第七章 邯鄲の夢
邯鄲の夢 第1話
車の走るエンジン音を聞きながら、仄かな揺れに身体を任せる。
気だるい身体を動かせば、視界に車の天井が見えた。
これは私が普段使っている車の天井に違いない。
ぼんやりと運転席の方を見れば、誰かが私の車を運転している。
助手席にも誰かが座っているようだ。
ゆっくりと身体を起こせば、聞き慣れた声が響く。
「あっ!志優里さん!!身体大丈夫ですか!?」
その声の主は、旭君だった。
「……旭君?」
思わず拍子抜けした声を出す。旭君が私の車を運転させながら、夜の道を駆けている。
時刻は夜22時。思っているよりも早い時間帯だった。
「あっ、良かった……目が醒めた……。寿雲住職も心配してました………」
すると助手席から、武市さんも顔を出す。
武市さんは珍しく、何時もの笑みを浮かべては居なかった。
申し訳なさそうな表情を浮かべ、ずんとした重たい雰囲気を醸し出す。
「硲さんすいません……」
そう言って彼は目を伏せた。
「あ、いや!武市さんはなんも悪いことないです!!」
慌ててそう言っても武市さんの醸し出す重たい空気が、何時もの空気に戻らない。
「いや……私ね、亡くなった人の伝えたいことは遺体を見れば解るんですが、生きている人の気持ちは本当に解らないので……その………」
武市さんはそう言って、ずっと落ち込んでいる。
落ち込んでいる武市さんを、私は初めて見た。
「いや、本当にあの……私の状況の話で……。
嬉しかったですよ。武市さんの話は」
そういうと少しだけ、武市さんの醸し出す空気が明るくなる。ほんの少しだけ、私は安堵した。
「硲さん、今度何か埋め合わせさせてください。
本当にすいませんでした」
そう言って武市さんは、武市さんの家の近くで降りて帰ってゆく。
「本当に大丈夫なんで!またご飯しましょ!」
私が車の窓から叫べば、武市さんは何時もの笑顔に戻る。
そして私と旭君はまた、二人きりだ。
旭君が私の車を運転している間、何故か沈黙が走っている。
しんと静まり返る車内で、私は何となく気まずい気持ちになっていた。
旭君は正直、私の事を好きだけれどなにも知らない。
それに私も旭君になにも語ろうとはしなかった。
多分それに対して今、旭君が疎外感を感じているのが手に取る様に解る。
武市さんが旭君に今回の事は、何処まで話しているかなんて解らない。
旭君に一番見られたくない私の姿を、見られたのは間違いないのだ。
旭君が私の家の駐車場に車をとめて、私を気にかけながら車のドアを開く。
こんなに気に掛ける必要なんてなかったのに、旭君は私の身体を支えようとして動くのだ。
「……旭君、私一人で大丈夫だから」
そう言って突っぱねても、旭君は私の肩を支えようと動く。
「いや!本当に無理しないでください!俺ちゃんと支えますし……」
心配をされているのは、よく理解している。
けれどただでさえ剥がれかけた鍍金が、これ以上剥がれる姿を見られたくない。
「……お願い、本当に大丈夫だから離して…………」
私が懸命に懇願しても、旭君は引かない。
「志優里さんさっき倒れてるのに!ほっとける訳ないじゃないですか!」
旭君の表情が強張っているのが解る。ずっとそれがわかる。
心配をしてくれているのは重々承知だ。
でも、私は旭君の前では「強い志優里」のままでいさせてほしい。
そして私は旭君が絶対に引いてくれる言葉を思い付いた。
「離して………彼が来るから」
そう言って微笑めば、旭君が今にも泣き出しそうな顔をする。
私の肩を支えていた旭君の指先が、ほんの少しだけ震えたのを感じた。
「……解りました。本当にどうか、お体お気をつけて下さい………」
旭君が私から離れて、私に背を向けて去ってゆく。
旭君は一度も私の方を振り返らなかった。
***
件の一軒家の遺品整理も終わり、リフォーム会社に引き渡す。
