静寂の家 第3話

 何故武市さんが、私が死のうとした事を知っていたのだろうか。

 その疑問が頭から離れないままで、あっという間に一日が過ぎる。

 次に会ったなら絶対に問い詰めようと心に決めて、準備をして塚本クリーンサービスを出てゆく。

 死神に色々聞きたいことはあれど、先ずは渡されたバトンをちゃんと引き継げるように全力を注ぎたいと思った。

 今日の作業人数は合計10人。10人中6人は塚本クリーンサービスの社員。私と旭君が含まれる。そして今日は、郷田さんと綾乃さんも一緒だ。

 残りは他業者にも、協力要請を出した。

 時折人員が余りにも足りない時は、信頼がおける他業者から人を回してもらうことがある。

 郷田さんと旭君が一緒に、私と綾乃さんが一緒に移動する。

 そして他社員と他業者は現地集合だ。

 先に着いた私と綾乃さんは、静かに家を見上げる。

 なんの変哲もない普通の外観の、普通の一戸建て。

 庭には植物が植えられていたであろう形跡がある。

 外観が普段の生活が、豊かであったことを垣間見せる家の造りだ。

 

「ここで、五人も人が死んだんやなぁ……」

 

 綾乃さんがぼそりと、一軒家を見上げて嘆く。

 惨劇のあったように思えぬ穏やかな外観に、心が揺さぶりをかけられる。

 本来なら笑い声の絶えない、幸せな家庭を目指して造られた筈のものだ。

 けれど、其処には静寂だけが感じられた。

 

「……お片付け、させていただきますね」

 

 家の前で手を合わせ、御冥福を祈る。

 すると、郷田さんと旭君がやって来た。

 旭君とぱちりと目が合い、私は旭君に微笑む。

 すると旭君は何時も通りの屈託のない、満面の笑みを浮かべた。

 この子は何一つ、私に悪いことをしていない。

 私は何時もこの子の明るさに、普段から支えられている。

 

「……旭君、今日は宜しくね」

 

 すると旭君が笑って、私にこういった。

 

「はい。

……あと俺、志優里さんは元気な方が嬉しいです」

 

 クリスマスの日とは逆のやり取りをしながら、二人で笑う。

 忘れてはいけないことがある。

 旭君は「男」という類いの生き物の前に、私の大事な仲間の一人なのだ。

 

「今日も頑張ろう」

 

 旭君に向かって拳を突き出せば、旭君が其処に拳を重ねる。

 

「……勿論です!」

 

 私と旭君は静かに、何時も通りの準備を始めた。

 築10年。木造一戸建て。3LDK。無理心中。死者五名。

 玄関のドアを開けば、血の臭いを感じる。

 旭君が着替えられるスペースを確保し、其処で防護服とガスマスクを身に付けた。

 何時も通りの準備を終わらせて、速やかに家に入る。

 すると玄関を過ぎたところから、もう血痕が続いていた。

 警察が人を運んだ時に付いたものもあれば、最期の力を振り絞り生きようとした名残のものもある。

 私はその血痕が、とても悲しく感じられた。

 

「……キッチンの床は張り替えないともうダメだ。

クッション材も剥がす」

 

 郷田さんの声がする。覗いて見れば、レバー状になってから完全に凝固した黒い塊の残骸がある。

 血は床に染み込んでしまっていた。フローリング材を越え、クッション材迄血が染みている。

 今日の案件は、予想以上に手こずりそうだ。

 

「志優里ちゃん!二階見てきて!!篠田君と一緒に!」

 

 綾乃さんがそう言って私と旭君に叫ぶ。

 私は小さく頷いて、旭君とアイコンタクトをして二階へと向かった。

 武市さんが見せてくれた見取り図の、子供部屋のドアを開く。

 すると血の噴き出した痕跡の残った、勉強机が其処にはあった。

 

「……陰惨ですね」

 

 旭君がそう嘆いて、勉強机のものを確認する。

 机の上には沢山の参考書の類いが山積みだ。

 死ぬ間際迄必死に未来の事を考えて、努力を重ねてきたに違いない。

 それなのに、運命は残酷だ。

 

「自分がこの日に死ぬって解っていたら、勉強じゃなくて悔いが残らないように遊んだだろうな」

 

 旭君はそう言って、勉強机に向かって手を合わせる。

 

「……お片付け、させていただきます!」

 

 気合いを入れた旭君を子供部屋に残し、私は物置へと向かう。

 物置はとても静閑で、乱雑に物が置いてあった。

 きっと此処で亡くなったに違いないと解る体液の痕跡と異臭が、ドアの前に広がっている。

 頭の中で響き渡る、死神の声。

 

