第二章 Diary from my late mother

Diary from my late mother 第1話

 ふんわりと金木犀の匂いが漂っているのを感じながら、木漏れ日の下で空を仰ぐ。

 金木犀は秋の訪れを教えてくれるものだと、私は何時も思っている。

 秋の匂いは大好きだ。秋は秋独特の匂いがある。

 臭いものだと言われがちだが、銀杏の匂いも秋の訪れ。

 そして色が変わった葉の木々の、独特の秋の匂い。

 秋の匂いが私にとっては、とても素敵な癒しである。

 特にやっぱり一番は、何よりも金木犀の匂いだ。

 

「あー、良い香り………」

 

 思わず独り言を漏らすくらいに、今日は心地が良い。

 今日は現場ではなく、見積もりの相談で私は走り回っている。

 午前中の見積もりを終わらせて少しだけ小休止に、駐車場のある公園に車を停めてお昼ごはんを食べている所である。

 今日のお昼ごはんは公園近くにある喫茶店の、持ち帰り可能な卵とチーズのサンドイッチ。

 ふかふかの厚焼き卵にチーズとマヨネーズのアクセント。

 そして美味しいペットボトルの、お気に入りのアイスティー。

 其処に大好きな金木犀なんて、ロケーションとしては最高過ぎた。

 現場がない日は基本的に、事務作業に徹する。

 私たちの仕事は正直、現場だけではないのだ。

 見積もりを出して案件の書類作成をして、依頼人にちゃんと渡すことはとても大切なことである。

 私のいる会社は見積もりの内容が、多分他の会社よりも細かく書かれていると思う。

 特殊清掃代は正直、そんなに安いものではない。

 お金がどうしても掛かってしまうものだからこそ、ちゃんと細かく情報を提示するのは大切なプロセスだ。

 それに機器のメンテナンスも、軽トラックのお掃除もちゃんとやらなければいけない。

 あと今日は確か、私が出払っている間に新しい人材の面接があった筈なのだ。

 基本的に私のいる業界は、慢性的な人手不足である。

 なので熱意のある若者は正直、非常に欲しいのだ。

 寿雲住職が私にこの仕事を紹介したのは、単に人手が足りてなかったのかもしれないとさえ思う程、入る人もいれば出てゆく人もいる。

 そういえば今回面接をする人は、随分と気合いの入った人だとは他の社員から聞いた。

 送られてきた履歴書に、20歳の若さで既にマニュアルの自動車免許と遺品整理士、事故現場特殊清掃士の資格を持っていることが記されていた。

 遺品整理士と事故現場特殊清掃士の資格は、年齢制限なく実は誰でもすぐに取れる。

 けれど正直、10代のうちに遺品整理士と事故現場特殊清掃士の資格を習得しようと考えるなんて、一体どんな人生を送ってきたのかと思う。

 普通に生きているのならこの世界のことなんて、正直知る筈がないのだ。

 ぼんやりと頭の中で、懐かしい思い出を振り返る。

 そういえば五年前に出逢った少年も、今はそれくらいの年齢の筈だ。

 

***

 

 塚本さんの運転するトラックは、安心して身を任せていられる。

 そしてうっかり、眠たくなってしまうのだ。

 寿雲住職のジェットコースター並みのハンドル捌きに慣れた私の肉体は、塚本さんの運転するトラックはまるで揺りかごの様に感じられる。

 するとうつらうつらとしている私を目覚ますかの様に、塚本さんがこう云った。

 

「そういえば今日、立会人がいるのを聞いているかい?」

 

 塚本さんの言葉に、私は耳を疑う。立会人がいるというのは、正直信じ難かった。

  特殊清掃士になり一ヶ月。遺族が立ち会うと聞いた現場は、正直これが初めてだ。

 殆んどが立ち会うことを嫌がるからである。

 大体が遠い親戚の元に、いきなり「血縁が死んだ」と連絡が入り、面識もない知らない血筋の為に出向いてくることもない。

 立ち会いたい等と言い出す遺族が、私は想像も出来ないでいた。

 

「……随分珍しいですね」

 

 思わず口をついて出た言葉に、塚本さんは静かに頷く。

 

「そうだね。ただ、作業開始には間に合わないみたいだね。お昼位の到着になるみたいだ。だからある程度、作業は進めていていいから」

 

 大体立ち会いの遺族は、朝一番から立ち会いをする。

 その時から正直、違和感は感じていた。

 

