静寂の家 第4話
最早何時もの場所と化してしまった死神オススメ焼肉屋で、寿雲住職と死神、そして私と旭君で並ぶ。
旭君と私は明日の仕事の都合で、半強制的に烏龍茶である。
寿雲住職は代行を呼ぶ気だそうで、緑茶ハイを手にしていた。
「俺はお兄さんは初めて会うな!寿雲大徳だ!」
「あっ!篠田旭といいます宜しくお願い致します!」
二人が乾杯を交わせば生ビール片手の死神が、何やら住職に耳打ちをする。
そして住職がチラリと私の方を見て、何か言いたげな表情を浮かべてニヤニヤと笑った。
そして私は武市さんに対して、何となく嫌な視線を送りつける。
武市さんは何時も通りに、蟒蛇のように生ビールを飲み干していた。
「10代の時にもう遺品整理士をとったのは凄いなぁ……!」
「いや!本当に欲しかっただけなんです!働けるかは別として、あの資格は年齢制限ないじゃないですか!」
寿雲住職と旭君の会話が弾みに弾んでいるのを眺めながら、旭君からやはりコミュニケーション能力の高さを感じる。
盛り上がる二人を横目に、死神がチラリと私の方を見た。
「……硲さん、ちょっとお話もあるので、お煙草お付き合いしてくださいます?」
私は死神の言葉に応じ、旭君と寿雲住職をその場に置いて外に出る。
外の喫煙スペースで、死神がゴールドのマルボロに火を付けた。
揺れる紫煙の向こうで、死神が笑う。
「……一本お吸いになられます?」
武市さんが煙草を一本だけ飛び出すようにして、箱を差し出す。
私はそれを受け取り、口に咥えた。
武市さんが水商売の女性のように慣れた手付きで火を着ける。
そして二人で紫煙を揺らしながら、話を始めた。
「……あの、海のこと知ってたんですね」
私から話を切り出しておきながら、どうしても言葉が震えるのを感じる。
すると武市さんが煙草をスッと吸い、ふわりと煙を吐き出した。
「ええ、居ました。
あの日は寿雲住職に我儘を言って、海に連れ出してもらってたんです。
あと、海に入った後の塩水まみれの貴女の身体を、湯灌の要領で清めましたよ」
思わぬ返答に凍り付くと、死神が声に出してフフッと笑う。
「入水なんて、太宰治じゃないんだからって思いましたよ。
ただ、貴女がその時に突破口が見付からない位に狂っていたことは解ってました。
……譫言でずっと、嘆いていたから」
あの日私が死にたかった理由を、多分この人は知っている。
私はそれを感じながら、何の言葉も返せずにいた。
すると死神が少し優しい表情を浮かべて、私に静かに囁く。
「……こんな弱々しいどうしようもない子は、また何時か同じ事をして死んでしまうかもしれないと思いました。正直ね。
でもそれが僕の目の前に現れたんですよ。まるで生まれ変わったかのように。
今なんて美しすぎる特殊清掃士だなんて雑誌に載って、最早看板じゃないですか」
煙草の火を消して、武市さんが暖かい雰囲気を醸し出す。
けれど、私の中にあるぐちゃぐちゃした黒いものが、その言葉を受け取れないでいた。
複雑な表情を浮かべていることを、私は私で解っている。
「……駄目です。私はまだ弱い。鍍金を身体に張り巡らせて、強くみせているだけで………。
私は何も変わらない。
今だって、生きてる意味が解らない」
生きてる意味が解らないと吐いた時、視界が揺らぐ。
けれど死神は変わらず、暖かい雰囲気のままで笑った。
「まだ弱いですが、強くなりましたよ。
だって今の貴女はちゃんと、自分が弱いことを解っている」
武市さんの投げ付けてくる言葉は真摯で真っ直ぐであった。
けれど私はそれを上手に素直に受け取ることが出来ない。
「……女性に泣かれると困ってしまうのですがね………」
武市さんはそう言って、少し困った雰囲気を醸し出す。
けれど私は首を横に振った。
武市さんの言葉は、何一つ悪くないのだ。
「違うんです、武市さんのせいじゃない。
解ってるんです。
解っているんです……でも……」
それ以上の言葉を、言うわけにいかない。
必死で口をつぐむと、武市さんが呟く。
「……お子さんの事、まだ引き摺ってますか?