作業の間中、旭君とは必要最低限の会話しかしなかった。
何時も通りの夜を迎え足早に家に帰り準備を整える。
久しぶりにきっちりと化粧を終えた自分の姿を、鏡に映す。
随分と生気のない顔の、亡霊みたいな女が其処にいる。
「行かなきゃ……」
何時も通りの精一杯のお洒落をして、夜の街へと繰り出す。
夜でも人に溢れ返る街でぼんやりと空を眺めていた。
街の光に星の光が負けてしまっていて、空はただただ漆黒だ。
すると私の隣に、静かに誰かが座った。
「……シュリーどうしたの?」
絡み付く甘ったるい声色に、思わず涙が出そうになる。
隣を見れば琉生が、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
今夜はどうしても私には、琉生の力が必要だった。
「琉生…………」
琉生の肩にもたれ掛かった瞬間に、涙が溢れて止まらない。
琉生は何も言わず、静かに私の頭を撫でてくれた。
「琉生、死にたい。私本当に死にたい。辛い。苦しい。死んでしまいたい……」
琉生の顔を一目見てしまえば、心の中のヘドロが溢れて止まらない。
それに対して琉生は嫌な顔一つせず、全て受け止めてくれた。
「シュリー、良い子。よく死なないで俺のところに来たね。お利口だよ。
俺がちゃんと手をかけてあげるから、沢山泣かせてあげるから大丈夫だよシュリー……」
甘い甘い言葉に呑まれながら、琉生と二人で街を歩く。
こんなにぐずぐずに泣くみっともない女でも、琉生は私をちゃんと連れ出してくれる。
琉生は優しい。とても優しい。私にとって麻薬みたいで、琉生が居ないとまともに息さえ出来ない。
琉生と二人でホテルの部屋に入り、部屋の鍵を閉める。
その音が聞こえた瞬間に、琉生が私の髪を鷲掴みにして床に引き倒した。
「あ………!!」
床に転がされながら、琉生を見上げる。
そして私の髪を引っ張り上げて、無理矢理私を起き上がらせた。
琉生の視線と私の視線が絡まり合う。すると琉生は私の耳元で、何時も通りの優しい声色で囁いた。
「シュリーが泣くまでボロボロにしてあげる」
琉生が私の腹を蹴り上げ、私の身体が跳ね上がる。
その痛みで私の思考が、一瞬にして弾け飛んだ。もっともっと、情け容赦のない痛みがほしい。
「あ……琉生………」
思わず琉生の名前を呼べば、琉生が私の腹を踏みつける。
そして私を見下ろしながら、優しい笑みを浮かべていた。
「かわいいシュリー!!もっともっと俺に全部見せて!!」
琉生が私の髪を鷲掴んだまま引きずり回し、反射の抵抗に対してさらに激しく手を上げる。
その暴力が私にとっては、紛れもない救いだった。
何時も琉生に攻め立てられながら、このまま殺されてしまいたいと心から思う。
そして私の嗚咽が止まらなくなり、ただ泣き声だけを上げるようになったその時に、琉生は私を優しく抱き締めてくれるのだ。
ボロボロの身体で泣きながら琉生を見上げると、琉生が私を抱き寄せて囁く。
「ねぇ、元気になった?」
私はその問い掛けに言葉で答えることが出来ずに、琉生にしがみつく。
すると琉生は私の髪を撫でて、優しく甘く囁いた。
「……一緒にこの地獄にいようね」
琉生に抱き上げられて、ベッドの上に寝転ぶ。
さっきとは真逆のお姫様のような扱いをされながら、私は琉生に甘くキスをされる。
そのキスに応えながら、服を丁寧に脱がされてゆく。
愛ではないこと位はちゃんと解っている。
でも琉生が魅せる世界は本当に本当に甘くて、歯止めが効かなくなってしまう。
琉生の指先が私の身体の中を丁寧に侵してゆく。
琉生だけが私の弱い姿を知っている。琉生だけが私の真実を解っている。
琉生の与える快楽に溺れながら、琉生には私は本当の意味で丸裸にされているんだと思った。
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