静寂の家 第2話

 殺人現場の特殊清掃。時折それは存在している案件だ。

 正直流石に長年特殊清掃をしている私でも、殺人現場の特殊清掃は心理的にキツいものがある。

 腐敗状況や臭い。そういったものに関しての問題よりも、現場自体の陰惨さが本当にきついものがある。

 殺人の状態が、手に取るかのように解るのだ。

 きっと被害者は人生を奪われて、無念な気持ちだったに違いない。

 死神は静かにテーブルの上に間取り図を開く。築10年の二階の一戸建て。3LDK。

  

「立ち入り許可が多分今日明日位には出ます。殺人ではあるので……許可が遅いんですよ」

 

 死神は何時も通りに淡々と情報の説明を始めた。

 

「今からお話します。

もうすぐ塚本クリーンサービスの皆様が、お仕事することになる清掃現場です」

 

 そう言われた時に、私の手が僅かに震える。

 それを見越した死神が、私の手の上の御盆を受け取った。

 

「……今日は本当に調子の優れない日なんですね」

 

 そう言って私を応接室のソファーに促す。死神と対面で向かい合う。

 そして死神は私の目を見て、静かに囁いた。

 

「……硲さん、今話すのやめますか?」

 

 武市さんがこんなにも優しい声色で話すのを、私は初めてみた気がする。

 けれど私は首を左右に振った。

 

「……話してください」

 

 すると死神は安堵の表情を浮かべ、そして何故か懐かしいものを見るかのような眼差しをした。

 特殊清掃で働いて、様々な死に様を感じてきた。

 孤独死もあれば自殺もある。沢山の人の跡を消してきた。

 だからこそ今、この死とも向き合いたい。


 私の一時的な精神不安定で、聞き逃していいものではない。

 死神は赤いペンを取り出し、間取り図の上でものを書く準備を始める。

 

「まず、父親は母親を殺害しました。

殺害方法は滅多刺しだったそうで……此処、キッチン。キッチンが血溜まりだったそうです」

 

 死神は淡々と説明をしながら、間取り図に赤ペンで丸を付けてゆく。

 その脇には殺された方法を、細かく付け足してゆく。

 キッチンの赤丸には『刺殺』と書き留めた。

 私はそれを何も言えずに聞く。

 

「そして此処。キッチンの前。父親が母親を殺害している現場を、長男が見付けてしまいました。

止めに入ろうとして抵抗し、遺体の爪にはお父様の皮膚が……」

 

 子供の死だけは、本当に堪える。

 でも親の身勝手で殺される子供達がいる事は、紛れもない事実だ。

 

「刺された子供は抗い、逃げました。

リビングまで這った形跡があります。

……自分の子供を包丁で滅多刺しにする気持ちは、本当にどんな気持ちだったんでしょうね……」

 

 死神はそう嘆いてキッチン前にある階段の手前に赤丸を付け、それを食卓を越えてリビング中央まで赤丸を付けて矢印で伸ばす。

 そして其処にはちゃんと『刺殺』の文字を刻み込む。

 

「で、此処から二階に移ります」

 

 二階にある部屋に、赤ペンで部屋の役割を示してゆく。

 

 『両親の寝室』『子供部屋』『物置』

 

 赤ペンが次に丸をつけたのは『子供部屋』だった。

 

「次に殺されたのは長女です。抵抗も何もできずに包丁で。

でも後ろから首を刺されて出血過多だったので、滅多刺しよりかは大分マシな死に方ですね。

受験生だったそうで、将来は看護士になりたいと回りにお話してました」

 

 時折武市さんは亡くなった人についての死の詳細を詳しく語る。

 まるで「この人が本当は殺したのではないか」という位に情報が詳細だ。

 ちゃんと『刺殺』の文字を書き込み、また赤ペンの場所を変える。

 そしてその次に武市さんが丸を付けたのは『両親の寝室』だった。

 

「……両親の寝室?」

 

 私が疑問に思った事を告げれば、武市さんは静かに頷く。

 

「……ええ。両親の寝室です。

二人のベッドと、三ヶ月前に生まれた赤ちゃんのベッドが……。

男の子でした」

 

 赤ちゃんと聞いた時に、全身の毛が逆立つ。

 赤ペンで丸を付けて『窒息死』と書き込む。

 

「……包丁で刺すのは、気が退けたんだと思います。

赤ちゃんって自分一人では何も出来ない身体の構造してるでしょう……?

