そしていつかは鬼になる

ウタテ ツムリ

最初に考えてた読み切り小説

もしも瞳を閉ざせたら

「そしていつかは鬼になる」の前身のような話











 もしも瞳を閉ざせたら、何かが変わるのだろうか。

 夜眠るとき、このまま目が覚めなければいいと思わずにすむのだろうか。

 誰かと一緒に学校に行って、休み時間は楽しくおしゃべりをして、放課後にショッピングモールに行ったりバーガーショップでポテトをつついたりできるのだろうか。

 もしも瞳を閉ざせたら、私はそういった普通を手に入れられるのだろうか。

 答えはない。

 そんなことがあるはずがないだろうと、獣の唸り声が聞こえた気がした。




 第二次世界大戦特集が流れているテレビを膝を抱えながらのんびりと眺めていた。

 締め切られた窓の向こう側では、ぎらついた太陽の光と風物詩の蝉の声が無視するなと言わんばかりに私の目と耳を突き刺そうとしている。

 冗談じゃない。誰が好き好んで昼間の炎天下に出ていくものか。

 ただでさえまとわりついてくるこのモフモフのせいで暑い思いをしているというのに、さらに暑くなる環境に足を踏み入れるなど言語道断。絶対に嫌だ。


「おい、どこに行く」

「トイレ。ついてこないでよ」


 あいつは喉で唸りながら交差した前脚に持ち上げていた頭をのせた。こう言わなければ毎度ついて来ようとするから困ったものだ。長い付き合いだけど、こういったところをまったく察せるようにならない。

 まったく、乙女心どころか人間の機微にも疎いのはいつになれば改善されるのだろうか。

 用をすませてリビングに戻ると、戦争特集からニュースへとテレビが切り替わっていた。

「今朝、○○公園で複数の死体が見つかりました。警察によりますと、死体には獣にかみつかれたような跡があり、野生動物に襲われたのではないかとの見解を示しています」

 思わずあいつに視線を向ける。すると心外な、と低くうなり声をあげられた。

「わかってるよ」

 こいつがそんなことをしないことくらいわかっている。なにしろこいつは私にべったりだし、そもそも人を食う必要も殺す理由もない。けれど、大都会とはまではいかずとも都会に属するこの地域で、そんな人間をかみ殺せるような野生動物が出るものなのだろうか。

 もっとこう、山に近いところとかだと熊とか猪とか出るんだろうけど。


「やつらではない。あれが出てきたのなら死体なぞ残らん」

「それもわかってるよ」


 白いぶよぶよとした手の形をしたあれが、桜の木から大量に生えていた光景を目撃してしまった時を思い出す。もう一人、あれに反応していたような気がしたけどその場はすぐに去ってしまったのでそれからどうなったのかはよくわからない。いや、声をかけようとしたんだけどこいつが襟をくわえて走り出すもんだから。

 あー、思い出したらなんか落ち着かなくなってきた。

「ねぇ、マガツ」

「なんだ」

 威厳たっぷりに顔をあげているが、残念ながらぶんぶんと尻尾をふっているせいで威圧感は無いに等しい。見た目だけは迫力満点なんだけどな。出てくる所作がどうにもそれを消してしまう。いや、親しみやすいということでいいことなんだけど。

「どうしてあの時、私だけを連れて逃げたの」

 答えはわかり切っている。何度も聞いて、何度も同じ答えしか返ってこない問い。

 それでも口にしてしまうのはなんでなのか。

「いつのことを言っているのかは知らぬが、我は契約にしたがっているだけよ。そうでなければ人間なんぞと関わるものか」

 契約。

 私もよくはしらないけど、こいつは私と何らかの約束をしてそれを守るために私のそばにくっついて離れないのだそうだ。契約の内容は聞いても教えてもらえなかった。自力で思い出せ、とだけ言われたけどあいにくと記憶にないのだから仕方がない。

 だけど、長い付き合いともなれば何となくわかってくることもある。

 こいつは私から一定以上の範囲でしか離れることができない。つまり私が家の中にいるなら、家の中でしか自由行動できない。外には出られないのだ。散歩に行く時も、グラウンドで好きに走ればいいと放り出したら一定以上は離れられないようだった。

 次に、私は常にこいつに何かを吸い取られている。それが何であるのかはよく知らないけど、少なくとも私は五体満足で健康的に生きているので問題はない。ただし、それが関係あるのかいくら食べても太らないし、むしろ一食でも抜くと一気に体が骨と皮だけになってしまう。

「その契約って一体なんなの? やっぱり私はいっさいおぼえがないんだけど」

「……。お前が、決めることだ」

 驚いた。いつもと答えが違う。

 驚いている私をよそにこいつは目を伏せた。間違いなく耳がぺしょりと垂れ下がっている。さっきまで騒がしかった尻尾も力なく投げ出されているし。これはもしかして───。

「もういいと、お前が思うならば我にすべてを差し出せ」

 そうすればお前はあれを見ることも感じることもなくなるさ。

 続いた言葉に呼吸を忘れた。じっとマガツを見つめる。

 それは本当なのか。なぜ今それを言うのか。そんなことが本当にできるのか。

 ずっと思い描いていた。

 もしも瞳を閉ざせたら、あれを視なくてもいいのだろうかと。

 もしも瞳を閉ざせたら、私は普通の学生生活を送れるのだろうかと。仲良しの友達を作って、一緒に登下校して、学校行事にだって心置きなく参加して、放課後はいろんなところに遊びに行って。

