硲志優里についての物語 第3話

 20歳の冬だった。世界が180度変わってしまった運命の日を迎えたのは。

 気が付けば自殺願望を抱えたままで、20歳になってしまっていた。

 衝動的に死を選ぼうとした15歳のある夜から、五年の月日が流れていた。

 年齢ばかりが数を重ねてゆくのに私は何にも変われないままで、前にも後ろにも進めやしない。

 何処にも行けやしないのに、今私が立っている場所は絶対に居場所ではないこと位は解っていた。

 身体は五年の間に見るも無惨な程に、ズタズタに傷付いて醜い姿になってしまった。

 手首だけでは飽き足りず、様々な箇所に刃を突き立てて、血を流しながら泣き叫ぶ。

 自分の心の中にあるどろどろした真っ黒な心の闇との戦い方が、正直自分自身でよく解らない。

 左手首から始まり、右手首、腹部とズタズタに切りつけられた刃物の痕は、正直自分自身で吐き気がする程に醜悪であった。

 けれどその頃になれば、正直その姿になってしまった自分に少し安心していた。

 この姿であれば、私の事を傷付ける人間は自然と私から離れてくれる。

 見世物にされるのも後ろ指を指されるのも、もう何も怖くないと感じていた。

 

「辛くなったら、死ねば良い」

 

 その五年間も語りたくない程に様々なことが私の身に起きて、私はすっかり人生を諦めて自棄っぱちに過ごす事にしていた。

 大事なものは総て失ったと思っていた。もう、これで総てが終わりだと感じていた。

 一日でも早い死を祈りながら、ボロ雑巾みたいな生き方をする。

 身体も売ったし、抱いてくれれば誰にでも脚を開いた。

 酒で潰れて知らない人の家で目覚めるのも、正直何ももう怖いと感じなくなってしまっていた。

 変な薬を盛られても、知らない男の人に囲まれて玩具みたいに扱われても、なんにもなんにも怖くなかった。

 

「ボロ雑巾みたいにゴミみたいに生きていれば、誰かがそのうち殺してくれるかもしれない」

 

 それがたった一つの希望になってしまう位に、私は落ちぶれて毎夜の如くにさ迷い歩く。

 あの頃の私は、生きたまま死んでいたと思う。

 そんなある時に目を醒ませば、知らない天井が視界に入った。

 登り龍の絵が描かれた正直趣味が良いとは言えない、ド派手な折り上げ天井に、私は思わず飛び起きる。

 そして回りを見渡せば、これまた趣味が良いとは言えない虎の掛け軸が飾られており、その元には何本も日本刀が並んでいた。

 此処が一体何処なのか、私がどうして此処にいるのか、一切何も解らない。

 確か昨日の私は「辛かった」のだ。

 私の最期の記憶は海岸だった。

 散々酒と睡眠薬を煽り、海の中へと進んでゆく。

 そして其処で、私の記憶は途絶えていた。

 

「お嬢ちゃん、起きたか」

 

 ドスの利いた低い声に、思わず身体が飛び上がる。

 目の前に立っていたのは、どう見ても堅気ではない強面のスキンヘッドの男であった。

 

 「すいません……あの……此処一体何処ですか…………」

 

 我ながら間抜けな返答だと、正直今でも思っている。

 何も怖くないと感じていたのにも関わらず、目の前にいるスキンヘッドの男は私には恐怖だったのだ。

 

「何?お嬢ちゃん自分が何してたのか覚えてないのか?」

 

 正直ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけは覚えていた。

 けれど、目の前の明らかに堅気ではない強面の男に気圧されて、私は思わず頷いた。

 すると男は葉巻を取り出して火を点ける。

 居心地のとても悪い空気の中で、ふわりととある香りを感じる。

 その香りは「線香」であった。

 

「……お線香の香り…………」

 

 そう私が呟くと、スキンヘッドの男が私に言った。

 

「取り敢えずお嬢ちゃん、風呂に入って取り敢えずなんか着て俺と出掛けよう」

 