『そんな抜け道さえも見えなくなってしまうくらい、この人からは疲弊を感じました』

 

 抜け道が見えなくなる位に思考が闇に包まれてしまうことは、私にだってある。

 私は自死を選んだだけで、もし私にも彼のように守るべきものがあったなら、こうなってしまったのかもしれないと正直思うのだ。

 私はこの人と、何ら変わりはないのだ。

 私がこの人に出来る事は、この人の死に対して全力で向き合うことのみ。

 そしてこの家を静寂から引き上げて、彼らが愛した優しい家に戻すことだけだ。

 

「お片付けさせていただきます……」

 

  特殊清掃が終わった頃には、夜を回っていた。

 遺品整理やハウスクリーニングはまた次の日に回す。

 一日だけで終われない案件というものも、時々存在している。

 今日の現場はどうしても、片付ける物が多すぎるのだ。

 オゾン脱臭機を回し、家を後にする。

 ガスマスクと防護服を脱ぎ終わった時、現場の前に不自然な車がとまっていることに気が付いた。

 ベンツのエンブレムの付いた、黒光りする高級車。

 ついああいった車を見ると、寿雲住職の顔が浮かんでしまう。

 郷田さんがベンツに歩み寄り、何やら話をしている。

 私はそれを全く気にせずに、片付けをしていた。

 

「志優里!夏以来だな!元気にしていたか!!」

 

 予想外の声に耳を疑い、声の方を振り返る。

 其処にいたのは、紛れもない寿雲住職であった。

 ダウンジャケットにサングラス。相変わらず柄の悪そうな服装に身を包んでいる。

 

「え、寿雲住職なんで此処に……」

 

 私がそういうと、寿雲住職の背後からひょっこり死神が顔を出す。

 そして死神が嬉しそうに、ビニール袋に入った飲み物を差し出してきた。

 

「はい、差し入れです。

寿雲住職は私が呼びました」

 

 寿雲住職と死神が知り合いという事実に、私は動揺を隠せない。

 けれどよくよく考えれば、葬儀屋に住職だ。

 知り合いでも正直おかしくないのだ。

 

「……二人、知り合いなんですね……初めて知りました」

 

 そういうと、寿雲住職が呆気に取られた顔をする。

 そして寿雲住職が衝撃の一言を言い放った。

 

「お前と初めて出逢った時の海は、武市と一緒だったが!志優里お前、本当に記憶がないんだな!」

 

 は?

 全く身に覚えのない衝撃の事実に、私は絶句する。

 武市さんの方を見れば、武市さんは何時も通りの笑みを浮かべていた。

 

「流石にこの様な陰惨な事件が起きてしまった物件なので、御遺族の方がお祓いを頼みたいとの事で場所の下見も兼ねて参りました。

……まぁ、ちょっと一緒にお食事をする約束をしていただけなのですがね」

 

 寿雲住職を連れてきた理由を死神が語るのを聞きながら、私は海の夜の事を懸命に思い返す。

 けれど其処に死神が居たことを、私は全く思い出せない。

 というか正直あの夜の記憶が、私は一切ない。

 狐につままれた表情のままの私を気にしているのか、死神が何時も通りの表情のままでほんの少しだけ困っている空気を醸し出す。

 

「後でちょっとだけ、お話しましょうか」

 

 死神はそう言ってから、寿雲住職を連れてゆく。

 すると旭君が何やら不思議そうな表情を浮かべたまま、首を傾げていた。

 

「志優里さんお知り合いですか?」

 

 ほんの少しだけ話を濁そうかどうしようか考えたが、出逢いは兎も角手伝いをしていたことは事実だ。

 旭君の質問に対して、私は素直に答える。

 

「うん、昔この仕事を始める前に、寺で働いてたことがあるんだよ」

 

 すると旭君が目を丸くして、寿雲住職の背中を見詰める。

 そして私の方にそっと来て、こっそりと耳打ちをした。

 

「……すいません、怖い仕事の人なんじゃないかと勝手に思って心配してました……」

 

 旭君の言葉に思わず噴き出すと、旭君は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「それね、私も初めて逢った時に思ってたよ。

そういえば初めてこういう現場の清掃だったけど、辛くなかった?」

 

 旭君は事件性のある現場の清掃が、今回初めてだった筈だ。すると旭君は少し考えたような表情を浮かべた。

 

「やるせなさは確かに感じるものがありました。

でもしっかりやってあげなきゃ、見送ってあげられない気がするんで!」

 

 そう言って眩しく笑う旭君に、何故か救われたような気持ちになる。

 冬の夜の空は澄みきっていて、星がキラキラと輝いている。

 この家の人達がちゃんと澄んだ夜空の彼方へ向かえるように、橋渡しを頑張りたいと感じた。

 

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