……抱くように抱き締めたんだと思います。

息の根が止まってしまうまで」

 

 そして武市さんは、『物置』に丸を書き込む。

 そして『首吊り』と書き込んだ。

 

「……多分カーテンレールを一回使ったみたいで、壊れていましたみたいです。

それからドアノブを使って……」

 

 そう言って武市さんはペンのキャップを閉めて、お茶に口を付ける。

 武市さんは私の事を真っ直ぐ見て、静かにこう云った。

 

「やむを得ず愛する妻と子供を殺さなければならない位のシチュエーションって、私は中々想像付かないんですよ。

この事件正直一時的に貧乏することになったとしても、幾らでも建て直せたとさえ感じるんです。

でも、そんな抜け道さえも見えなくなってしまうくらい、この人からは疲弊を感じました」

 

 やむを得ず愛する妻と子供を殺さなければならない事。

 その言葉が自棄に私の心を抉り、削ってゆく。そんな私を横目にしながら、武市さんはこう云った。

 

「まぁ、今更私たちが人の死に対してあーだこーだ言ってもどうにもならないんです」

 

 武市さんはそう言いながら、少し物思いに耽ったかのような表情を浮かべる。

 そしてある話を語り出した。

 

「生きていたら未来なんて幾らでも変えれますがね。はじめましてが、さようならみたいな運命なので。

……なので、刺された奥さまやお子様の傷痕はちゃんと綺麗に縫いましたよ。

赤ちゃんもちゃんと綺麗に整えました。お化粧もちゃんと施して。

眠っているみたい、と言っていただけて……。

お父様のお顔も、ちゃんと元に戻しました。

彼が壊れてしまう前の、優しい顔に」

 

 そう言って武市さんは何時もの笑みを浮かべる。

 その時に私は武市さんが何故それに詳しかったのかを理解した。

 この人はずっと、遺体と対峙していたのだ。

 

「武市さんが納棺してたんですね」

 

 私がそう返すと武市さんは、ちょっと得意気な空気を醸し出す。

 

「そうなんですよ。

死に対して叱咤したくなる時もあるんです。

……けれどこの仕事をしていると、垣間見えるものがありますので……。

死人は口無しのように見えて、よく語るのですよ。むしろお喋りな位」

 

 死神は口元で人差し指を立てて微笑む。

 死人はよく語る。武市さんの出した言葉が、自棄に考えさせられる。

 そして彼はこう云った。

 

「硲さんたちが彼等の生きた跡を見守って消しているのと似ていて、私は彼らの陰惨な死を美しく彩り、最期を報っているつもりです。

後はお願いします」

 

 靄が掛かっていたような視界に、ほんの少しだけ光が射す。

 しっかりしなければと、己を奮い起たせる。

 

「……わかりました。引き継がせていただきます」

 

 私がそういうと、死神は一安心したような表情を浮かべる。

 

「少し、先程より顔色が良くなられましたね」

 

 そう言ってしなを作るように首を傾げながら、死神が嬉しそうに笑う。

 不覚にも死神から生きる英気をもらえたようなそんな気持ちになる。

 すると武市さんがある事を言い出した。

 

「冬は貴女の心を削る季節でしょう?最期に本格的に自殺しようとした時だって、この時期だったじゃないですか。

病むのは当たり前の時期なんだから、無理はしないで下さいね」

 

 そういって死神は笑い、私に背を向けて去っていく。

 おかしい。どうして武市さんが私が自殺をしようとした事を知っているのか。

 

「武市さん!?なんでそれを!!」

 

 私が思わず叫ぶと、彼は何時もの笑みを浮かべて笑った。

 

「……忘れているのなら、その方が私は嬉しいですよ。それではまた」

 

 死神の笑みは何処と無く、感極まって見えた。死神は私に、謎を残して去っていった。



 

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