硲志優里についての物語 第4話

 沢山の墓石が建ち並び、彼方此方から線香の匂いが漂う。

 閑静な墓地を見渡しながら、私は改めて本当に寺に居ることを感じていた。

 正直信じられないというか、信じたくない気持ちがあった。

 何故私は偶然にも、寺に運び込まれたのであろうか。

 愕然と立ち尽くす私の背後から、ゆっくりと忍び寄る大きな影。

 振り返れば、厳つい強面の住職が立っている。

 和柄の模様のトレーナーに、厳つい虎の柄のスカジャン。和柄の布のポケットが付いたダボダボのジーンズに、金色の趣味が良いとは一切思えない指輪。

 さらにその上にサングラス。

 どうみても、堅気には思えない。

 

「俺は寿雲大徳。宜しくなお嬢ちゃん。ところで、お嬢ちゃんの名前はなんていうんだ?」

 

 スキンヘッドの本当に本当にどう見ても堅気とは思えない厳つい男は、更に仰々しい名前を名乗る。

 差し出された手に、震える指先を伸ばす。

 寿雲住職の手を握り締め、蚊の鳴く如くの小さな声を振り絞る。

 

「硲……硲志優里。志優里と、いいます……」

 

 寿雲住職が言うには丁度ドライブの最中に私が海に入ってゆくのを見掛け、私の事を救助したとの事であった。

 そして此処からは本当に記憶が一切残ってはいないのだが、酒に酔い散らかした状態で私は「警察は嫌だ」と暴れ散らかし、やむを得ず家に連れ帰ったとの事である。

 

「うちは引きこもりだとかそういう連中を預かったりもしてるからな」

 

 そう言って笑いながら、寿雲住職は私を手招きする。

 住職の後ろに付いて行けば、目の前には見るからに高そうな車が三台並ぶ駐車場にたどり着いた。

 ボルボにBMW。そしてベンツ。一体総額は幾らになるんだと考える。

 すると寿雲住職はベンツのエンブレムの付いた黒光りする車の中に乗り込んだ。

 

「志優里。乗れ」

 

 いきなりの呼びつけに、私は少したじろぎつつも助手席のドアを開いて車に乗り込む。

 すると坊主とは思えぬ荒い運転で寿雲住職はいきなり車を走らせた。

 

「ひゃっ……!!」

 

 思わず車の窓に頭をぶつけそうになりつつ、きっちりとシートベルトを付ける。

 すると住職はニヤニヤと笑いながら、私に向かってこう言った。

 

「お?どうした?死ぬの怖いか?」

 

 寿雲住職のわざとらしい小馬鹿にしたような態度に、ほんの少しだけ拗ねてみせる。

 けれど不思議と彼の私への対応は、嫌いではなかった。

 

「……何処に向かってるんですか」

 

 果てしなく走り続けている車の中で、私は寿雲住職に質問を投げ掛ける。

 私はこの車の行き先が、一体何処か解らない。

 すると寿雲住職は、怪しい何かを企んでいるかの様な表情を浮かべて笑った。

 

「お前にはなぁ……ちょっとだけアルバイトをしてもらうつもりでなぁ………」

 

 アルバイト。

 意外な単語に固まっていると、寿雲住職は少し心外そうな表情を浮かべる。

 

「アルバイトっていってもなぁ!イヤらしい仕事とかそういうんじゃないぞ!ちゃんと立派なお仕事で、今のお前は絶対に知るべき世界のアルバイトだ」

 

 私が知るべき世界のアルバイト。

 その言葉をほんの少しだけ頭に浮かべて考える。

 その時の私には、それがなんなのか検討も付かなかった。

 

「寺の仕事ってのは、人間の終わりに関係する仕事が略だ。それはお前も正直見たら解るだろう?」

 

 頭に思い浮かばせる、叔母の葬式。そして建ち並ぶ墓石。

 

「……はい」

 

 私が静かに頷くと、住職は少し安心した表情を浮かべた。

 

「俺が時々仕事を貰ってる会社でな、やってる仕事があるんだよ。死ぬ勇気があるんなら正直人間なんて、本当はなんだって出来るんだよ」

 

 寿雲住職からそう言われた時に、ズキリと胸が痛む。

 頭を過って消えてゆく、やけくそになっていた自分の姿。

 やけくそにはなれてはいたけれど、私は我武者羅になることは出来ていたのだろうか。

 そう考えた時、車が止まった。

 外観は普通のただのビル。駐車場には、軽トラックが建ち並ぶ。

 