……貴女が殺したと嘆いていた、お子さんの事」
図星を突かれた私は、泣きながら静かに頷く。
もう、声さえ出せないままだ。
落ち着かなきゃいけないのに、落ち着けない。
私は幸せになれない。絶対に幸せになんてなれる筈がない。
むしろ、幸せになってはいけないのだ。
「……ごめんなさい、少し、言い過ぎました」
武市さんがそう言って、私の背中を撫でる。
私は首を横に振り、ただ違うとだけ体現し続けた。
必死に自分を落ち着かせようとすれば、息が上手に出来なくなってゆく。
「違……武市さ……」
心臓の鼓動が激しくなり、足元から崩れてゆくような不安に襲われる。
いけない。このままでは、私はまた息が出来なくなってしまう。
そう思った瞬間に、息が出来なくなり崩れ落ちる。
アスファルトの上に倒れ、喉元を引っ掻く。もう頭の中には、苦しいという文字しか浮かばない。
「硲さん!!しっかり!!」
武市さんの鬼気迫る表情が、少しずつブラックアウトしてゆく。
願わくはこんな姿を旭君には見られなくないと思いながら、私は暗闇に呑まれて落ちた。
***
『赤ちゃんが出来たの』
そうあの人に告げて以来、あの人は私の前から姿を消した。
ある日荷物が総てなくなり、部屋は伽藍としていた。
私の荷物も何もかもなくなり、部屋に唯一置いてあったのは15万円の入った封筒。
中絶手術を受けるには、妥当な金額の金の束。
風の噂で聞いたけれど、あの人には新しい恋人が出来ていたそうだ。
私の頭がおかしいことは、彼は解っている。
頭がおかしい女との間に子供が出来たところで、責任なんてとれないということだろう。
つまりあの人は、私なんて別に必要じゃ無かった。
最初から必要なんて無かったのだ。
お腹を撫でながら、この子も必要とされない存在だった事を噛み締める。
必要とされない人間と、必要とされなかった子供。
私はお腹を撫でながら、我が子にこう囁いた。
『私たち同じだね』
泣いて泣いて泣き散らしても、世界が変わる訳ではない。
あの人は二度と私の元には帰らない。
それでも私のお腹の子供は、日に日に育ってゆく。
身重で実家に帰ったけれど、家族も私への対応が解らない。
そして腫れ物に触られるような扱いに、私は限界を感じていた。
お腹の子供と一緒に、私も死んでしまおうか。
そうすれば、この子は独りで逝かなくて済む。
今でも覚えている。再び刃物を身体に突き立てて、部屋中に舞った鮮血を。
身体中から血が抜ける感覚を肌で感じながら、腹も何度も切り付ける。
『あいしてる!あいしてるわ!私はあなたを一人にしないから!』
それだけは事実。それだけは本当。
愛しているから、産まれても幸せになれないのなら、私がこの子を殺して私も死ぬ。
我が子を殺して地獄に落ちても、私は正直痛くなかった。
生きているよりも地獄の業火に焼かれた方が、何千倍もマシだと思った。
けれど神様は余りにも残酷でそして気紛れで、私は病院の病室で目が覚めたのだ。
真っ白い天井と、心拍数を計る機械の音。
そして、私を見下ろすお医者様と看護士さん。
『硲さん、良かったです。一命を取り留めて。
……お腹の赤ちゃんは残念でしたが……』
それは私にとって、絶望でしかなかった。
『……どうして私を、死なせてくれなかったんですか』
私は最期にそう囁いて、其処からの記憶が残ってない。
私には空になってしまった子宮と、ズタズタの肉体だけが残された。
幸せなんて、無い方が良かった。失うものがある事を知らない方が、幸せだったと心から思った。
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