っているようで知らない。知らないのに知っている気がする。わかっているようでわからない。わからないのにわかる気がする。気持ちの悪い違和感。
(彼女こそが――)
黄色い声の原因もわかったことだし、若干の頭痛を覚えながらゼノは男子寮に戻ることにした。
アルビオン聖騎士学校では、生徒は寮で生活している。セカンドは普通の寮なのだが、ファーストはやはり自分達でお金をだしているのか、かなりでかい寮や部屋に住んでいる。
まったくもってうらやましい、とは思わない。広すぎても居心地が悪いだけだ。庶民出のゼノからすればむしろ狭い空間のほうが安心する。
だが、一つ文句があるとすればセカンドの男子寮は少し汗臭い。というのも、寮内寮外ともに上半身裸の生徒が剣の素振りなどをしているからだ。まったくもって迷惑である。暑苦しいのは顔と肉体だけにしてほしい。
ゼノの部屋は一番手前で、運がよかった。ゼノにとって最も安心する小さな我が家である。
部屋まで入れば汗臭い臭いから、嗅ぎ慣れた自分の部屋だ。人は自分の臭いはわからないといわれるが、極端に違う臭いがするところから帰ると、臭いが変わるので少しわかる気がしないでもない。
とにかく、落ち着く臭いだ。帰ってきた、と落ち着く。
ゼノの部屋はすごく質素で、シンプルな木製の「ベッド」と衣服を入れる「タンス」に制服をかけてある「クローゼット」。ゼノは本が好きなので本を入れておく本棚、一応の机と椅子。これらの家具はすべて樫の木材で統一している明るい茶色の家具だ。机に関しては、今のところ特に使う予定はない。
そして壁には薄汚い褐色の布で巻かれた十字架のような形をした棒状のものが立てかけてある。大きさにして一メートル半程の長さだ。これはゼノにとって大切なものである。中身は秘密。機会があればまた衣をはがすこともあるかもしれないが、基本的には人目にさらす物ではない。
本棚には様々なジャンルの本が並べられている。ゼノは雑学や生物、地理、戦術・戦略本、剣や武器、はたまた恋愛物や英雄譚ものに伝説や神話、世界で起きた出来事、不思議な現象、そういった様々なジャンルが揃っている。中でも好きなのは彼も「男の子だな」と思わせる英雄譚だ。
窓から外を見れば、すでに太陽が沈み、月が地平線から上り始めている。
「今日は、もう寝よう」
特にすることがなかったゼノは、さっさと寝ることにした。
あ、でも。そういえばまだこの前手に入れた恋愛小説がまだ読み終わってなかった。いい所だったはず。複数のヒロインが主人公の男を取り合って修羅場になっていたはずなのだ。まったく、モテる男って奴は・・・。
ゼノはベッドから起き上がると本棚から小説を抜き取り、再びベッドに寝転がった。
結局、その日にゼノが眠りについたのは月も沈もうとさしかかる朝であった。
**************
布に巻かれた十字架のようなモノ。
それは、学生の部屋にぽつんと置かれているには余りにも似つかわしく、存在感を放つゼノの所有物。謎の代物。
巻かれている布は褐色で見るからに薄汚く、使い込まれているのか傷だらけで所々破れている。
だが、その布ですら特別な何かを感じさせるが、この布自体はゼノがアルビオン国の外で出会ったとある黒装束の商人から貰ったもので、特に高価なものではない。
ゼノにとってその置物は、とても大切なもの。
彼にとっての原点であり、夢であり、希望。託されたもの。
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