硲志優里についての物語 第2話
「ねぇシュリー……俺ホテルのルームサービスで食事なんて初めて食べるけど」
琉生はそう云いながら、牛肉のロッシーニ風をフォークでつつく。
琉生はテーブルマナーなんて解らない。そして私もテーブルマナーについてはよく解らないのだ。
夜景の綺麗なホテルで、テーブルマナーは解らなくとも、美味しい食事をする。
私が世界で一番可愛くて仕方ないと思ってる、琉生と。
それが、何よりも今日一番大切なことなのだ。
「改めて、雑誌掲載おめでとう。美しすぎる特殊清掃士なんて良い宣伝文句だね」
琉生がそういって微笑んだ時に、琉生の瞳に違和感を感じる。
その時にまた琉生が自らの身体に手を加えたことを感じた。
多分目頭に少しだけ切り込みを入れた。琉生の瞳はもう少しだけ小さかった。
琉生の好きなところは、琉生が元々完璧な人間ではないところだ。
「ありがとう!それですごく綺麗なお写真何枚も撮ってもらって………雑誌に私の写真が飾られるのは夢にも思わなかったなぁ………」
「俺も自分の事みたいに、シュリーの雑誌掲載の話は嬉しいなぁ。雑誌出たら買おうかな」
特殊清掃士の女など、正直割と存在している。
私の場合はただ運良く偶然そういった話が会社にきて、それなら男の話を記事にとりあげるより、女を記事にした方が読者ウケがよく面白いからという理由で、私が押し出されたところはあった。
けれど、内心「自分に自信の一切ない様な私の様な人間」でも、スポットライトを当てて貰えたりするのかと思うと、少しだけ浮かれた気持ちになったりしているのだ。
「記事の冒頭に何かインパクトある言葉を書かなきゃいけなくて、なんか良いの浮かんだら教えてって記者の人に言われてて。今朝『私の人生には死が纏わりついている』って言葉が浮かんだの」
人間はちょっとした禁忌を好むと、私は昔から思っている。
最もそれの表現が解りやすいのは「性的なもの」だと思う。
その後にショッキングな事件事故の話と、映像画像動画。ホラー映画なんかも、まさにその類いに入る。
人間の好奇心を惹くには、正直『禁忌』に触れることが必要だと思う。
私にとって『死』はセンシティブで、尚且つ『禁忌』の塊だ。
正直人の好奇心を擽るには丁度良いものだと、改めて自分の考えた言葉について感じていた。
「シュリーは凄く頭が良いよね。俺はシュリーみたいな言葉、考えることも出来ないや」
琉生がそう云いながら、食べ進めていた最後の一切れの牛肉の塊を口の中に放り込む。
そして何か考えるかの様に視線を泳がせ、急に目を細めて妖しく笑った。
「もしかしてさ、シュリーはグラビアみたいな感じに写真載るの?」
琉生からほんの少しだけ、嫌味な空気を感じ取る。
悪戯っぽく笑う琉生から時折感じられる悪意は、琉生が持っている劣等感と執着心と嫉妬心を感じさせるのだ。
「あ、グラビアみたいな感じではないけど、綺麗に何枚か写真は撮ってもらった……」
そう云いながらバッグの中から撮影の写真を取り出す。
グラビアアイドルの様な過度な露出をする訳ではないが、琉生と逢う日に着る服からなるべく色気のあるものを選んで着たつもりだ。
すると琉生は嬉しそうに受け取って、何枚か写真を捲りながら囁いた。
「へー!!目茶苦茶綺麗だねぇ………ねぇ、これ傷とかどうやって隠してる?」
琉生の言葉に私は微笑んで、手首を指先で引っ掻く。
肌色の皮膚そっくりな柔らかいフィルムがずるりと剥がれ、無数の手首の傷痕が晒される。
すると琉生は目を少しだけ見開いて、私の手首の傷痕を指でなぞった。
「へー!凄い!こんなのあるんだね!!」
「ファンデーションテープっていうの。便利よ」
そう云って静かに手を引けば、琉生が私の手首を掴む。
そして屈託のない笑みを浮かべてこう云った。
「シュリー、傷痕また増やしたでしょ?……後でわかってるね?」
琉生の言葉に私は、思わず下着を汚してしまっていた。
***
私の家系は、自殺者がとても多いと幼い頃から聞かされていた。
今でも衝撃的な記憶に残るエピソードは、着物で我が家に訪ねてきてくれていた親戚の叔母の事である。