「お前にはこれからほんの少し、日雇いの特殊清掃のアルバイトを経験して貰いたいと思ってるんだが、どうだ?やるか?」

 

 特殊清掃。その頃の私にとっては、それは初めて知る単語であった。

 私はその時何が何だか解らぬままに、住職に連れられて来たビルで簡単な手続きを終わらせてしまっていた。

 

***

 

 賑やかな街の中で、今流行りの陳腐な歌詞のラブソングが流れている。

 その音楽に合わせて鼻唄を歌っていると、琉生が私の左手の指先に自分の手を絡ませてきた。

 普通の恋人同士の様に手を繋ぎながら、街を歩く。

 琉生は華奢で細身なので何となく小柄なイメージがあるが、並んでみるとちゃんと私を見下ろせる位の背丈がある。

 琉生と肩を並べて歩く時の、見下ろされる視線がとても好きだ。

 小さなお店が沢山建ち並ぶ通りで、琉生が私の手を引く。

 

「ねぇ!このお店ちょっとだけ付き合って!」

 

 琉生が選んだお店は、小さなアクセサリーショップ。

 シンプルな女性モノのアクセサリーが、ショーウィンドウに飾られていた。

 

「なるべく早く買い物済ませてしまうから、ほんの少しだけ待ってて!」

 

 そう言って琉生がお店の奥に入っていった時、ほんの少しだけ心臓が痛む。

 琉生はこのお店のアクセサリーを、誰に買ってあげるつもりなんだろうか。

 琉生はただの出張ホストで、私は客でしかない。それ以上もそれ以下もない。

 なるべく琉生を見ない様にして、良くない思考を切り離す。

 すると琉生が静かに私に歩みより、微笑みながらまた私の指先に指を絡ませた。

 

「ごめんね!お待たせ!」

 

 琉生の唇が「ごめん」と動いた時、私の心が揺らめいた。

 琉生にどうかこの戸惑いが、伝わって居ないことをひたすらに願ってしまった。

 

「ねぇ、ちょっとさ、お茶とか飲まない?暑くてさ」

 

 琉生がそう言って、私の手を引いて喫茶店へと連れ込む。

 私は琉生に従って、可愛らしいレトロな喫茶店に入った。

 

「俺ね、実はこの喫茶店たまに一人で来てるの。俺の隠れ家なんだ」

 

 そう言って口元に、人差し指を立てて微笑む。

 レトロな内装に、可愛らしい丸いテーブルとアンティークな小さなソファー。

 琉生は迷わず、お店の奥に進んでゆく。

 喫茶店の奥の席には、小さなレースのカーテンが引ける様になっていた。

 

「可愛いよね此処。凄く好きなんだ。シュリーを連れていきたくて」

 

 琉生が少しだけ饒舌になっているのを感じながら、ふと今の自分がちゃんと笑えているのかと不安になる。

 不安に押し潰されそうな、面倒臭い女に私はなっている気がした。

 

「うん、凄く可愛いね」

 

 悟られない様に捻り出した声に、違和感は無かっただろうか。

 賢明に自分を取り繕いながら琉生と二人でメニュー表を見る。

 これは夢。幻想。ただの幻。私が買った、夢なのだ。

 

「俺アイスカフェオレ飲むけど、シュリーは何を飲む?」

 

 ぼんやりとしていた私に、琉生が微笑みながら囁く。

 

「あ、じゃあ……アイスティー……」

 

 すると近くにいた店員が来て、琉生が注文を通す。

 まるでなんの言葉も耳に入ってこない様な、耳を塞がれている様な状態に凍りつく。

 すると琉生が突然、テーブルを仕切るカーテンを閉めた。

 カーテンレールが軋む音に顔を上げれば、琉生の唇が私の唇を塞ぐ。

 抱き締められる様に長いキスをされた瞬間、首元になにか冷たい金属の様なものを感じる。

 すると琉生が静かに私から離れて言った。

 

「シュリー、いつもありがとう。俺からの細やかなプレゼント」

 

 そう言って琉生が、私の首元を指先でなぞる。

 慌てて荷物からファンデーションケースを取り出し、首元を映し出す。

 すると其所にはピンク色の石の付いた、花の形を模したシルバーのネックレスがあった。

 

「シュリー、大丈夫だよ。俺はシュリーの夢を壊したりしないから」

 

 琉生がそう囁いて、私の手に手を重ねて笑う。

 琉生の指先に指先を絡ませながら、今日という日をこの人と過ごせて良かったと改めて感じた。

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