邯鄲の夢 第2話

 琉生に出逢ったのは、三年前の春だった。

 

「そちらのキャストさんで、女性を殴れる人居ませんか?」

 

 私の出した質問の電話に対し、電話口の男は軽快に答える。

 

「あ、大丈夫ですよ!います!」

 

 大体こういう返事が返ってくる時は、期待しない方がいい。長年の勘がいっている。

 大体自分の願望は、殆ど叶う訳がない。

 けれど何かが満たされない時、人が近くにいるだけでも楽になることがある。

 この日は正直、そばにいてくれるなら誰でも良かった。

 

「……わかりました。じゃあ、一番オススメな人、お願いします」

 

 そう言って手続きを済ませ、滅多にしない化粧をする。

 自殺未遂失敗以来、私の自傷癖は悪化した。

 悪化した結果、軽い虚しさを身体が覚えるようになった。

 男相手に身体を開くことで最初のうちはその虚しさも解消されてはいたが、傷が増えてゆけば誰もが私と寝るのを避けてゆく。

 そんな最中に偶然遊んだ男が、私の首を絞めた。

 正直その男の事は名前さえも覚えていなければ、顔さえも思い出せない。

 けれどその男が私の首を絞めた時に何故か、誰かにこうされることで飢えた心が満たされることに、本能で気がついてしまった。

 出張ホスト。女性用風俗。様々な店が世の中には転がっている。

 私は人を買うことに、目覚めてしまった。

 ごく稀に心が病んで耐えきれない時に、男を買うサイクル。

 それは私にとって自傷するより正常だった。

 でも私が買う男達に求めていることは、自傷用の道具の代打でしかない。

 それを彼らは、喜んで受けられはしなかった。

 ある子はとても嫌がり、ある子は怯えながら私を殴った。

 私が望んでいることは、例え金銭が発生したとしても誰も叶えたくない。

 それは私にとって一種の悲しみであった。

 様々な男を買ってきたが同じ男を買ったことは、それ迄はなかった。

 そう、それ迄は。

 

 指定したラブホテルの近くの公園に佇み、男の到着を待つ。

 まだ桜の花が咲き乱れていて、辺りは薄い紅色に包まれていた。

 時折風で桜の花弁がふわりと散る。その光景はとても幻想的で痛む心の切なさを掻き立てる。

 私の目の前の景色が美しくとも優しくとも、真っ黒なものに心がずっと囚われていて純粋に感動を感じていいか解らないのだ。

 私が人間らしく生きていて本当に良かったのだろうか、などと普通なら誰しもが疑問に思う筈がないことを思考に浮かべる。

 子どもを殺したあの日以来、私は幸せになることを放棄していた。

 桜の花を見上げながら、幸せだった日々を思う。

 どこでどうやって人生を間違えてしまったのかなんて、私にだって正直解らないのだ。

 

「こんばんは。硲さん、ですか?」

 

 絡み付くような甘ったるい声色に、私は思わず跳ね上がる。

 桜の花弁が散りゆく景色の中で、切れ長の眼の美しい男が微笑む。

 彼の顔立ちはなんとなく、美しい蛇を彷彿とさせた。

 

「……はい……硲です」

 

 思わず声がすくむのが自分でもよく解る位に、彼はとても美しい。

 肌は決め細やかく、全てが丁寧に作られた硝子細工のようだ。

 正直出張ホストに対し、私はルックスを期待していなかった。

 今迄買ってきた男達でさえ、抜群に美しいなんてことはなかった。

 こんなに美しい人がくるなんて、私は夢にも思っていない。

 

「はじめまして。琉生です。よろしくお願いします」

 

 差し出された指先に手を這わせれば、琉生が笑う。

 その笑顔はなんとなく、不思議な違和感があった。

 言葉で上手く表現出来ない違和感。

 けれどその違和感のある笑顔が、私には心惹かれるものがあった。

 

「……どうぞ」

 

 ホテルのドアを開き、横目で琉生の顔を見る。

 すると琉生が私の目をチラリとみて、小さくある事を囁いた。

 

「そういえば女の子、殴れる人探してたって本当?」

 

 琉生の問い掛けに気恥ずかしくなり、思わず目を逸らす。

 琉生の真っ直ぐ私を見詰める眼が、己の願望の恥ずかしさをまざまざと知らしめてくる気がした。

 

「あ、え……ああ……うん……探してました…………」

 

 適当な返事を返し、琉生に背を向ける。

 すると私の口がいきなり手で覆われた。

 

