Diary from my late mother 第2話
特殊清掃の立ち会いに未成年が来るなんて、前代未聞にも程がある。
厚みとしては50万円位入った封筒を握り締めながら、制服を着た少年が今にも泣き出しそうな目で此方を見ている。
「ちゃんとお金も預かってきました。俺が立会人です……部屋にいれてください……」
少年は部屋に入れろの一点張りで、自分の要求を一切曲げない。
本来見積もりを確認しながら、お金を立会人が支払う。
けれど今、震える手で差し出されたお金を私たちは受け取れないでいた。
「……ちょっと、家族の方に連絡をいれようか」
塚本さんも困った様に、私にそう云った。
どうやら塚本さんも立会人に未成年が来るなんて事態は初めてで困っていたようだ。
すると少年は私たちを睨み付けて叫ぶ。
「ちゃんと俺は遺族です!れっきとした遺族なんです!だから!だから立ち会わせてください!」
そう言って叫ぶ少年を見ながら、頭を過って消えてゆく自棄に空回るドアノブ。
こんな幼い子供に、自殺の現実を私は突き付けたくない。
「……ねぇ、君幾つ?」
私の問い掛けに彼は私の目をじっと見つめる。
彼の目の光には、強い強い意思が垣間見えた。
「15歳です。中学三年生」
私が壊れてしまった歳と同じ歳なんだと、私は更に荷が重くなる。
もしも彼があの現場を見て
壊れてしまったなら、私はどうすればいいのだろう。
人間は何が切っ掛けで壊れてしまうか解らない。
全ての人間の心の中に、壊れてしまうスイッチが入っている。
「……正直、君にあんまり見せたくないなぁ……」
思わず私は本当の気持ちを口走ってしまっていた。
あの部屋には子供が観て、徳をする様な真実は何処にもない。
絶対に誰も、幸せになるものはこの中にないのだ。
遠くで塚本さんが何やら電話で話している。
すると少年は今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、泣き出しそうな声色でこう云った。
「俺多分、これを逃したら後悔します……だからどうか……どうか一目で良いから……」
少年の懇願に心が痛む。どうして良いのかが解らない。
すると塚本さんが私たちの元に、険しい表情を浮かべて戻ってきた。
「保護者の方に連絡をとりました。
…………後で立ち会いをしてください」
塚本さんの言葉に私は驚いて思わず噛み付く。
「待って下さい塚本さん!!あの現場は……!!」
すると塚本さんが今迄にない険しい表情を浮かべ、首を左右に振る。
私はそれに気圧されて、思わず黙ってしまった。
少年は塚本さんに向かって深々と一礼をする。
私は正直、不安で胸が一杯だった。
***
制服に臭いが染み付かない様に制服を脱いで、学校指定のジャージに着替える。
ジャージの名札には「篠田 旭」と書いてある。
「お名前、なんて読むの?」
「あさひです。しのだあさひ」
篠田旭。彼の名前は旭君というらしい。
ジャージの上から私たちが何時も着ている防護服を着せる。
「……我儘を言って……御迷惑をおかけしてすいません……」
ほんの少しだけ冷静になった旭君は、大きな瞳を伏せながら謝罪の言葉を吐き出す。
私の中の不安な気持ちが膨らんでいて、胸が詰まっている気がした。
「……ねぇ、なぜ君はそんなに立ち会いをしたかったの?」
旭君の着ている防護服とゴム手袋の隙間をガムテープで塞ぎながら、私は素朴な疑問を投げ付ける。
彼が部屋に入りたい理由が、好奇心や興味の様なふざけたものではないことは肌で感じていた。
だからこそ何が彼をそんなにも突き動かしているのかを、私は知りたかったのだ。
暫し旭君は眉を潜めて、沈黙が続く。
妙な緊張感が駆け抜けてゆくのを感じていた。
すると旭君の頬を一筋の涙が伝い、ぱたぱたと水滴が床に落ちた。
「……亡くなったのは母なんです……10年間、母とはあっていませんでした………」
10年前に両親が離婚をした。
