硲志優里についての物語 第6話

 雲一つ無い青空に、ジリジリと照り付ける太陽。仄かに風が吹いているので、暑い割には過ごしやすい。

 あちこちで蝉が鳴いている。虫も命を燃やして生きているのを、なんとなく今日は肌で感じた。

 手には花束を抱えて、真夏の中を前に前に進んでゆく。

 菊の花だけでは色気があまりないので、竜胆とスプレーカーネーションを買い足した。

 この花ならきっと、綺麗に映えてくれるだろう。

 花と線香を抱えながら石段を踏み締める様に上がれば、見慣れた本堂が現れる。

 長きにわたり、お世話になった本堂。私の第二の実家の様なものだ。

 其処から、お墓を見渡す。

 墓石が立ち並ぶ光景を見て、若かりし日の自分の姿を思い返す。

 死ぬことばかりを考えていた、みすぼらしい私の姿。

 あの日があったから、今を私は生きている。

 

「よう志優里!!元気か!!」

 

 ドスの効いたお馴染みの声と共に、正装の寿雲住職が目の前に現れる。

 この人は本当に、八年経っても何処も変わっていない。

 

「元気です。寿雲住職はお元気ですか?」

 

 私がそう返すと、寿雲住職はガハハと豪快に笑った。

 

「俺が元気でない訳があるか!!相変わらず辛気臭そうだなお前は!!」

 

 寿雲住職に辛気臭いと笑い飛ばされながら、私はなんとなく嬉しい気持ちになる。

 この人からは本当に、生命力を分けられている気がしている。

 寿雲住職は何も言わなくとも、とある場所目掛けて歩きだす。

 そして私もそれが何処に向かっているのかを解っていて、寿雲住職の後ろについて歩く。

 

「そういえば私ね、綺麗過ぎる特殊清掃士で雑誌に載るんですよ」

 

 そう言ってわざと気取る様なポーズをとってみせれば、寿雲住職が言う。

 

「お前は元々器量が良い。それに冗談めかして、人とやっと会話出来る位になったのが俺は純粋に嬉しいぞ」

 

 寿雲住職の想定外の返答に思わず言葉を詰まらせれば、彼はガハハと大声で笑い飛ばす。

 

「それに、そのニュースは塚本さんも嬉しいだろう。ちゃんと報告してやれよ」

 

 私は静かに頷いた。

 他愛ない会話を寿雲住職と交わしながら、とある墓石の前に立つ。

 その墓石には色とりどりの美しい花が飾られて、とても賑やかに感じられた。

 そしてその墓石には「塚本」の名が刻み込まれていた。

 

 塚本さんの身体が病魔に侵されている事が解ったのは、私が25歳の春だった。

 膵臓に癌が出来ていた。

 けれど塚本さんはそれに気付かぬ儘で、気が付けば全身に癌が広がってしまっていた。

 沢山の人が塚本さんの元を訪れ、沢山の人が塚本さんに治療を願う。

 けれど塚本さんは、病に抗おうとはしなかった。

 

「僕はもう、精一杯生き抜けたんだと思います」

 

 塚本さんの元にお見舞いに行った時、痩せ細った塚本さんがそう言って笑う。

 その時に塚本さんが、自死を考えた経験があったことを思い返す。

 けれど、塚本さんは続けてこう云ったのだ。

 

「怖くはないんです。死が。でも命が限られてしまったからなのか、生きている一日一日が今いやに大事に感じるんですよ」

 

 死ぬことばかりを考えて生きてきている私にとって、その言葉は衝撃でしかなかった。

 塚本さんはその時も、ちゃんと我武者羅に生きている気がした。

 とても眩しくみえたのを、今でも忘れない。

 何時死んでもおかしくない位に痩せ細り、ボロボロになったその人が、一日一日を生きることに輝いている。

 私にはまだ、到底到達の出来ない所に塚本さんはいた。

 塚本さんが亡くなったのは、私が26歳の春。

 遺品整理は生前に塚本さんに任されて、私が全て行った。

 亡くなった後にすぐにでも部屋が引き払える様に、粗方部屋の物を片付けた。

 伽藍とした部屋を見渡して、塚本さんは此処に帰らないつもりなんだろうと確信したのだ。

 その一月後に塚本さんは亡くなった。享年64歳だった。

 葬式で泣く経験も生前に遺品整理をする経験も、私はその時に初めてした。

 そして塚本さんに遺品整理を任されたことは、私の中の小さな小さな誇りになっている。

 塚本さんはちゃんと、病院で亡くなった。奥様とお子さんの写真の傍らで。

 塚本さんの骨が塚本さんの奥様とお子さんの横に並んでいるのを頭に思い浮かべた時に、やっと塚本さんは家族に会いに行けると感じた。

 あの人は我武者羅に生きて生きて生き抜いた。

 塚本さん亡き今でも、会社の名前には塚本の名が刻み込まれている。

 