「んっ………!!」

 

 思わず吐息を漏らせば、首にも手が絡まる。

 身体が後ろに引き寄せられた瞬間、私の耳元で吐息混じりの甘ったるい声が響いた。

 

「……貴女壊されにきたんだね……沢山ボロボロにしてあげる」

 

 明らかに今迄とは、空気感が全く違う。

 今の状態の自分はまさに、肉食獣に捕らわれた小動物だ。

 私の身体が本能から『殺される』と危機を感じているのが解る。

 思わず足元から崩れ落ちれば、空かさずに琉生が私の上に馬乗りになる。

 そして私の首を押さえ付けて、床に倒した。

 

「ね、貴女何処まで大丈夫?俺本気出すと皆怖がるの」

 

 そういって笑いながら、琉生が私の身体を撫でる。

 そして琉生は私の手首の傷跡に気付いて、一度だけ目を見開いた。

 

「……凄いねこれ。こんだけしてるならこれくらいいけるんじゃない?」

 

 琉生の拳が私の鳩尾を抉る。

 思わず身体が跳ね上がった瞬間、琉生が嬉しそうに叫んだ。

 

「貴女素敵だよ!殴られて笑うなんて最高!!」

 

 そう言って琉生は更に、私の身体に拳を撃ち込む。

 その度に私の身体は軋むような痛みに襲われる。

 すると琉生は嬉しそうに私を抱き寄せて、私の唇に自分の唇を重ねてきた。

 

「んっ………!!」

 

 痛みの中に含まれた甘さに眩暈がする。

 酷いことを沢山されているにも関わらず、甘くて甘くて仕方ない。

 恋人のようなキスに身体を預ければ、琉生が私の服を一枚一枚脱がせてゆく。

 その時にほんの少しだけ、琉生に傷を見せるのが恥ずかしい気がした。

 こんな傷を私はこの人には見られたくない。

 私の胸元が露になるのと同時に、慌てて胸元を手で隠す。

 けれどそれはすぐ琉生により手を押さえ付けられた。

 

「どうしたの?恥ずかしくなっちゃった?」

 

 琉生が屈託なく笑う。私は首を左右に振る。

 正直今にも泣き出しそうだ。

 まるで夢から現実に引き戻されてしまうのでは、という不安。

 色々な人が私の身体の傷痕を見て、受け入れられずに顔が強張る。

 だから彼には正直、見せたくなかったのだ。

 

「違うんです……あの……」

 

 思わず声が震えた瞬間に彼の指先が私に触れる。

 そして私の傷を美しい眼が捉えた。

 私の傷を指先で撫でて、指でなぞる。

 けれど彼は何故か、優しい眼差しをしていた。

 

「……大丈夫だよ。俺も同じようなもんだから。

これ見てわかる?俺の顔もう殆ど自分の顔じゃないの」

 

 琉生曰く、琉生は整形を何度も何度も繰り返している整形中毒だ。

 自分の顔が大嫌いだそうで、私と出逢った時には殆どの自分の顔のパーツは手を加えた後だった。

 琉生は整形の後遺症のようなもので、上手に笑うことが出来ない。

 

「まだね、俺目だけ変えてないの。

やりたい理想の形は決めたから、何れ形を変えるけど。

俺も整形って解ると人が離れてゆくことあるから。

だから同じようなもんだよ」

 

 琉生はそういって、私の手を自らの顔に引き寄せる。

 琉生の頬を指先で撫でると、擽ったそうな表情を浮かべて笑う。

 そのぎこちない不器用な微笑みが、私にはとても愛しく感じられた。

 

「俺ね、顔変えられなかったら多分生きてないよ。

貴女もこれがなかったら今生きてない。

……貴女を生かして、俺に出逢わせてくれて本当にありがと」

 

 琉生はそう言って私の傷に唇を寄せる。

 その瞬間私は私の人生を全て肯定してもらえたかのような、不思議な気持ちに呑み込まれていた。

 思わずバラバラと、涙が目から溢れだして止まらない。

 琉生は私にとって、私が生きていることに対しての赦しそのものでしかなかった。

 理解者不在の世界の中で、琉生だけが理解してくれる。

 そんな琉生の在り方が、私には救いだった。

 その日以来、私は琉生のところに足繁く通うようになった。

 男を金では買っているけれど、自傷の道具としてではない。琉生だから会いたいに変わった。

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シュリー・バトゥサ きさらぎひいな @teodoll-13

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