極稀に離婚の際に母親が親権を取れないことがあるが、旭君の家はまさにその典型であった。
「父と母の離婚原因は、母の鬱病に父がついていけなくなってたからなんですよ」
ガスマスク越しのくぐもった声で、真実が語られる。
それはまるで今迄の悲しみや、今迄の後悔を吐き捨てているかの様だった。
「心の病なんて子供が解る訳ないじゃないですか。
お母さんが俺に冷たくなったのが、病気のせいだったなんて………俺には本当に解らなかった………」
部屋に入るドアの前で、旭君が嘆く。
そしてさっきの「一目で良いから」という懇願の理由を感じた。
会わせてあげたいという気持ちと、見せたくないという気持ちが揺れる。
私はドアノブを握り締めたが、そのドアを開くことが出来ないでいた。
そんな私を塚本さんが心配そうに眺めている。
私は覚悟を決めて、ガスマスク越しに少しだけ深呼吸をして、旭君の方を見た。
「もしも……もしも辛くなっちゃったら、無理はしないでね。約束だよ」
私がそういうと、旭君は私の眼をじっと見つめる。
そして静かにゆっくりと、深く頷く。
「わかりました」
ドアを開いて部屋の中に踏み入れれば、部屋の中に漂う死臭を感じる。
心配になり旭君をみれば匂いを気にするよりも先に、感極まった少年の眼差しで立っていた。
「……お母さんこっちだよ」
お風呂のドアノブに手をかければ、空回りをする筈のドアノブが簡単に開く。
それはまるで、彼を招き入れているかの様に見えた。
「……お母さん」
旭君の感極まった声が、とてもとても切なかった。
***
「どうしても止めたけれど、きっとあの子は後悔すると思ったので、行かせてあげることに決めました」
塚本さんは旭君のお祖母さんに電話の向こうで泣かれたそうだ。
旭君のお父さんはお母さんに会われるのをずっと嫌がり、偶然にもお祖母さんの掛けた必死の電話を取ったのが旭君だったので、旭君は無事に此処に来れたのだ。
残念な事にお母さんの遺体の状態は、流石に旭君に見せられる様なものではなかったそうだ。
バスルームの特殊清掃が終わった後に、塚本さんがこっそりと私に教えてくれた。
死の痕跡とはいえ、10年間の親子の再会は余りにも切なくて悲しいものではあったが、結果的に逢わせることが出来たのは良い事だと感じる。
バスルームの清掃時も旭君は部屋の中で、ずっと私たちの作業を見ていた。
彼以上に作業を見ている立会人には、二度と出逢うことはないかもしれないとまで思う位、彼は私たちの仕事をずっとずっと見つめていた。
彼の前でお母さんが生きてきた最期の足跡を消す。
それを彼が立ち会えた事実は、とても尊いと感じられた。
「今日は本当に、ありがとうございました……」
彼のお母さんが残した遺品の前で、旭君が深々と頭を下げる。
気が付けばもう夕暮れで、空は日が落ちる寸前だった。
「いいえ、こちらこそ」
そう言って微笑めば、旭君は私に向かって笑い返す。
こんなに眩しい笑顔で笑う子だったなんて、正直解らなかった。
彼はまるで吹っ切れたかの様な表情を浮かべ、夕日に照らされている。
そして少し申し訳なさそうに微笑んで、小さく囁いた。
「俺はお母さんに会いたかったけど、お母さんが俺に会いたくなかったなら、無理矢理来ちゃって嫌だっただろうなぁ………」
旭君がそう言った時に、心がぎゅっと締め付けられる。
確かに死んでしまった人の気持ちだけは、感じることが出来ないのだ。
その時に私は旭君のお母さんの日記の事を思い返す。
日記帳に書いてあった彼女の「会いたかった人」は間違いなく旭君だ。
私は慌てて遺品の中から、10冊の大学ノートの日記帳を取り出した。
「旭君!!君のお母さんは君にちゃんと会いたかったよ!!」
旭君は目を丸くして、大学ノートを受けとる。
そして震える指先で大学ノートを開きながら、彼は夕焼けの下でボロボロと涙を流した。
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