衝動的に灯油を被り、焼身自殺を謀ったのだ。
残念ながら叔母の身体は灯油では余りにも火力が足りず、総てを燃やし尽くす事が出来なかった。
なので、叔母は一週間レアステーキの様な状態で、苦しんで苦しみ抜いて死んだのだ。
子供にとって葬式なんて、何が何だかよく解らないつまらない儀式でしかない。
何がなんだかよく解っていない私に、母は静かにウサギのぬいぐるみを差し出した。
真っ白な柔らかいウサギのぬいぐるみを抱き締めながら、母がゆっくりと口を開く。
「志優里、貴女はお利口さんだから、早めに教えてあげるわね。もし未来に焼身自殺をしなきゃいけなくなったなら、灯油は使わないでね。もっと、ちゃんと燃えるように、絶対にちゃんと死ねるようにして……」
幼い私は気が動転している状態の母の云っている言葉が、正直意味が解らなかった。
けれど母が云ったその言葉は、ある程度自分の身体が大きくなった時に総てを理解したのだ。
私の心と身体が『死』というものに蝕まれ始めたのは、私が14歳の時だった。
何が原因だったのかも何が理由だったのかも、正直今ではよく解らない。
気が付けば血塗れになっていて、右手にはカッターナイフを手にして、左手には静脈にも及ぶ深い深い傷痕を刻んでいた。
部屋も私も血塗れで、廊下の方から母が泣きながら電話を掛けている声が響いている。
多分母は今、救急車を呼んでいるんだろうと思いながら、私は静かに床に座り込んだ。
何が理由でこうなったのだろうかと、様々な思考が頭を過る。
けれど特別な理由が、どうしても見付けられなかった。
纏わりついていただけの『死』と私が対峙した瞬間は、その時だったと今でも思う。
***
「ダメだよシュリー……一人で勝手に傷付けちゃ……シュリーは俺の玩具でしょう………?」
琉生の絡まる様な甘ったるい声色で、自分が落ちて意識を飛ばしていたことに気付く。
自分の頭に明らかに空気が足りていないのを、白黒する視界と息苦しさで感じながら、改めて状況を整理した。
目の前には琉生の美しい整えられた顔があり、琉生の細い指先が私の首を締め上げてゆく。
私の上に馬乗りになった琉生は、はだけたバスローブ姿で惜し気もなく華奢なのに程好く筋肉のついた肉体を晒していた。
「あ……ごめんなさ……」
首を締め上げられているが故に、声が上擦っているのがわかる。
息苦しいままで、思考回路が上手に回っていない。
それでも、私の性器が濡れていることは解っていた。
「シュリーは俺がいないといけないよ。ダメだよ。本当のシュリーの事を解ってあげられるのは、世界で俺一人だけだから」
琉生の甘ったるい囁きは、毒を含んでいて心地が良い。
琉生に酷いことをされている時だけは、正直満たされている気持ちになる。
今年、琉生と遊ぶ様になり三度目の夏を迎えたが、琉生と出逢ってから「自傷」の頻度が大分少なくなった様に思う。
琉生は私を「生かす」のがとても上手だと思っている。
「はい……ごめんなさい……」
私の首から琉生の手が離れ、私の掌に琉生は手を重ねる。
指先を絡ませ合った後に、琉生は自分の身体を私の身体に重ねた。
琉生の形の良い頭が、私の首元に埋まる。
キラキラした高級ホテルの品の良いシャンデリアが視界に入った時、私の首筋に鋭い痛みが走った。
「あ……!!」
琉生が私の首筋を、きつくきつく噛んでいる。
それがとても愛しくて、満たされるのだ。
「ねぇシェリー……今日は沢山沢山しよう?痛いことも、気持ちいいことも、沢山沢山……」
私の耳元で甘える様に囁く言葉に、背筋がぞくりとした。
それは快楽も恐怖も入り雑じっているかの様な、複雑な感覚だった。
「沢山欲しい……沢山ください……」
私が懇願する様に囁けば、琉生は私の付けた傷痕に上書きをする様に唇を寄せる。
琉生の与えてくれる甘い毒に溺れながら、私は「私の人生には死が纏わりついている」という言葉が、本当に良い記事の読ませ文句であると確信していた。
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