「塚本さんの墓はな、何時も花が絶えなくてな。長年坊主やってりゃ解るが、墓石に飾られる花の量は本当に生きてる時にどれだけ愛されてたかの証明だ」

 

 塚本さんの墓の花立に花を生けていると、寿雲住職がそう呟く。

 本当に様々な人に愛され、様々な人を救ってきた人だったと思う。

 そして、私も彼に救われたうちの一人だ。

 色とりどりの花の数だけ、あの人は人を救ってきた。人を大切にしてきた。

 線香に火を付けて、線香置きにそれを寝かせて手を合わせる。

 線香の紫煙は、青空に吸われて消えてゆく。

 世はお盆。先祖が帰ってくるという。きっと塚本さんは今、近くにいるだろう。

 墓石を水で洗い流しながら、心の中で塚本さんに話しかける。

 

  お久し振りです塚本さん。向こうでは奥様とお子さんには、ちゃんとお逢い出来ていますか。

 私はまだ「生きなければならない理由」はよく解らないままですが、昔より生きていることは楽しいです。

 貴方が残したものは、今も皆で懸命に守っています。

 

 頭で言葉を祈りながら、墓を洗い終える。

 墓参りを終わらせて去ろうとしたその時に花立に飾られた花の上に、ふわりと黄色い蝶々が飛んできて止まった。

 蝶々の羽がパタパタと動くのを見ながら、私は寿雲住職と二人でその場を後にする。

 なんとなく塚本さんに逢えた様な、不思議と満たされた気持ちになった。

 

「改めて志優里も大人になったな!昔は本当にどうしようもない子だったのにな」

 

 大人になれているかどうかは、正直自分では解らない。

 けれど確かに今は自分の甘やかし方を、自分で少しだけ解る様にはなったなと琉生から貰ったネックレスを撫でながら思う。

 

「いや、本当に大人になれたのは、寿雲住職と塚本さんのお陰だと思います。あの時に寿雲住職に出逢えてなかったら、この今はなかったと思うので」

 

 心から本気でそう感じている気持ちを、寿雲住職に吐露する。

 すると住職の方が自棄に照れ臭そうな表情を浮かべて、話を急に逸らしてきた。

 

「そういえば志優里。改めて思うが、お前の名前は珍しいな」

 

 寿雲住職が私の顔をまじまじと見ながら、首を傾げてみせる。

 

「あー、私の名前確かシュリーバトゥサから宛字で決めたって母が言ってました」

 

 シュリーバトゥサ。それは卍の事だ。吉祥を意味する幸福の印。繁栄や幸福を意味している。

 すると寿雲住職は不思議そうな表情を浮かべて、私に向かってこう云った。

 

「寺ってな、地図上で表現する時にシュリーバトゥサを使うんだが……もしかしたらあの日お前を助けたのは、何かの運命だったのかもな」

 

 寿雲住職の言葉に、私も不思議な気持ちになる。

 

「なんだか、不思議ですね」

 

 そう答えると、寿雲住職は豪快に笑い飛ばした。

 

「お前はな、やっぱり生きて生きて生き抜かなきゃ駄目な人生なんだろうな!」

 

 寿雲住職がそういうと、墓場を強い風が吹き抜ける。

 生きなければならない理由はまだ見付けられない癖に、死にたい理由ばかりが山積みの私みたいな人間でも、我武者羅に生きて生きて生きぬいて何時か人生のゴールを美しく迎えられるなら、確かにそれは最高に運命的だ。

 

「……ゆっくりだけど、頑張って生きてく理由探します」

 

 生きて生きて生き抜いて何時か美しくくたばりたいと思える様に、今日も明日も明後日も私は生きていると思う。

 雲ひとつない青空はとてもとても高く、凄く遠く感じられる。

 けれど、生きていく理由を探すと云ったその時、なんとなく空が近くに感じることができた。

 そしてなんとなく、あの人は今、この世に帰ってきているんだろうなと思った。

 

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