第4話 禿頭
私の遠い親戚であるIさんの父は、とても見事な禿げ頭でした。髪が中途半端に残るという事もなく数年で一気にスルリと抜け落ちたようで、元々頭が丸っこかった事もあり、かえって見栄えがよくなったと豪快に笑っていたのを覚えています。
そんなお父さんでしたが、一年ほど前に病気で帰らぬ人となりました。その少し前にあった親戚の集まりでは普段通り元気よく振舞っていたため、連絡を受けた時には少なからず動揺しました。付き合いがあったとはいえ、所詮遠い親戚の私でさえそうなるのです。家族の動揺と心労は想像するに難くありません。しかし葬式が終わった後、駅に向かおうとした私を引き留めたIさんの表情には、そうしたものとは少し違う何かがうかがえました。
「……信じてもらえないかもしれませんが」
と定番の前置きの後、彼女が話したのは以下のような内容でした。
Iさんのお父さんが亡くなる数週間前、彼女は夜遅くまで会社で使う書類を作成していたそうです。Iさんのお父さんは彼女が作業している居間のすぐ隣の部屋で寝ており、その部屋と居間は
時刻は午前2時過ぎ。書類も大方完成し、自分も寝ようとIさんが大きく伸びをした時、背後からかたり……と何かが動く音がしました。
振り返ってみると、お父さんが寝ている部屋の襖が少し開いていたのです。居間の光が入らないよう、しっかり閉めていたのにも関わらず。
最初はお父さんが起きてきたのかとも思ったそうですが、居間から差し込む光の中、彼は禿頭をIさんの方に向けて寝入っているようでした。
ではなぜ襖が開いているのでしょう。薄気味悪くなった彼女は手を伸ばして襖を閉めようとしました。
「そしたら……見てたんです」
“目”があったのだといいます。まぶたがなく、瞳が異様に大きな単眼がお父さんの頭についていたそうです。つるりとした禿頭のちょうど真ん中にある目のふちからは粘り気のある黒い液体がまるで涙のように溢れ、畳を黒く染めていたとIさんは言います。
「私に気づいたその目は、こちらを睨みつけてきました。まぶたが無かったので実際に睨まれたわけではないんですが、そう感じたんです。それで私、気を失っちゃって……。次に目を覚ました時には、もうその目はどこにもいませんでした」
その時は悪い夢ということで片づけましたが、それからしばらくして、彼女のお父さんは仕事場で急に倒れ、そのまま息を引き取ったそうです。
「脳に大きな腫瘍があったと医師は言っていました。あんなサイズの腫瘍があったのに、不調が全くなかったのが信じられないとも……」
もしあれが夢でなかったとしたら。けれど、たとえそうだったとしても本当の事など言えるわけもありません。身内の死で気が触れてしまったのだと思われて終わりでしょう。
「でも――さんなら話しても大丈夫かなって……」
なるほど、たしかに私のような業種の人間なら彼女の体験を鼻で笑うようなことはしないでしょう。しかし残念な事に、私には話を聞いたところでそれをどうこうできる力はないのです。
「いえ、いいんです。こんな気味の悪い夢を見ましたよって話を吐き出したかっただけですから。たまたま父の死と時期がかぶっただけで、それに意味なんて無いことは分かっています」
私のわがままに付き合わせてしまってすみません。Iさんは深々と頭を下げました。彼女が顔を上げた時、そこにはいつも通りの、お父さんとよく似た笑顔が浮かんでいました。
ここで終われば単なる奇妙な話だったのでしょうが……。
私は持たされた大量の銘菓と共に、Iさん宅を出ました。門扉まで送ってくれたIさんに頭を下げ、次の新幹線に間に合うかと時計を確認しながら数歩進んだ時。
背後から何者かの視線を感じました。ただ見られているというだけではありません。刺すような、悪意の込められた視線が向けられているとはっきり分かりました。
バッと振り向くと、門扉を閉めたIさんがこちらに背を向けて家に戻っていくところでした。その長い黒髪が玄関扉の奥に消えた時、鋭い視線もまた、すっと無くなったのです。
それからもIさんとは度々連絡を取っています。大抵は何の変哲もない近況報告ですが、私の方からそれとなくお祓いに行くように勧めたこともあります。Iさんの報告では身近で奇妙な現象もなく、お祓いに行ってお守りも貰ったそうですが、ならばIさんとの通話中に時折感じる視線は何なのでしょうか。本当にあの視線の主はいなくなったのでしょうか。彼女と直接会い、それを確かめる勇気は私にはありません。
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