 そんな風にきらきらした毎日を送れるのだろうか。あれが視界に入るたびにこわばる身体を無理やりに動かして、こいつが近くにいることを感じなければ外も歩けない自分を変えられるのだろうか。

 もしも。もしも本当にそれが可能ならば、私は

「約束だ。我は、我らはそれだけはたがわぬ」

「……いや、だからその約束っていうのもおぼえていないんだって。それいつの話よ」

 今度は目をそらされた。本当にどうしたんだろう。いつもならズバズバと答えて話がさっさと終わってしまうのに。なんで、そんなにためらっているみたいな反応をしてるの。

 あんた、別にそういうタイプじゃないじゃん。

「お前と、初めて会った時だ」

 つっかえたものを無理やり吐き出したような声だ。普段からくぐもって聞こえる低い声がさらにくぐもっている。そういえば、前はもう少し高かった気がするけどいつからこの低い感じになったんだっけ。

 いや、それよりも初めてあった時っていつよ。物心ついたときから一緒だった気はするけど、それがいつからだったかは何でかはっきり覚えていない。けっこう小さい時だとは思うけど。

「まだ、お前の親が健在だったころだ!」

 本当に一ミリもおぼえていない私に腹が立ったのか、怒鳴られてしまった。え、それって幼稚園年少ぐらいだと思うんですが。おぼえてるわけないじゃん。あの頃の記憶なんてもうおぼろげで、両親の顔も写真を見ないと思い出せないんだから。

 記憶をたぐってみるけどやっぱり何も思い出せない。一体私はこいつに何を言ったのだろうか。

 と、ふと何かが意識の端っこに引っかかった。

「……まって。そういえば、小さいころに、なにか……」

 そう。何か、とても大切な事。

 あれが見え始めた頃を、私はよく覚えていない。それと同じように、両親のことも、幼いころに体験したはずのことも何も覚えていない。残された写真を見てかろうじてそういえばそうだった、と思い出すけど何も見ずに思い出すことはできない。

「たすけて」

 ポロリと口からこぼれた言葉にカチャリと鍵が開く音がした。

『お前が決めることだ。お前がいらぬというならば、我はそのすべてを壊してやる』

 今よりも声が高かったころのマガツの声。

 らんらんと光る獣の瞳と、赤く汚れた口元。赤く染まった牙をむき出しにしてうなりながら、そんなことを言われたような気がする。

 マガツの後ろにはきっと、無惨な姿になった両親がいたのだろう。腫れあがったまぶたに隠された不鮮明な視界ではよく見えていなかったから、多分だけど。

『だから、我にお前をよこせ』

 命令しているのに、すがるような声だったような気がする。

 あちこちきしんで熱をもっていた体も、カラカラに乾燥した唇も、切り取られ続けているような感覚に支配されていたお腹も、ぼさぼさで変な臭いのした髪も、とても欲しがるようなものじゃなかったけど。

 それでも欲しいと言ったこいつは、一体何を考えていたのか。

「思い出せたか」

 いつの間にか私の前でお座りをしてうなだれているこいつは、一体何がしたいのだろうか。

 とりあえず横たわるように動かしてそのお腹に頭をのせる。

「暑い」

 無言。

 そういえば、もうすぐ両親の命日か。

 私が親に一体何をされていて、マガツが親に何をしたのか。

 何となくしか思い出せないし、きっと知らなくてもいいことだ。

 目を閉じてマガツの腹に顔をうずめる。暑くてたまらないけど、今はこうしていたい。

「もしも瞳を閉ざせたら、かぁ」

 ビクリと顔の下のぬくもりが震えた。見なくてもわかる。きっと情けない顔をして私をじっと見ているに違いない。視線を上に向けてみれば、案の定眉を下げて口を歪めている。

 きっとそうできたなら、私は幸せになれるのだろう。普通の人の人生を歩んで、普通に死んでいくんだろう。あれに怯えて外に出られないことも、誰かと一緒にいることの恐怖もなくなるのだろう。

「私がこの瞳を閉ざしたら、もうマガツのことも見えなくなるね。そばにいる必要もなくなる」

「我はずっとここにいる。ずっと、お前を見ている」

 ざらりとした舌の感触がふってくる。くすぐったくて目を閉じる。

 馬鹿だなぁ。声が震えてるし、そんな目をしなくてもいいのに。

「だったら、私だってずっとマガツを見ているし、そばにいるよ」

 目を開けて、まっすぐに見つめてそう言ってやった。背中に尻尾が触れる。マガツの顔が近づいてきて、私はそっと目を閉じた。




 もしも瞳を閉ざせたら、何かが変わるのだろうか。

 夜眠るとき、このまま目が覚めなければいいと思わずにすむのだろうか。

 誰かと一緒に学校に行って、休み時間は楽しくおしゃべりをして、放課後にショッピングモールに行ったりバーガーショップでポテトをつついたりできるのだろうか。

 もしも瞳を閉ざせたら、私はそういった普通を手に入れられるのだろうか。

 ずっと、そんなことを考えていた。

 だけど、そのあとにふと思うのだ。

 もしも瞳を閉ざせたら、きっとマガツにはもう会えない。あのふかふかの毛並みに顔をうずめることもできなくなるし、一人ぼっちの寂しさに耐え切れずに泣いてしまうだろう。

 きっとどれだけ多くの物を得られても、マガツのいない日々を埋められる大きさにはならないだろう。

 だから、私は空想する。

 もしも瞳を閉ざせたら、と。

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