 さっぱり状況が読み込めないまま、スキンヘッドの男の導くままに起き上がる。

 お風呂場への道を案内されながら、私は辺りをキョロキョロと見回す。

 そして線香の匂いが更に更に強くなってゆくのを感じていたその時に、私の目の前に知っている光景が広がった。

 仏像に木魚。豪華な金ぴかの細かい造り。私はそれを見た瞬間に、思わず声に思った場所を出してしまった。

 

「……お寺…………?」

 

 するとスキンヘッドの男が振り返り、大声でガハハと笑いながら言った。

 

「お嬢ちゃん!正解だ!此処は俺の寺だ!!」

 

 これが私の人生を180度変える切っ掛けになる、運命の出逢いであった。

 

***

 

 懐かしい記憶の夢に目を醒ませば、すやすやと眠る琉生の姿が視界に入る。

 琉生の長い睫毛が、とてもとても綺麗に感じられた。

 常に早起きが身に付いた生活のせいか、毎朝6時半にはちゃんと身体が目覚めてしまう。

 24時間コース、一日20万円。正直出張ホストにしては、琉生の店は良心的な価格だと思う。

 恋人を作るという行為は、ある時にもう私は諦めた。

 その理由は、正直今でも思い出したくない。

 言葉にするのも話をするのも、本当に嫌で嫌で仕方がないのだ。

 人間を愛するのも信じるのも、正直もう無理だと悟った。

 けれど私は琉生に対しては、限りなく恋に近い感情を抱くことが出来ている。

 琉生と私の間には「金」というものが介在しているからこそ、万事が上手くいっているんだと思う。

 金があれば何時だって、都合の良い夢を観ることが出来るのだ。

 琉生の柔らかい髪を撫でながら、化粧も落とさずに眠ってしまっていた事に気付く。

 琉生を決して起こさぬ様に、ベッドから出てシャワーへと向かう。

 だだっ広い洗面台の前に立ち、鏡に自分の姿を映す。

 刃物傷の跡に被せているかの様に、琉生の歯形が丸く重なっている。

 なんだかそれがとても愛しく思えて、鏡越しに痕をなぞった。

 ガラス張りのバスルームでシャワーを浴びながら、化粧を落とす。

 早く化粧を落とし終えて、琉生が起きる前にまた綺麗にメイクを終わらせたい。

 この恋に似た感情が幻想だとは解っていても、琉生の前では可愛い女でありたいのだ。

 きっとその感情は琉生が私の様な客の前でも、素敵な男として振る舞いたいのと同じだと思う。

 琉生は夢を売って、私は夢を買っている。

 お金の介在する人間関係は、正直とても安心できるのだ。

 お金の介在しない愛だけの関係性なんて、正直信じることができない。

 愛なんて私にとっては、本の中に出てくる伝説の生き物の様な存在と同じだ。

 濡れた髪を乾かして、必死に髪を整える。

 そしてメイクをしながら琉生が起きた後すぐにシャワーが浴びれる様に、バスタブにお湯を張った。

 そんな事をしてる間に、私は失ってしまった気持ちを取り戻している。

 

「ん……シュリー……おはよぉ……」

 

 口紅をひき終えた時に、琉生がベッドから私に小さく手を振る。

 私は琉生に手を振り返して、微笑みながら言った。

 

「琉生!おはよう!朝食のルームサービス10時迄みたいよ!」

 

 私は琉生の本当の名前は知らないけれど、一番愛しい存在の名前を朝一番の呼べるのはとても幸せな事だと思う。

 

「んー……お腹へったぁ……お風呂入って早くごはん食べる……!!」

 

 琉生が甘える様に起き上がり、ベッドから下りる。

 そして洗面台の前の椅子に掛けている私の唇にキスをして、シャワールームへと向かう。

 その時に琉生がひょっこり顔を出して、小さく囁いた。

 

「22時まで今日は俺と一緒なんだからね……デートも行こうね。何処に行くのか決めといてよ」

 

 琉生の夢の魅せ方は、本当に本当に美しくて抜かりない。

 琉生の前では私は、ただの女のままで居られる。無理に気を張る必要も、下衆に振る舞う必要もない。

 ただ、ありのままの「女」でいることが出来るのだ。

 

「……楽しみにしてるから」

 

 そう言った時、なんだかとても愛しくて涙が溢れてしまいそうになった。

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