 今日の現場は三階建ての鉄筋コンクリート製の小さなマンションの一階。間取りは1DKだった。

 正直余りに高い階だと、荷物を降ろすのがとても辛い。

 なので現場が一階であるということに、私は胸を撫で下ろしていた。

 現場の遺品を運び出すのに、なるべくエレベーターは使わない。

 エレベーターを使うと、臭いがエレベーターに移ってしまうことがあるからだ。

 人目のなるべく付かない場所で防護服、ガスマスク、シューズカバーを身に纏う。

 孤独死の現場なんて、なんの細菌やなんのウイルスがいるのか正直解らない。

 部屋の状態を見れば、大体の死に方は予想がつく。

 けれど万が一感染する病だった時に、一番守らなければならないものは自分の身だ。

 害虫は疫病を運ぶ。だからこそ部屋を閉め切り、沸いた虫を何処にも逃がさない様にして駆除しなければならない。

 汚染された虫が入らない様に、ゴム手袋と防護服の隙間をガムテープで張り付ける。

 そしてゴーグルを付けて、静かに現場のドアを開いた。

 

「失礼します……」

 

 死者に敬意を払う様にと教えられ、部屋の出入りをする時と亡くなった場所の前では必ず声をかける。

 私が上手く出来ているかどうかなんて、正直解らない。

 でも、私がやれる限りの全ての事を、これに注ぎ込みたいと何時も思うのだ。

 拍子抜けをする程に、簡素に片付けられた部屋。ただ人の死んだ後の臭いはちゃんと漂っている。

 臭いの元は、樹脂パネルのドアの向こうだ。

 樹脂パネルのドアを開けようとドアノブに手をかける。

 すると握りしめたドアノブから、ほんの少しだけ空回りをする様な感覚を感じた。

 ドアノブが多分壊れている。

 何度かドアノブを回せば、樹脂パネルのドアが開く。

 するとやっとトイレ付きのユニットバスが現れた。

 ユニットバスの床は体液が溢れて黒ずんでいる。

 ドアに寄り掛かる様にして座って死んでいたのだろう。

 排水溝に向けて爪先が伸びている。

 その時に、ドアノブで首を吊った事を察した。

 40代女性。浴室で死亡。首吊り自殺。

 

「……お片付けさせていただきますね」

 

 塚本クリーンサービスに就職し、早一月の時間が過ぎる。

 今だに物怖じする瞬間もあれど、粗方様々なものには慣れてきたと思う。

 

「改めて思うけれど、君は本当にこの仕事向いていると思う」

 

 塚本さんが優しい眼差しで、私に言う。

 私はほんの少しだけ照れ臭くて、ぎこちなく笑った。

 

 正直遺品整理の方の荷物は片付けるのが簡単で、すぐに外に運び出せる様な荷物の塊が出来上がる。

 とても荷物が少なく、ゴミも大分無かった。

 自殺をする人が部屋を片付けてから死ぬことがあるが、この人はまさにその典型のようだ。

 この人は生前に細かく日記を書いていたようで、10冊に渡る大学ノートに纏められた日記帳が部屋の片隅から出てきた。

 西暦に日付。その下に二行程度の短い日記。大体の日記の内容は「会えなくなってしまっただれか」を心配しているような内容。

 この人は会いたくて仕方がない人がいたのに、死んでしまったんだと思うと切なかった。

 すると突然、部屋のインターフォンが鳴り響いた。

 

「え……」

 

 インターフォンが鳴ったことに対して、私と塚本さんは顔を見合わせた。

 正直作業中に誰かが訪ねてくる時は、作業に対するクレームなのかと身構える。

 すると塚本さんが少し考えた表情を浮かべ、こう云った。

 

「硲さん。ちょっと出てもらっていいかい?防護服脱いで。予備の多めに積んであるから新しいの使って大丈夫だから」

 

 塚本さんの指示に頷き、慌てて防護服を脱ぐ。

 そしてドアを開ければ、目の前には学生服の少年が立っていた。

 その学生服は有名私立の制服で、身なりの良さが窺える。

 顔立ちも端正で自棄に整っていて、子役の俳優を少し彷彿とさせた。

 特殊清掃現場に訪れてきた美少年に動揺し、私は慌てて外に出る。

 

「え……あの……どうしましたか?」

 

 思わず間抜けな問い掛けをしてしまうと少年は緊張しているのか、強張りながら答えた。

 

「すいません、今日立ち会いの者です………!」

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